「認知症の避難者もいる。二次避難を」関連死対策が急務 珠洲市正院町避難所からのSOSを出す22歳
石川県能登半島の北部、奥能登に位置する能登町宇出津。病院に勤務する看護師から筆者のLINEにSOSが届いた。
「被災者の救急搬送は止まず、検査や透析はできない状態です。また、断水のため、オムツや食料、飲み水が限られてきました。感染対策を取らなければならない、また、常に清潔でいなければならない医療従事者が汚い状態で仕事をしています。私も本日は人員不足のため24時間勤務をしています。とにかく、ひどいんです。SOSを出すのもそうですが、今奥能登はとてもひどい状況であることを改めて堀さんに知っていただきたく、ご連絡させていただきました」
人も医療物資も足りず、支援も届きづらい環境の中で、自分自身の職務を懸命に全うしようとする最前線の看護師の苦しい胸の内だった。今、やりとりを続けている。
令和6年能登半島地震発生から8日で1週間が経過した。
石川県では、これまでに168人の死亡が確認され、安否不明者は323人に上る。また、7日午後2時時点で県内の404か所で避難所が開設され、2万8821人が避難生活を続けている。
筆者の取材では、孤立した集落で、損壊した住宅にとどまっていたり、農業用ハウスやガソリンの切れた自家用車の中で避難を続けるお年寄りにも出会った。
未だこの災害による被害の全容は把握できておらず、復旧、復興の見通しにはまだまだ時間がかかる。安否不明者の捜索に加え、避難生活での体調の悪化やストレスによる「関連死」への対策が急務だ。
こうした中、一刻も早い生活の確保のための「二次避難」の実行を求める若者がいる。石川県も「二次避難所」として受け入れに前向きな宿泊施設を探し始めている。
これまで70人の死亡が確認され、145人がケガをした、珠洲市。市内の62の避難所に6800人あまりが避難している。
そのうちの避難所の一つ、正院町の正院小学校で家族と避難生活を続ける、安宅佑亮(ゆうすけ)さん22歳。実家は倒壊、留学先の上海から急遽帰国し、家族のもとへ駆けつけた。
今、安宅さんは県外に住む大学の友人や先輩などと繋がりを最大限に活かしながら、能登の窮状を発信し、避難者たちを支えるための様々な取り組みを行っている。震災から1週間を前に、安宅さんにインタビューした。
◆8割が高齢者 だんだん元気がなくなってきている
堀)
今、安宅さんが避難している現場の状況を教えてください。足りないもの、衛生面、感染症対策、人的不足、さまざま避難所での課題が言われていますが、正院町の現状はいかがでしょうか。
安宅)
やはり、衛生面をすごい気にしています。やはりトイレ。今は結構ましになっているんですけど、2日前まではグラウンドに穴を掘ってそこに仮設テントを立てて用を足したりとか。最近ようやく仮設トイレが来て状況は少し改善されました。食料は足りるようになってきました。しかし、風邪をひいたり、何か体調が悪い人も出てきています。
堀)
どういう方の避難が多いのですか?
安宅)
今、避難所は大体300人から350人ぐらいが避難していて、正確な数字はわからないのですが、体感でその8割は高齢者です。車があって、お子さんがいる人たちは、金沢にでれる人たちは既に避難所を出ました。今いる人たちは本当にここに家があって、その家がもう潰れてしまって、本当にここにしか住むところがない高齢者の方々がいます。
堀)
安宅さんの写真や映像を見ると、物資が届き始めた様子が伺えますが、状況はいかがでしょうか。
安宅)
支援物資は、ここ1週間ぐらいはいけるのかなっていう量が揃っている感じがしてます。ただ僕たちの避難所は結構大きい規模なので、多分優先的に運ばれている事もあって、今日聞いた話だと、他の近くの数十人規模、50人未満の規模の避難所は全然来ていなくて、僕たちのところまで取りにやってくるという状況です。全く水がなかったり、お米が届いていなかったり、そういうレベルです。
堀)
避難所によっての格差が生じているようですね。天気が心配です。雪も降っていますし、雨も続きそうです。
安宅)
今、すごく寒いですね。小学校に1台、関西電力から高圧発電車、高圧で発電してくれる車が一番飛んできてくれて、その電気で小学校の電気はまかなえてるんですけど、それ以外の町は全く電気がないから真っ暗で。一応エアコンが使えるんですが、やっぱり寒い。穴が開いてたりとかしてて、結局、毛布を2枚3枚かぶって寝たりしている感じですね。
◆最大の課題は人間関係 認知症のお年寄りのケアも
堀)
今一番の課題、そしてこれからの懸念を教えてください。
安宅)
課題は、避難所内の人間関係です。僕も地震で家がなくなってしまったので、避難所で寝泊まりさせていただいってるんですけど、いびき一つとってもそれがうるさく感じられたり、人々のストレスが高まっていくのを感じています。
さらに、認知症のおじいちゃんとかがすごい大きな声で喋られたりとかするので、ちょっと周りが少しやっぱり寝たいからピリつき始めるみたいなのをすごく感じています。
やぱり、みんなこの避難所生活がどれだけ続くか不安で、想像すらついてない。ちょっとずつ生活水準に対して期待感が出てくる頃だと思っていて、その中でどれぐみんながそれなりにストレスを抱えずに、ストレスを発散しながら、生活できるのかというのがすごい課題な気がしています。
健康面でもお年寄りの人とかはだんだん元気がなくなっちゃう、一緒に体力もちょっとなくなっていくのかなと思っていて、精神面的なケアが今すごい必要な段階なのかなっていうのは感じてます。
堀)
ケアをする人たちの人員というのはなかなか揃わないんじゃないかなと想像しますけども。
安宅)
はい。日本赤十字社の方とか、特定非営利法人の看護師さんとかが結構避難所の中に、ビブスを着て、活動していただいてるのは見ていて、結構ヒアリングしたりとか「どっかに痛いとこないですか?」とか「何かありませんか?」みたいなのは、聞いていただいてる。それはすごい助かってるなという感じです。
堀)
緊急支援から生活支援へだんだんフェーズも移ってきたということで。
安宅)
そうですね。今ちょうどそのときだと思います。
堀)
ヒューマンリソース、人的なリソースは足りてますか?
安宅)
やっぱり避難所を運営するのに限られた人たちが不眠不休でやっていたりするので、正直足りないと思います。できれば僕たち300人ぐらいを統率してくれる人が必要です。
現在は、町内の区長さんなどが頑張ってやってくれているのですが、結構その人たちの疲労感みたいなのも、すごい隣にいて感じます。運営をしている人たちの疲労感が結構溜まってるなってのはすごい感じてるところですね。
堀)
安宅さんご自身は、どういう思いで避難所での活動を続けているのですか?
安宅)
まず、一番良かったのはやっぱり家族と会えたことです。地震が起きてからすぐに上海から帰国し、珠洲市に戻り、そこで父や母に会えた瞬間はすごい泣いて喜んでくれたし、これから家もないんで「どうする?」みたいな、ここ1ヶ月2ヶ月、1年後とかを見据えた話もちゃんと家族としてできたのは大きいなと思っています。
あとは、大学のゼミの先輩であるNPO法人「カタリバ」の今村久美さんなどが珠洲市で立ち上げた、現地の高校生とこどもの居場所「みんなのこども部屋」を手伝ったり、大学の同級生で、子ども向けの読み聞かせオンラインサービスを立ち上げ起業した友人がいるので、その人たちとも連携して何かたちあげようと検討をしているところです。
◆「二次避難」先の確保と輸送が急務 関連死を防ぐためにも
堀)
安宅さんが、内側と外側とを繋いで、関係人口を増やしていくための様々な取り組みのハブになっていることがよくわかりました。
安宅)
多分、今動きとして「二次避難」が検討されるようになっていますが、僕もそれにすごい賛成していて、やっぱりここでずっと避難所住まいをするというのは、やっぱり現実的じゃないと思うんですよね。しかし一方で、仮設住宅もいつできるかわかんない。
多分まだまだ1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後とかって思っていて、一旦、能登の人口を域外に出すというのは進めてほしいなっていうのが正直なところです。
ただ、もうちょいマクロな視点で見ると、一旦外に出たたちが帰ってくるのかとか、例えば僕もその一人でしたが、転出者がどんどんどんどん増えてくと思うんですよ。
こんな町に、おじいちゃんおばあちゃんを置いてけないと思った息子娘夫婦が、もしくは県外に住んでいる娘夫婦がどんどんどんどん「おじいちゃんおばあちゃんで僕たちと一緒に過ごそう」みたいな、未来が予想されてしまうので危機感を抱いています。
もちろん今は人命救助、今ある命を大切に繋ぐっていうのが一番の課題であるんですけど、僕は正直、将来、市長になりたいなと思っていたりもするので、この街が今後、どうなったらいいんだろうということも考えつつ今できることを全力で取り組んでいます。
堀)
これまでの大きな災害、東日本大震災をはじめとした数々の大災害からどうやって復興を遂げたのか、人口流出が加速したあと、そこからどうやって新しい街をつくってきたのかなど、ノウハウを共有できる交流などが今後必要になってきますね。
安宅)
はい。本当にそうですね。間違いないです。そういう理由からも、やっぱりこれからもどんどん被災地に関心を寄せ続けてほしい、っていうのが一番の願いです。