寺田寅彦忌、天災は忘れないうちにやってきた平成30年
平成31年(2019年)1月1日の天気
平成31年(2019年)は、強い寒波の南下が一段落し、極端な西高東低の冬型の気圧配置ではなく、冬に多い西高東低の冬型の気圧配置でスタートしそうです(図1、図2)。
極端な現象が多かった平成30年(2018年)と違って、日本側の地方は雲が多く、太平洋側の地方は晴れるという普段の冬の天気でのスタートです(タイトル画像参照)。
平成30年(2018年)の自然災害
平成30年(2018年)は自然災害が多い年で、物理学者で随筆家の寺田寅彦が言ったとされる「天災は忘れた頃にやって来る」ではなく、「忘れないうちに」「まだ爪痕が残っているうち」にやって来ました(表)。
1月の雪に始まって、豪雨、台風、地震と自然災害のニュースが相次いだ1年でした。
寅彦忌
伝説の警告「天災は忘れた頃にやって来る」を言い出したといわれるのが、物理学者で随筆家の寺田寅彦です。
明治11年(1878年)11月28日、寅年の寅の日に生まれたので寅彦と名付けられた寺田寅彦が57歳で亡くなったのは、昭和10年(1935年)12月31日です。
大晦日は寅彦忌、あるいは、ペンネームの吉村冬彦から冬彦忌です。
寺田寅彦が、生前の日本帝国陸軍と海軍が絶大なる力を持っていた時代に主張していたことがあります。
それは、防災のためには軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考えです。
昭和9年の11月に書いた「天災と国防」には、防災のための具体的な施策として科学的国防軍創設の提案があります。
災害が相次いだ寺田寅彦が亡くなる前年
寺田寅彦が亡くなる前年、昭和9年(1934年)は災害が相次いでいます。
3月21日には北海道函館市で大火が発生しています。発達中の低気圧による強風で函館市の人口の約半分の10万人が被災するという大火となり、2166名が亡くなっています。
7月10~11日の北陸地方は、活発な梅雨前線による大雨と、前年度の豪雪で山に残っていた雪が解けたことが重なって大規模な洪水が発生し、石川県だけで100名以上が亡くなっています。
9月21日に高知県室戸岬付近に、台風が上陸し、大阪湾に高潮が発生するなど、京阪神地方に甚大な被害をもたらし、3036名が亡くなっています。このため、この台風は、室戸台風と呼ばれています。
防災には科学的な考え方が重要
「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦が言ったとされていますが、著書の中にはその文言はありません。これに相当する発言が色々と残されていますので、周囲の人が名言として受け止めたのです。
寺田寅彦は、函館大火の翌々月の中央公論に「函館の大火について」という文章を書いています。
この中で、日本人の科学に対する態度が、「一方において科学の効果がむしろ滑稽なる程度にまで買いかぶられているかと思うと、一方ではまた了解できないほどに科学の能力が見くびられているのである」と指摘しています。
また、「災害を避けるためのあらゆる方法施設は、科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要」と主張しています。
例えば、災害が相次いだ昭和9年の11月に書いた「天災と国防」には、防災対策が進まない原因は、希にしか起こらないので、人間が忘れたころに次の災害がおきるという意味のことを書いています。
科学的国防軍の創設を
昭和9年の11月に書いた「天災と国防」には、防災のための具体的な施策として科学的国防軍創設の提案もあります。
防災のためには軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考え方は、現在の防衛省や消防庁などの業務の中で実現しています。
年末年始で多くの人が休んでいます。しかし、防衛省や消防庁、気象庁や海上保安庁、地方自治体などの防災担当者は休みなく活動しています。
年末年始も休みなく備えている人々によって、私たちは災害から守られているのです。
タイトル画像、図1の出典:ウェザーマップ提供。
表の出典:著者作成。