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アドバルーン飛ばした脱北者を「野獣にも劣る人間のクズ」――またもや発せられた金与正氏の罵詈雑言

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金正恩政権非難のビラを散布する脱北者団体= 2016年(写真:ロイター/アフロ)

 韓国在住の脱北者(北朝鮮からの脱出住民)団体が金正恩朝鮮労働党委員長を誹謗中傷するビラをアドバルーンに載せ、北朝鮮に向けて飛ばす行為に、北朝鮮側は強い不快感と危機感を抱いている。金委員長の実妹、金与正党第1副部長が自らの名義で談話を発表し、脱北者を「野獣にも劣る人間のくず」「駄犬」などと汚い言葉でののしりつつ、韓国政府に制止を求めた。

◇脱北者蔑視の表現を連発

 金与正氏が4日、朝鮮中央通信を通じて発表したのは「自ら災いを招くな」という題目の談話。韓国の脱北者団体「自由北韓運動連合」が5月31日に金委員長を責め立てるビラなどを北朝鮮に向けて飛ばしたことを、次のように非難した。

「問題は、人間の値打ちのないクズどもが、みだりにわれわれの最高尊厳(金委員長)に手を出し、『核問題』をめぐって無礼に振る舞ったことである」

 談話の中で金与正氏は脱北者を蔑むような表現を連発している。「バカ者ども」「野獣にも劣る人間のクズ」「悪臭を放つ口の手入れもできず、吠え立てる者ども」「トンケ(駄犬)と言わざるを得ない」……。

 さらに、その矛先を韓国政府に向ける。「トンケどもはトンケどもで、うろつきながら悪事を働いているだけなのだから、いまやその主人に責任を問わなければならない」。こう主張しながら、韓国政府に対応を要求した。

 そのうえで「(韓国側が)相応の措置を取らないなら、それが金剛山観光の廃止に続いて開城工業地区の完全撤去になるか、北南共同連絡事務所の閉鎖になるか、北南軍事合意の破棄になるか十分に覚悟しておくべきだろう」と警告した。

 金与正氏はあえて、韓国政府が意欲を見せる金剛山観光事業や開城工業団地の再開▽南北の意思疎通を担うとして韓国側が重視する南北共同連絡事務所▽2018年9月の南北首脳会談に合わせて採択した軍事分野の合意――の撤回に言及し、韓国側を揺さぶっている。

◇韓国内でも葛藤

 金与正氏が問題視した自由北韓運動連合の行動とは――5月31日、「新しい戦略核兵器を撃つという偽善者・金正恩」などと記したビラ50万枚と小冊子500巻、1ドル紙幣2000枚、SDカード1000個を大型アドバルーン20個に入れ、北朝鮮に近い京畿道金浦から飛ばしたことだ。SDカードには韓国の動画などが記録されているとみられ、北朝鮮側は強く警戒している。(参考資料:動画は発信するが、外のものが入ってくると困る――北朝鮮「外国の映画・歌には気をつけよ」)。同連合などは、6月25日の朝鮮戦争70周年を機に、再び100万枚のビラを北朝鮮に向けて散布する計画という。

 韓国の文在寅大統領と金委員長との間で交わされた板門店宣言(18年4月27日)には「(18年)5月1日から軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布をはじめとするすべての敵対行為を停止し、その手段を撤廃し、今後、非武装地帯を実質的な平和地帯としていくことにした」と盛り込まれている。北朝鮮側からみれば、脱北者団体の行為はこの精神に反するということになる。北朝鮮側に、韓国に対する挑発行為の口実を与えてしまうことにもなりかねない。

 脱北者団体によるビラ散布をめぐり、韓国内でも葛藤がある。

 聯合ニュースによると、2014年10月に京畿道で自由北韓運動連合がアドバルーンを放った際、北朝鮮側が高射銃を撃ち、韓国側が対応射撃をするという出来事があった。「ビラを飛ばせば被弾する」と危惧した付近住民たちが、ビラ散布を阻止しようと、脱北者団体と衝突したこともあったようだ。

 韓国政府は脱北者団体によるビラ散布を制止できるのか。

 2015年にビラ散布を警察当局に制止された団体が、国を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。裁判所は「ビラ散布は『表現の自由』を実現するためのもので、原則的には制止できない」との見解を示しながらも「国民の生命と身体に重大な危険を及ぼす可能性がある場合、その制止の手段が過剰でない限り、制止を違法とすることはできない」と判断し、確定している。

 一方で、アドバルーン散布の有効性を疑う声もある。アドバルーンを飛ばしても風で押し戻され、韓国内で発見される例が続出しているためだ。また、自由北韓運動連合が今年4月、「ドローンを飛ばして平壌でビラ1万枚を散布した」と主張したものの、専門家の間には「民間用ドローンがビラを積んで200キロも飛行できるのか」「軍レーダーに全く捕捉されなかった」と疑問視されている。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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