ノルウェーのサウナ事情を調べていたら、外見重視の風潮とプールについて考えることになった
ノルウェーのサウナ関連の記事を執筆中、北欧政治が専門の私は「都市開発計画」と「政治」(国や自治体が新しい文化事業をどのようにサポートしているか)というメガネでサウナを考える傾向がある。
サウナ施設の取材には『公衆サウナの国フィンランド』(学芸出版社)を出版したこばやしあやなさんも同行していたので、彼女はきっと私とは全く違うメガネでノルウェー事情をいつか語ってくれるだろう。
さて、こちらは「フィヨルドを楽しもう」というオスロ市の公式動画。首都でのサウナ施設の増加は、この都市開発の流れにある。
オスロ観光局の公式動画「オスロフィヨルドに浮かんでいるサウナ」
昔の資料に目を通すと、この国のサウナ事情には「海の国」ならではの背景と「市民プール」が関係しているようだ。そして最後には、外見重視の社会について考えることになった。
サウナ関連の歴史情報を読んでいると、たまに昔のノルウェー語が出て来たり、文字情報が多くて理解するのに一苦労するので、ここに要約してみた。
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海の国で広がる海水浴
ノルウェーでのサウナの歴史には、「海岸線に囲まれた地形」と「市民の憩いの場であるプール施設」が関わってくる。
市民の身体を清潔にする手段でもあり(つまり病気の感染防止対策)、子どもの遊び場でもあることから(市民の心の健康にもつながる)、政治との関わりも深い。
1800年代のオスロでは海水浴カルチャーが栄えていた。
発祥は1700年代の英国から。身体を頻繁に洗う習慣が市民の間に広がっていなかった当時、「海水は健康に良い」と言う医者もいたことから、次第にフィヨルドで泳ぐようになった。
フィンランドからのサウナ影響、海水汚染で海水浴が遠ざかった時代も
ノルウェー北部ではフィンランド移民の影響で1600~1700年代にサウナが広まった。
この国は地理的に縦に長い国なので、南北で発展するライフスタイルや価値観は異なることが多い。
首都オスロは南部に位置し、海岸線・オスロフィヨルドがあるビョルビカ地区に海水浴専用の船が設置されたのは1820年。
しかし1900年代初頭に海水汚染が問題となり始め、戦争も始まったことから海水浴の習慣は薄れていく。
身体を殺菌するために、もっと入浴を!
1930年代から労働党は市民の「健康と幸福のため」に、「全ての人に浴室を」という目標を掲げる。
とはいえ殺菌のために体を洗おうにも、市民の全住居に浴室があったわけではなく、市民の「身体を洗う」ことに関する教養や認知度は低かった。
自宅に浴室があるのは富裕層ばかりで、経済的に厳しい家庭との格差も広がる。平等にこだわる北欧の人は、格差をできるだけ解消することに必死だ。
誰もが体を洗えるように、市民プールを
だからこそ、公共の浴室、つまり市民プールの設置が急がれた。
ノルウェーで最初の公共プール施設が誕生したのは1920年。
オスロのビシュレット地区に建てられたプールでは、水泳をしている間に衣服を乾かす部屋もあった。市民も労働者も、誰もが体も衣服も洗い、そこにはサウナもあり、清潔な体と心の状態へとリフレッシュすることができた。
ここまでの流れを知ると、なぜ今もノルウェーのプールにはサウナも併設されているのか納得がいく。
下の動画はオスロ市の市民プール「フログネルバーデ」
フィンランド人の身体は清潔、ノルウェー人は……
それでも1900年代のノルウェーでは体を洗う場所はまだまだ少なかった。
当時の浴室と健康の専門雑誌には、「フィンランドには30万のサウナがあり、ノルウェーではたったの97しかない」、「フィンランド人は肌がきれいな人々」と記載されていたそうだ。
1930年にはノルウェー入浴連盟のトップが当時の状況を心配して「入浴を毎日しない人は豚だ」とまで発言。
自分たちの身体がどれほど不潔かという自虐的な記述は他にも出てくる。
ここまで調べていて、私の頭にはふつふつと日常生活で沸く疑問がぴんとつながり始めた。
「ノルウェーの託児所で子どもの頭にシラミがついているのは、毎日シャワーを浴びないからでは。大人の女性も髪を毎日洗うことはしない。洗わない習慣はこの時代からきているのか。でも、それにしては衣服の殺菌に関してだけは、今は敏感なんだな」(「バクテリアが」ということを気にして、60~90度で洗濯する人が多い)。
とはいえノルウェーの経済発展と同時に、体を洗う習慣は少しずつ浸透していき、プールも増えていく。
1960年代には市民の半数の家にバスルームがあった。1970年代になると首都ではフィヨルドの水質も改善され、再び市民が泳げるように。
現在の課題「泳げない市民」
2020年の今、ノルウェーで問題となっているのは病気の予防や清潔な身体ではなく、北欧諸国で最も「泳げない」市民が増えていること。
ノルウェー水泳連盟によると、水泳が上手な10代はノルウェーでは50%、一方でご近所のアイスランドでは90%。
このことは現地でも頻繁にニュースになっている。
水の事故を防ぐためにも、プール施設を充実させ、子どもや若者に泳ぎ方を教えることが国の課題だ。
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労働党とプール
これをまとめていて、ノルウェーで統一地方選挙があるたびにプールが議論となる背景を、私はようやく理解ができた。
そういえば市民プール政策を話題にするのは労働党であることが多い。
とはいえ労働党は公約では掲げるが、他党との妥協と交渉でプールが最終的に優先されることはなく、だからプール施設はあるのに放置され、プール内部は水がなく空っぽという状況になるのだ。
だからこそ「市民がフィヨルドで泳ぎたいと思うには他に何ができるか」を考えるのも良い手なのだろう。
市民プールだけではなく、フィヨルドでも泳ぎを楽しむ人が増えたら、市民のウェルビーイングや水難事故などの複数の課題も解決できる。
ただ、「サウナだけ」だと乗り気ではないノルウェー人もいるように、「泳ぐ」というだけでは乗り気ではない人もいるだろう。
同じ場所で同時に日光浴、サウナ、友達と一緒にビールを飲むなど、別の体験をセットできる環境を整えることが、水泳が上手な市民の増加につながりそうだ。
しかし、海岸線に恵まれた国なのに、なぜ泳げない人が多いのか?なぜプール問題があるのか?なぜ海とサウナのセット体験が浸透してこなかったのか?
1年の半分ほどが冬のような天候、というだけの問題だろうか。
私が思いつくノルウェーの一部の人が水場に行かない理由は、水着だ。
自分の肌と向き合う環境と、他人との比較の現代で
若者はSNSの使用率が高いため、水着姿の写真や他人との外見の比較が原因でメンタルヘルスを悪化させることもある。
ノルウェーはもともと雪と山の国なので、定番のアクティビティはクロスカントリースキーや登山。たくさんの服を着こんで、肌を他人に見せることは少ない。
SNS時代になり、水着を着て肌をさらす活動にはより気が滅入る人がいるのかもしれない。
自分の水着写真をネットにアップしなければいい、という問題ではない。更衣室に行けば他人の身体を見ることになる、インスタグラムを開けば他人が水着姿で楽しんでいる写真が目に入る。「気にするな」という精神論だけで、どうにかなるものではない。
私もサウナや海水浴をすることが増えた途端、たまに自分の写真を見て、たぷたぷした部分に「うーん」とつぶやいてしまう。冬に厚着していると、こんなに目にすることもないから、余計に自分の身体に「おやまぁ」と思う。
ノルウェーでは自分にも他人にもストレスを与えないように、ジムでは露出が多いウェアの着用はしないようにうながされている(日本の雑誌などで見るようにお腹を出していると、ジムでは注意されることもある)。
男の子も女の子も外見への重圧を感じている。水泳の授業の参加を嫌がる子どもや若者が増えており、ノルウェーでは毎年ニュースになっている。
細すぎる体や加工・修正したかのような広告写真は公共の場では禁止する自治体もある。
そもそも日本のような競争社会と違い、北欧は競争や勝ち・負けを生むシステムを好まずに「平等」にこだわる国。
だからこそ他人と自分を比較してしまう環境に大きなストレスを覚える。それほど敏感に反応する社会なのだ。
水場ではどうしても衣服を脱ぎ、自分や他人の身体を見ることになる。
外見重視ストレス社会が変われば、海水浴もプールもサウナも、利用者は増えるのだろう。
ノルウェーのサウナ事情には子ども時代のプールが関わってくる
私の周りのノルウェー人の友人にサウナ体験を聞くと、「子どものころにプールで入ったことがある。今はサウナに入ることはあまりない」というパターンが多い。
子どもから大人になる推移で、プールや水泳の体験がどこかで切れているのではないだろうか。だから水泳とセット体験になっていたサウナも遠ざかったのでは?
「ノルウェーでのサウナ事情」を調べていたら、思わぬ方向へと視点がずれて、これはこれで興味深い。
商業的な動きだけではなく、国や自治体の政治で「フィヨルドをもっと市民に開放」する運動がこれから活気づけば、サウナーも一気に増えそうだ。泳ぐ目的が増えれば水難事故も減らせる。
外見ストレスとメンタルヘルスの課題は、これから水着のデザインやメディアでモデルとなる人の体系に多様性が広がること、他者との比較・写真・SNSという課題の認識や意識改革のプロセスが必要そうだ。
参考文献(ノルウェー語)
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