「制作会社ガチャ」「オワコン」と言われ… ドラマ化・アニメ化の弱点を考える
ドラマ「セクシー田中さん」の放送後に、原作マンガを手掛けた芦原妃名子さんがネットでのトラブルに巻き込まれて亡くなった問題。日本テレビや小学館の報告書で、ドラマ化時の原作改変を巡る現状が明かされ、それを受けてさまざまな意見が出ています。ドラマ化、アニメ化のメリットは語られますが、その反対のデメリット……弱点について考えてみます。
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◇映像作品の“格差” 今後はさらに進むか
マンガ家や小説家などの創作者(クリエーター)にとって、自分の作品がアニメ化やドラマ化されるのは、喜ばしいことでしょう。原作のコミックスや小説がさらに売れてふところは潤うし、知名度も上がります。ネット配信が当たり前になって、海外もビジネスのターゲットになるなど、コンテンツの重要性がより高まっています。
しかし物事には、何かのデメリットは存在するもの。メディアミックスもその“宿命”から逃れられません。関係者に話を聞いていくと、今後の映像化に際して、今さらに原作者の心の負担が増えるのでは?という指摘がありました。ドラマやアニメの出来について、豪華でしっかりした作品とそうでない作品の“格差”が今後拡大し、そうなると原作者は“格差”に悩むようになるのでは……というものです。
少なくともアニメでは製作費も高騰していますし、世界から評価されるということは、海外資本との競争もありますから、その可能性は大いにあるといえます。今年に映画「ゴジラ-1.0」(山崎貴監督)がアカデミー賞の視覚効果賞を受賞し、並み居る巨額予算をかけた映画を退けて、低予算で成し遂げた快挙に沸いたわけですが、裏返せば予算の厳しさを露呈したとも言えます。
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今ではテレビだけでなくネット配信もある時代で、より多くのコンテンツが要望され、優れた原作を求めてかつての名作にも手を伸ばしています。潤沢な予算と時間があれば、高品質でかつ原作改変に対しても配慮が行き届いた作品になり、そういう作品はファンから絶賛される可能性が高いでしょう。一方で、そうでない作品は、出来の良い作品と比較されてしまうことに。批判されるならまだしも、話題にならずスルーされるほどこたえるものはありません。原作に思い入れのある原作者は、その状況を理解して、かつ耐えられる“覚悟”があるのか……ということです。
◇「制作会社ガチャ」 原作の人気次第で…
アニメファンの間で使われる言葉に「制作会社ガチャ」というネットスラングがあります。アニメ(映像)の出来栄えが、担当した制作会社などで概ね決まる……という意味合いです。「ガチャ」とは、何が当たるか運次第で大きく変わることを皮肉っています。近年では流行語大賞にノミネートされた「親ガチャ」などが類似の言葉でしょう。
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有力な制作会社が担当するとなれば、ファンは盛り上がり、それだけで放送前・配信前から一定の支持が期待できます。「制作会社次第で期待の度合いが変わる」という一面があるのは確かです。
ただし映像化は、原作者サイドに企画が提案された時点で大枠(出演者やスタッフ)が決まっていることもあります。さらに即座にオファーのある有望な原作は「映像化権」の奪い合いになり、潤沢な予算(=優れたスタッフもつく)がつくわけで、その時点で有利不利は明確になります。放送前にノーマークだった作品が放送後にブレークする例はあるものの確率は極めて低く、「制作会社ガチャ」になる手前の、「原作の人気次第」というのが適当なのかもしれません。
◇映像の出来で病む原作者も
作者の目が隅々まで届くマンガや小説とは異なり、映像化はチームーー多人数の作業です。原作者が介入しても限界はあり、委ねる形になりがちです。原作者の映像化に対する考えに差はありますが、細かいところに目が行くタイプの原作者ほど、映像の出来映え、ファンの評判が気になるでしょう。原作者は自身の作品に思い入れがあるもの。映像化の出来に納得いかず、失望した原作者が心を病むような例があると聞かされたことがあります。
出来映えの話をすると、スタッフの側も、制作中の映像の質が期待通りにいかず失望することがあるのです。自分の仕事でベストを尽くそうとするものの、集団の作業ですし、納期や予算、トラブルなどで完成したサービス・商品(コンテンツ)に満足いかない……というのは、社会人ならだれもが経験するでしょう。しかしコンテンツでそうなると、批判(場合によっては炎上)を受けやすい構造です。
そうなるとアニメ・ドラマ化の条件を見て「断る」という選択肢もありますが、その“誘惑”に耐えられるかです。そして断れば、多くの人が作品を知る機会を逸しますから、モヤモヤすることもあるでしょう。そして受けてしまえば、ある種の“覚悟”を求められるのです。
◇アニメ・ドラマ放送後に「オワコン」扱い
さらにメディアミックスに成功したからこそ生じるデメリットもあります。アニメやドラマの放送(配信)で人気を博し、その後放送が終わって人気が一段落するなどした後で、一方的に「オワコン」などと言われてしまうことがあります。「オワコン」とは、「終わったコンテンツ」の略称で元はネットスラングですが、今は「流行・サービスが終わったもの」など「終わり」的なニュアンスにもなって、広く使われつつあり、一般化しつつあります。
よく考えると、ドラマやアニメの放送が終わってメディアの露出が減れば、話題が次に行くのは当たり前です。そして人間は元々飽きやすく、すぐ次の刺激を求めますから、人気を絶頂のまま維持するのは不可能。しかし、ネットで誰もが発言できるようになり、言葉が可視化されてしまいます。書き込んだ本人はその気がなくても、少しでも数が集まればそう見えますし、極端な意見ほど面白おかしく取り上げられて拡散される面があります。ネットの構造上、どうにもならない一面があるのですが……。
全体的にかつビジネスの視点で見ると、メディアミックスは原作者のプラスになることが圧倒的なのは確かです。しかし、映像化に納得できず失望したり、オワコンと揶揄(やゆ)されてモチベーションが下がることもあるのです。ケース・バイ・ケースというしかないでしょう。
◇課題 創作者の心をどう守るか
原作者になるマンガ家や小説家たちは、創作に打ち込む分、孤立しがちな面があります。視点が鋭すぎて一般には理解できないような天才肌もいて、編集者もフォローするのが大変ということもあるわけです。そんな中でネットは、彼らにダイレクトに言葉が届きやすい特徴があります。そして一部の厳しい言葉ほど目立つので、原作者の元に届いて心に突き刺さるといいます。
個人的には、ネットの書き込みをシャットアウトするとか、見ても言葉半分にするのが有効と考えています。しかしネットの意見をなるべく取り込んで、コンテンツに反映させようとする創作者ほど、そうした心のない言葉に反応しがちな気がします。
メディアミックスを考える時、原作の改変を含めてコンテンツをどう扱うかも大切ですが、同時にネットの声に対して、どう対策をしていくのか。簡単ではない話ですが、コンテンツ・ビジネスを生み出す源泉であり、稀有(けう)な才能を持つ創作者の心を守ることは、より考えていくべき課題ではないでしょうか。