「日本の母親と息子の関係は異常に見える」なぜオレオレ詐欺が日本で流行るのか?
「日本で社会問題となっているオレオレ詐欺は、欧米では考えにくい」
そう語るのは、映画監督の中村真夕さんだ。オレオレ詐欺と聞くと、年老いた母親が息子のフリをした詐欺グループに騙されて、なけなしの金を渡してしまうシーンが目に浮かぶ。その背景には、日本特有の母と息子の強固な「共依存関係」が横たわっている、と中村さんは洞察する。
中村さんが脚本を書いて監督した新作の映画『親密な他人』は、息子を溺愛する母親の愛情と狂気を描いた心理サスペンスである。
映画では、一人息子を失って寂しい日々を送る中年女性(黒沢あすか)の前に、オレオレ詐欺グループの若い男性(神尾楓珠)が現れる。奇妙な共同生活を続けるうち、二人が抱える秘密がしだいに明らかになっていくのだが、そこで描かれる主人公たちの複雑な心情と行動が観る者を惹きつける。
「母親の息子に対する並々ならぬ愛情と執着を描きたかった」という中村さん。欧米で長く暮らした経験をもつ映画監督の目に、現代日本の親子関係はどう映っているのだろうか。
母親と息子の強い関係性を象徴する「オレオレ詐欺」
ーー主演の黒沢あすかさんのインタビュー記事によると、中村さんは黒沢さんと会ったとき、「日本の母親と息子の関係が異常に見える」と語ったそうですね。
中村:異常というか、粘着質というか・・・私には、いびつな愛だと感じられたんですよね。もちろん人によりますけど、欧米に比べると、日本の母と息子は密着度が強くて、「共依存」とも言える関係の人たちが多い印象です。母親にとって、息子が恋人に近い存在だったり、息子を通して自己実現を図ろうとしていたり。
ーーそのような母と息子の強固な結びつきと「オレオレ詐欺」がリンクしているというのは、どういうことですか?
中村:オレオレ詐欺は日本で特に多い犯罪で、欧米ではあまり問題になっていません。そしてほとんどの場合、電話をかけてくるのは息子役の男であって、娘役はほぼいない。「オレオレ詐欺」はあっても、「ワタシワタシ詐欺」はないんです。
そこから見えてくるのは「息子のためなら、なけなしの金をはたいても構わない」という母親の姿です。
オレオレ詐欺が母と息子の強い関係性を象徴している、と私は思ったんですが、同じ観点でオレオレ詐欺のことを語っている人は見たことがない。ならば、それをテーマに映画を撮ったら面白いんじゃないかと思ったんです。
ーーオレオレ詐欺というと、老人がいかに騙されないようにするかという点が重視されますが、事件の背後にある親子関係に注目するのはユニークですね。
中村:私は16歳から14年間、イギリスとアメリカで暮らしました。欧米と違って日本の社会では、子供がいくつになっても、親が子供の失敗の尻拭いをする。特に、母親がダメな息子をかばう光景がよく見られる。そこが興味深いなと思っていました。
なぜ母親がそこまで息子に執着するのか。浮かび上がってくるのは、父親の不在です。結婚してしばらくすると、夫婦がお互いを性的な対象と見なくなってしまう。すると、母親は息子に愛情のすべてを注ぐようになり、人によっては、息子が恋人に近い存在になる場合もあるのではないか。
欧米だと、夫婦が男女の関係でなくなると簡単に離婚してしまいますが、日本では家族の単位でありつづけることを選択する人たちも多い。父の不在によって、母と息子の密着度が高まって「共依存関係」になるという現象。私にはそれが日本的な特徴に見えるんですね。
ーーその一方で、映画『親密な他人』に登場する詐欺グループの若い男は、母親の愛情を知らずに育った人間として描かれていますね。
中村:私がリサーチしたところ、オレオレ詐欺などの犯罪に加担している人たちは、子供のころに親に捨てられたというか、ネグレクトされた経験をもつ人が多いんです。「溺愛」の反対で、母親の愛情を知らずに育っている。
そこで、この映画では、子供のときに得られなかった母親の愛情を「疑似体験したい」という欲望をもっている人物が出てきたら面白いと思いました。
息子のためにいくらでもお金を出してくれる親がいてほしい。母親が当たり前のようにご飯を作ってくれる家で暮らしたい。そんな潜在意識をもった男が、溺愛する息子を失った女と出会ったらどうなるか。そう考えながら、映画の脚本を書きました。
子供を「一人の個人」として扱う社会とそうでない社会
ーー中村さん自身の「親との関係」を聞きたいのですが、16歳で海外に移住したのは親の転勤がきっかけですか?
中村:いいえ、一人でロンドン郊外の寮制の高校に入学しました。高校・大学とロンドンにいて、そのあとの8年間、ニューヨークで暮らしました。日本に帰ってきたのは30歳のときです。
ーー16歳で親元を離れて海外の高校に行くなんて、すごく自立した子供だったんですね。
中村:私の家はちょっと変わっていましたから。父は詩人で、母は美術雑誌の編集長。小学生になるころ、父がアメリカに長期留学することになり、母親も仕事ですごく忙しかったので、京都の祖父母の家に預けられたんです。6歳から12歳までは、東京にいる両親と別々に暮らし、盆と正月しか会わないという生活でした。
中学時代の3年間は、再び東京に戻って親と一緒に暮らしましたが、父も母も、親というよりは友達のような関係でした。父親が「真夕ちゃん、僕の悩みを聞いてくれない?」と言ってきて、「なんで、私があんたの悩みを聞かないといけないの!」と思ったり。
そんな親子関係だったので、英語が好きだった私が「海外に留学したい」と言ったら、あっさり認めてくれました。今は親と仲良くやっていますが、子供時代に父や母から溺愛されたという記憶は全くないんです。
ーー親と離れて暮らして、辛くなかったですか?
中村:寂しさを感じたこともありますが、物心がついたときから「この人たちは変わっているな」と思っていたので、仕方がないな、と。私の親は二人とも芸術家系というのもあって、私のことを「一人の小さな個人」として扱っていたのだろうと思います。
日本だと、子供は親の所有物というか、親の延長線上にある存在として子供を扱っている人が多い印象ですが、私の親はそうではなかった。親と子は別の人格だと捉えていた。だから私も親のことを客観的に見ていて、日本の常識的な物差しで測っても仕方がない大人たちなんだ、とあきらめていました。
ーーそんな中村さんが10代後半から20代にかけて、欧米の社会で見た「親子関係」は、日本とだいぶ違っていたわけですね?
中村:全然違いましたね。イギリスの場合は個人主義が徹底していて、冷たい世界だなとも感じました。家庭にもよるのでしょうが、私がいた寮制の学校には、幼稚園ぐらいの小さな子も入れられていて、毎晩のように夜泣きしていました。親が離婚でバタバタしているから子供は寮に入れておけ、という感じの家もありました。
アメリカも離婚している家庭が多くて、両親がともにそろっているのが「普通の家族」というわけではない。家族の形はそれぞれ違っていて、シングルマザーだからかわいそうということもない。そんな環境の中で、子供が早くから個人として自立を促されているわけです。
30歳で日本に帰ってきたとき、「小学生の子供と添い寝している」という親が多くてびっくりしました。日本では「これが普通の家族」という決められた形があるのも違和感がありましたね。
「幸せの形」に自分をはめようと、みんな苦労している
ーー「普通の家族」というと、日本社会では「女性は結婚して子供を産んで育てるというのが普通」という観念がまだまだ強いと感じますが、中村さんはどう思いますか?
中村:日本の社会には「決められた型」があって、その型に自分をはめようと、みんな苦労しているように見えるんですね。「これが幸せという形です。この形にみんなで合わせましょう」。そんな風に言われている気がします。
幸せの形って、本当はいくらでもあるはずなのに、「こういう形でなければいけない」という「圧」を社会から感じます。『親密な他人』の中では、主人公の女性が「圧力鍋の中にいるような気持ちになるの」とつぶやくシーンがあるんですが、そこには私の実感が込められています。
ーーそんな日本社会で「最高の幸せの形」とみなされているのが、母と息子の関係かもしれませんね。
中村:女性は30代半ばをすぎると「良き母になれ」という圧を強く受けるようになります。象徴的なのが女優の世界で、35歳ぐらいをすぎると「お母さん役」しかなくなってしまうんです。
フランス映画では、ジュリエット・ビノシュやイザベル・ユペールが歳をとってもセクシーな女性の役を演じているのに、日本ではそういう役は珍しい。日本社会では、女性が年齢と容姿で判断される。そこにモヤモヤした思いを感じていました。
ーー今回の映画では、黒沢あすかさんが母親としての心情を示しつつも、ときとして妖艶な姿を見せるシーンが出てきます。
中村:映画に出てくるような「おばさんと若い男のちょっとエロティックな関係」に対しては、「気持ち悪い」という反応を示す男性もいます。おじさんと若い女の恋愛映画だったら、いくつもあるのに・・・。
「おじさんファンタジー」は許されるけれど、「おばさんファンタジー」は許されない。それっておかしくないですか、と邦画に対してずっと思っていたんですよね。
【中村真夕(なかむら・まゆ)プロフィール】
16歳で単身、ロンドンに留学。ロンドン大学を卒業後、ニューヨークに渡る。コロンビア大学大学院を卒業後、ニューヨーク大学大学院で映画を学ぶ。アメリカの永住権を持ち、東京とニューヨークを行き来して暮らす。2006年、高良健吾の映画デビュー作、『ハリヨの夏』で監督デビュー。釜山国際映画祭コンペティション部門に招待される。2014年、福島の原発20キロ圏内にたった一人で残り、動物たちと暮らす男性を追ったドキュメンタリー映画『ナオトひとりっきり』を監督。モントリオール世界映画祭に招待され、全国公開される。現在は続編を制作中。ドキュメンタリーとフィクションの両方の世界を往復しながら、映画を創り続けている。新作の劇映画『親密な他人』は第34回東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門で上映され、5月12日までアップリンク吉祥寺で公開中。