【国富町】伝統玩具を次世代へ:「うずら車」の歴史と保存会の継承への取り組み
国富に伝わる伝統玩具、うずら車。古くから親しまれてきたこの工芸品も、現在では作り手がたった一人となり、存続の危機に瀕しています。今回はこの「うずら車」と、伝統工芸を守るために活動する「法華嶽うずら車保存会」についてご紹介します。
・見た目も動きもかわいい、うずら車
うずら車は鳥のウズラを模した木製の玩具で、押したり引いたりして遊べます。魔よけや長寿の縁起物としても親しまれてきました。くちばしの色でオスとメスを区別し、つがいで夫婦円満の象徴としても販売されていた歴史があります。
・うずら車の始まり
うずら車の起源については諸説ありますが、その中で魅力的な話を紹介します。
法華嶽うずらの誕生
約1200年前の平安時代。一人の高僧が釈迦岳の山頂に御堂を建てました。現在の法華嶽薬師寺の前身です。
ある日のこと、高僧は本殿の柱の切れ端が鳥のウズラに似ていることに気が付きました。そこで彼はそこに目や羽を描いてウズラの姿とし、御尊像に供えたそうです。高僧は来る日も来る日も熱心に礼拝しました。すると驚くことにそのウズラの木片は、突然声高らかに泣き出しました。
これが「法華嶽うずら」の始まりです。
うずら車:郷土玩具としてうまれる
この伝説から、やがて法華嶽うずらに車をつけた郷土玩具が生まれました。材料にはタラの木が使われています。細身の「久峰うずら車」と異なり、「法華嶽うずら車」はふっくらとした形です。
・時代とともに変わる伝統
にぎわいの思い出:大祭の風景
かつては毎年2月の法華嶽薬師寺大祭の日には、集落で作ったたくさんのうずら車が参道沿いで売られていました。赤と黒での絵付けの決まり以外は自由で、その家々で異なるウズラの表情や模様だったと言われています。大祭の日には縁起物として多くの人が購入していました。
職人の技を受け継ぐ:新たな展開
タラの木は非常に硬く、加工には技術と共に力を要します。そのため高齢になって引退する人が続きました。2024年の現在では制作者は小山五雄さん一人だけになってしまいました。
小山さんもすでに70代。若手の後継者不足が深刻な問題となっていましたが、新たな動きが始まりました。
・伝統を守る:保存会の発足
2023年、有志が集まり「法華嶽うずら車保存会」が発足されました。保存会は
- 後継者の育成
- 認知度の向上
などを目標としています。メンバーは4名で、動き始めたばかりですが、すでに成果が出始めています。まずは保存会会長の松元修さんが制作技術を習得しました。さらなる後継者育成の活動を進めています。
グッズも発売
うずら車の制作時期は、タラの木の状態の関係で、12月から3月に限られてしまいます。したがってそれ以外の時期でもプロモーションができるように、うずら車をモチーフにしたTシャツ、キーホルダーなどのグッズを制作しています。なかなかかわいいデザインです。
Tシャツはうずら車がさりげなく描かれています。このデザインのバランスは絶妙ですね。
これらは、町民祭やほけだけマルシェなどのイベントに出店して販売されています。
うずら舎がオープン
2024年9月、保存会はうずら舎をオープンしました。まだ試験的に月に数日の営業ですが、ここを拠点に活動を広げ、うずら車、グッズ販売や資料展示も行っています。
・木の温かみ
木製玩具は、年月とともに経年変化による味わいが深まっていきます。また、遊びながらついた傷は、大人になったとき、子供の頃の思い出として、懐かしく思うでしょう。
・文化の継承のために
若い後継者を育てるには、認知度を高めるのが重要です。これから保存会のメンバーがどういう活動をしていくのかが楽しみです。私としては発足時に出会えたのはラッキーでした。うずら車のこれからを見られるのですから。この記事で一人でも多くの方が「法華嶽うずら車」の事を知ってもらえたら、うれしい限りです。
写真提供:法華嶽うずら車保存会、kunitomi_to_me