Yahoo!ニュース

中国の人民元切り下げは不十分―変動相場制へ移行求める声も

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
元切り下げに踏み切った中国人民銀行=写真は同行サイトより
元切り下げに踏み切った中国人民銀行=写真は同行サイトより

中国人民銀行(中銀)は8月11日から元の対ドル基準値を3日連続で引き下げた。11日の1.9%切り下げを皮切りに、12日は1.6%、13日も1.1%と、切り下げ幅は次第に縮小したものの、合計で約5%近くに達し、“すわ、アジア通貨戦争の勃発”か、と全世界の株式市場を震撼させた。しかし、切り下げをめぐっては不十分で将来に禍根を残すことになったとの厳しい論調もある。

人民銀の張暁慧総裁助理は13日、国営通信社新華社に対し、「3%前後に累積していた基準値と市場実勢の乖離の是正は基本的に終えた」と、大幅切り下げの終息を宣言し、今後は小幅な切り下げが続く見通しを示した。この発言に呼応するかのように、エコノミストは、今回の元切り下げの背景には、もともと、“元は高くなり過ぎた”つまり、元の過大評価があったとの見方を示す。

過去を振り返ると、人民銀は、元の過小評価批判を受けて、1ドル=8.3元ぐらいだった2005年7月から切り上げを開始し、6.8元となった3年後の2008年7月に、このレート水準でドルペッグ(固定相場)を再スタートする。しかし、米国政府やIMF(国際通貨基金)からの元の過小評価批判の再燃した2010年6月から切り上げを再開し、2014年1月には一時、6.0元の過去最高値を付け、今年5月にはIMFは「中国経済に対する年次審査報告書」で、「人民元は実効為替レートの過去1年間の大幅上昇により、もはや過小評価されているとは言えない」と宣言するほど、元は高くなっている。

元財務省エコノミストで、現在はウエスタン・ケンタッキー大学経済学部のデイビッド・ベックワース准教授も最近の元の対ドルレートは過大評価だと主張する一人だ。同氏は8月11日付の自身のブログで、「2014年4月以降、中国の景気指標が急激に悪化していることを考えれば、今回の元切り下げは不可避だった」と指摘する。同氏は、その根拠について、「元切り下げが避けられなかったのは、FRB(米連邦準備制度理事会)の金融引き締めが主因だ。元はドルにペッグしているため、FRBの金融政策は中国にそのまま伝わる。FRBの量的金融緩和第3弾(QE3)終了以降、徐々に始まった米国の金融引き締めが中国にも及び始めた。最近ではFRBの利上げによる金融引き締めの動きが強まる中で、市場も利上げを織り込み、米国の金融状況は一段と引き締め傾向にあり、この金融引き締め傾向はドルペッグを通じて中国でも感じられるようになり、景気鈍化を引き起こした。FRBの利上げ宣言はドル高をもたらしただけでなく、ドルペッグのせいで、元もまた上昇し、高くなりすぎて景気悪化を深刻化させたのだ。だからこそ、中国は景気の首を絞めるドルペッグを切り下げによって緩めざるを得なかった」と話す。

元切り下げは続く

また、ベックワース氏は、元切り下げは今後も続くと見る。「昨年、中国の景気鈍化と元切り下げ懸念で、中国からの資本流出は過去1年間で、8000億ドル(約100兆円)に達した。今後もドル高が続けば、中国はドルペッグの崩壊を防ぐため、(元買い・ドル売り介入をせざるを得なくなり、ドルの外貨準備残高が減り)資本流出額がさらに拡大する。従って、この事態を回避するには元を切り下げ続けなければならない」という。しかし、同氏は、「これは、さらに資本流出を早めるという悪循環にもなる。切り下げで中国製品の価格が低下し、世界的なデフレショックが起こるという懸念もある。デフレショックが本当に起こっても、FRBが年内の利上げを延期し、逆に、金融緩和を強めれば、元切り下げによるデフレショックは回避できる」とも述べている。

米国のノーベル賞経済学者ポール・クルーグマン氏も8月12日付と13日付のニューヨーク・タイムズ紙のブログ記事で、「ちょっと前まで、特に2010年は、米国のリベラル派は、元は過小評価され安過ぎだと批判していたが、今はすっかり様変わりし、元は過大評価され高くなり過ぎだ」と指摘した上で、「中国は金融政策によって景気を刺激したいが、ドルペッグの固定相場制ではうまくいかない。だから、中国が自由変動相場制に移行して日本のように金融政策を自由に使えるようになりたいと考えるのは経済的に見て理にかなっている」とし、元切り下げに踏み切ったことを擁護する。

ただ、クルーグマン氏は、「日本が金融を緩和しても、円は自由変動相場制なので資金が海外に流出して円安になっても、円が十分下がったと投資家が感じたら円安が止まり、将来の円高を見越して日本の証券を買うインセンチブができている。確かに、中国は今回の切り下げで、ドルペッグはもはや堅牢ではないということを示した。しかし、中国は切り下げただけで、変動相場制に移行しなかったばかりか、切り下げも不十分なため、将来の元高を投資家に予想させることもできなかった。切り下げはほんのわずかにとどまったため、投資家には元はさらに低下するとの予想を抱かせた。これは中国からの資本流出が加速することを意味する」と警告する。

その上で、クルーグマン氏は、「これから中国がすべきことは自由変動相場制に移行することだ。それは元の大幅下落を意味し貿易摩擦問題を引き起こすことになったとしてもやるべき価値がある。ただ、中国の指導者はこれまでのところそうする準備を進めてきたという気配がない。むしろ、小動きしてささやかな利益を選択した」と批判的だ。

また、今回の元切り下げを受けて、今後、米政府や議会で中国の為替操縦が再び問題になることについて、クルーグマン氏は、「中国の景気鈍化と元の上昇ペース、さらには他の新興国との市場競争が激化して、2010年以降この5年間で中国の国際競争力が大きく失われた。それは金融緩和を正当化し、2010年当時の景気過熱の状況とは全く異なる。米国の経済状況もまた5年前とは変わった。流動性の罠(現金が銀行システムの中に滞留し、経済の中に染み出ていかない状態)にそれほど深くはまっていないし、中国の元安誘導の為替操縦にも米国経済は脆弱ではない」とし、米国が元安誘導で中国批判を強めるのは的外れと指摘する。

一方、中国の元切り下げは通貨戦争火の始まりという論調も少なくない。米経済紙ウォールストリート・ジャーナルのグレッグ・イップ記者は8月13日付の記事で、「最近の通貨引き下げ競争は通貨戦争とはいえない。なぜなら、国内の低金利とQE政策で内需が拡大し貿易相手国も恩恵を受けたからだ。しかし、今回の中国の切り下げは金融緩和政策の一環ではなく、通貨切り下げで貿易相手国が打撃を受ける、つまり、一方の利益が他方の損失になるゼロサムという意味で、真の通貨戦争の火ぶたを切ったといえる」とし、「今回の切り下げは単に輸出の刺激が目的。利下げによる(信用緩和でクレジット市場の過熱に伴う)負債の増加や資産価格の上昇を狙ったものではない」と分析する。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

増谷栄一の最近の記事