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錦織圭の一番の恩人、盛田正明氏が、国際テニスの殿堂功労賞受賞。今も変わらぬテニスへの情熱

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
記念トロフィーを受け取った盛田氏(左)と笑顔の錦織(中央)。(写真/神 仁司)
記念トロフィーを受け取った盛田氏(左)と笑顔の錦織(中央)。(写真/神 仁司)

「まさか自分が受賞するなんて、思ってもみなかったことです。今でも何で受賞したのか、いろいろな人に聞いて回っているんですよ(笑)」

国際テニス殿堂功労賞(2017年度)を受賞した盛田正明氏は、開口一番笑顔でこのように話した。

この賞は、国際テニスの殿堂とITF(国際テニス連盟)から、毎年一人だけ選ばれるもので、世界で18人目の栄誉だ。日本人では、2005年にITF副会長を務めた川廷栄一氏(故人)以来、2人目の受賞となった。 

盛田氏は、日本テニス協会会長(2000年~2011年4月)を務めただけでなく、プロテニスプレーヤーを目指す子供達の海外テニス留学をサポートする奨学金を給付する「盛田正明テニスファンド」(以下MMTF)を創設し、私財を投じて活動した。それらのことが評価されたようだ。

現在、日本テニス協会名誉会長の盛田氏が、MMTFを始めたのは2003年からで、ソニーを退職した後のことだった。

「自分の夢を持たないといかん。でも、70歳になって、自分の夢となると、そんな大きな夢は持てない。ならば、子供達に自分の夢を託せばいい。これからは、自分の夢ではないんだ。残りの人生で若者を育てる夢を、自分の夢にしよう。そうすれば、自分が死ぬまで夢を持ち続けられる」

このような思いで始めた盛田氏のセカンドドリームは、ある少年によって具現化していく。MMTFの奨学生の中に、錦織圭がいたのだ。

錦織は、日本男子テニスプレーヤーで初めてトップ10入りを果たし、最高世界4位になった(10月25日時点)。

さらに、2014年USオープンでは、テニス4大メジャーであるグランドスラムの決勝に日本人として初めて進出し、準優勝に輝いた。だが、その時盛田氏は所用でニューヨークを訪れていなかった。一番の恩人が来ていなかったため、錦織は「このタイミング、決勝まで来ちゃったかという感じですけど、本当に一番感謝しています。次、優勝するのを(盛田さんに)見てもらうために、今日は負けました(笑)」と冗談をいうほどだった。

今回の盛田氏の授章式には、錦織が急きょ駆けつけ、今までのお礼と共にお祝いの言葉を送った。

「この度は、素敵な名誉ある賞、おめでとうございます。盛田さんには、本当に小さい頃からお世話になって、今までのサポートがなければ、もちろん今の自分はいなかった。特に、田舎にいた僕にとって、アメリカに行けたことは、本当に大きな夢の第一歩であり、それが今まで自分を成長させた糧になって、こうやって今の自分がいる。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

錦織から花束を受け取り、思いがけない祝福を受けた盛田氏からはあふれんばかりの笑顔がこぼれた。

「こういう素晴らしい賞をいただくことができて、大変幸せでございます。私も、少々年をとってまいりましたけども、まだまだ頑張るつもりでおりますので、これから皆様と一緒に、日本のテニスをもっと楽しく、もっと強くしていきたいと思います。その代表が、錦織圭選手であります。これから錦織圭選手に続く、2人目、3人目の選手を皆さんの力で、一緒に輩出をして、日本のテニスをもっと素晴らしいテニスにしていきたい」

盛田氏の未来への思いと子供達へかけるセカンドドリームは、89歳になった今なおも変わらない。

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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