「クリントン新大統領」が日本にもたらすコスト:前門の虎、後門の狼
改めて言うまでもなく、今回の米大統領選挙は史上まれにみる大混戦、しかもこれ以上ないほど見苦しいものでした。最終盤の世論調査ではクリントン候補がわずかにリードしていたようですが、これを書いている時点で開票の大勢は不明で、結果は待つしかありません。
ただ、超大国であることを放棄し、保護貿易に転じる発言を繰り返した「トランプ大統領誕生」が世界に、そして日本に及ぼす影響は広く語られてきましたが、「クリントン大統領誕生」については、比較的オーソドックスであるためか、その限りでなかったように思います。とはいえ、その取り組みは諸外国にも大きな影響を及ぼすことは確かです。
クリントン政権が誕生した場合に、日本が受ける影響について考えます。
「時代の子」クリントン
人間が時代を切り開くものである一方、いかなる人間も時代の要請のもとに登場してきます。それはトランプ候補だけでなく、クリントン候補に関しても同様です。つまり、「クリントン大統領」の采配が米国を動かすとしても、大きな歴史の流れのなかの米国の現在の立場が「クリントン大統領」の針路をある程度左右するといえます。
この観点からまず確認すべきは、多少控えめに言ったとしても、流動化する国際情勢を安定させ、秩序を形成するリーダーシップを持つ国として、米国に大きな期待を抱くことはできないということです。
イラクでIS掃討作戦が大詰めを迎えているとはいえ、シリア情勢に関しては米ロ対立から国連安保理が空転しています。中国の台頭が目立つアジアでは、長年の同盟国であるフィリピンですら(あるいは長年の同盟国という縛りがあるだけになおさら)、拒絶反応を示しています。WTO(世界貿易機関)やG20など、国際的な協議の場でも各国が自国の利益を追求する傾向が強まるなか、これをリードするシーンはほとんど見受けられません。そこには「黄昏の超大国」という言葉が相応しいといえます。
これに関して、例えば大統領選挙でクリントン候補と争ったトランプ候補は、オバマ大統領の責任を問うていました。しかし、ことはオバマ大統領個人の責任に矮小化できるものでなく、米国そのもの、そして国際関係の激変に、その原因を求めるべきでしょう。
グローバル化の恩恵を受けた中ロが台頭し、国連安保理などで米国など西側と対立する構図は、結果的には冷戦時代と同様です。冷戦期もやはり、米ソの拒否権の応酬で、安保理では何も決められませんでした。ただし、冷戦期と異なり、インド、ブラジル、南アといった、それぞれの地域で大きな影響力をもつ新興国が台頭しており、これらはいずれも民主的な選挙が行われているものの、必ずしも西側一辺倒ではありません。つまり、影響力をもつアクター(行為主体)が多様化することで、国家間の相関関係は複雑さを増しています。
その一方で、オバマ政権のもとで米国は、イラク戦争(2003)などブッシュ政権下での一国主義的(unilateral)な行動パターンによって傷ついた信頼を回復するため、国際協調を重視した路線を重視せざるを得ませんでした。これを単純に翻すことは、選択肢が多様化する現在の国際関係において、米国に対する反感をさらに増幅させかねないでしょう。
「米国を再び偉大にする」と叫んだトランプ候補に対して、クリントン候補は「米国は今も偉大だ」と強調しました。しかし、「クリントン政権」の船出は、国際的なリーダーシップを発揮するにしても、あまりに強硬に押し出せば「敵に塩を送る」ことになり、かといって控えめ過ぎれば「敵を増長させる」というジレンマを抱えたものであることは確かです。
超大国であり続けようとするエネルギー
安全保障に関して、「クリントン大統領」は基本的にオバマ大統領の路線、つまり国際協調主義を踏襲するものとみられます。しかし、その一方で、大統領選挙の最中から、クリントン氏はシリアなどでの軍事活動に積極的な発言を繰り返し、中ロに対しても屈さない姿勢をアピールしてきました。
米国主導の国際秩序を揺るがす脅威に対する、オバマ政権より強硬な態度は、オバマ大統領への「弱腰」という批判を受けた、「強気」のアクセルを加速させた選挙戦術にとどまるものではないとみられます。先述のように、米国主導の国際秩序がすでに揺らぎ始めていることは、その大きな背景といえます。
どんな体制や秩序にも、粘着性があります。これは既存の状態を存続させようとする、慣性の法則のようなものと言い換えてもいいでしょう。そのため、従来の体制や秩序が衰退した時、「そのなかで生き残りを図ろうとするエネルギー」とともに「それを立て直そうとするエネルギー」が働きがちです。
今回の大統領選挙の2人の候補に関して言えば、シリア問題など世界の情勢から手を引く姿勢を明らかにしたトランプ氏が、「超大国としての立場を放棄する」ことで米国の生き残りを図ったのに対して、「クリントン大統領」は「超大国であること」を大前提としています。この立場からすると、米国が「黄昏の超大国」であることを拒絶し、現在も偉大であろうとするほど、米国主導の秩序を揺るがす脅威に対して、より強硬な反応を示す方向に向かいがちとみてよいでしょう。
「断固たる態度」をみせる必然性
さらに、クリントン氏のパーソナリティは、これを加速させるものとみられます。
クリントン氏のパーソナリティに関して、欧米メディアの間では大統領選挙の頃から、あるいはそれ以前から「つまらない(boring)」という一言で語られがちでした。夫のビル・クリントン元大統領やオバマ大統領の場合、それぞれで全くキャラクターが異なるものの、人間味を感じさせるエピソードなどに事欠かない点では共通します。しかし、クリントン氏に関しては、クールで超然とした雰囲気がある一方、メール疑惑問題に象徴されるように、秘密主義をうかがわせるところもあります。
これに関して、Deutsche Welleはクリントン氏が「男性優位の政治の世界で弱みをみせないようにしてきたことが影響している」と論評しています。女性の社会進出を阻む「ガラスの天井」を打ち破ることを宣言し続けてきたクリントン氏の主張に鑑みれば、これは概ね当たっているとみられます。つまり、国内の有権者、とりわけ共和党支持者に「弱みをみせない」ようにするためには、「断固たる態度」を国外に向けることになり得ます。
国際協調と「強気」の両立
ただし、オバマ政権の国際協調路線を捨て、一国主義に戻ることは、先述のように米国への国際的な批判をさらに煽るだけでなく、現下の米国の財政事情から考えても、ほぼ不可能な話です。この環境のもと、クリントン氏が「強気」を維持するためには、オバマ政権がイラクなどでのISに対する空爆でEU諸国や湾岸諸国の協力を仰いだように、同盟国や友好国との連携の強化によって「国際社会の取り組み」を強調するしかありません。
しかも、オバマ政権より「強気」を前面に出すなら、同盟国に提携を求める頻度や規模が増えることも予測されます。そのなかには、ロシアを念頭に置いた西欧諸国だけでなく、中東のトルコ、エジプト、湾岸諸国、そして中国を視野に入れた韓国、オーストラリア、フィリピンなどとともに、当然のように日本も含まれます。
このうち、日本の場合、中国への警戒感が深まるにつれ、それと反比例して、米国と足並みを揃えることが増えています。しかし、中国に関してはさておいたとしても、中東やロシアとの関係において、日米間では利害が一致しない問題も珍しくありません。例えば、クリミア半島の併合をめぐり、欧米諸国はロシアへの制裁を続けていますが、日本政府は来月プーチン大統領を迎え、北方領土問題だけでなく、資源、観光分野を中心に極東ロシア開発について協議する予定です。
同盟関係にあるとはいえ、全て米国に付き合っていては、日本の利益は守れません。「クリントン大統領」のもとで、米国が「国際協調」に基づいて従来の秩序を維持しようとするほど、そして日本が中国への警戒感から日米同盟に傾くほど、日本は「バーター」として米国に付き合うべきかの選択を迫られる機会が増えるとみられます。
「クリントン政権」にとってのブロック経済の必要性
経済に目を転じると、日本にとって最も関係が深い問題の一つにTPP(環太平洋パートナーシップ)があげられます。
クリントン氏はトランプ候補とともに、大統領選挙でTPPに反対することを明言していました。しかし、保護貿易の志向が強いトランプ氏と異なり、TPP支持で固まっているウォール街からも政治献金を得ている「クリントン大統領」が、このメガFTA(自由貿易協定)そのものに反対していると想定することは困難です。
のみならず、先述の中国との関係に鑑みても、「クリントン大統領」にとって、アジア・環太平洋をカバーする経済圏の創出は重要な課題です。
自由貿易協定は二国あるいはそれ以上の国の間で、貿易や投資をはじめとする経済取引を自由化する取り決めです。それによって、締約国以外に対する関税を高くするなど、第三国に積極的に不利な条件を導入することは、WTO(世界貿易機関)のルールに違反します。しかし、締約国同士の間の取り引きを自由化することは、結果的には第三国に対して壁(といって差し支えがあるなら「段差」と呼んでも構わない)を設けることになります。
つまり、そのGDPの合計が世界全体の4割にも及ぶ12ヵ国のアジア・太平洋諸国で自由貿易協定を結ぶTPPは、そこに巨大な経済ブロックを作ることに他ならず、それは関係国が利益を確保するとともに、第三国である中国を経済的に「封じ込める」ものでもあります。自由貿易協定は2000年代以降、各地で結ばれており、米国はヨーロッパ諸国との間でも環大西洋貿易投資パートナーシップ協定の締結を目指していますが、これも中ロを念頭に置いたものといえます。
つまり、政治献金という国内の事情からいっても、対中包囲網の重視からいっても、クリントン氏はアジア・太平洋のメガFTA創設そのものに反対しているとはいえません。だとすると、その選挙対策としての「TPP反対」は「現状の合意の履行には反対する」というトーンと理解した方がよいでしょう。
この観点からみれば、「クリントン大統領」はTPP参加国の国内法や制度を精査させ、内容をより厳格に、言い換えると米国に有利な条件に修正させようとすることが見込まれます(実際、米国はチリやオーストラリアとのFTA締結後、これらの国内法を変更することを求めた)。これも日本にとって、再びの交渉を余儀なくさせるという意味で、「クリントン大統領誕生」にともなうコストとみられます。
米中とどのように向き合うか:古くて新しい課題
どのように評価するにせよ、日米同盟は日本外交の基軸であることは確かです。
しかし、繰り返しになりますが、同盟国とはいえ最終的には別の国です。ですから、それによって得られるベネフィットと、そのために負担するコストを天秤にかける必要があることは、言うまでもありません。国際協調主義と「強気」が両立する「クリントン政権誕生」の影響が強くなりすぎることは、「トランプ大統領」と比べて質が異なるものの、日本にとって大きなコスト負担をもたらす可能性は大きいと言えます。
それでも、現代では「中国の脅威」が意識されるにつれ、日米関係最優先の傾向が加速しつつあります。日本にとって、米中とどのように向き合うかは、冷戦期からの古くて新しい課題です。「中国の脅威」への意識が強くなるほど、日本は米国への傾斜を強め、それは「中国に対する安心材料」にはなっても、米国に足元を見られる余地を与えることにもなります。
日本の外交は伝統的に「寄らば大樹の陰」の志向が強く、「安全」とみられる選択肢に依存しすぎる傾向があります。1970年代、2度の石油危機を経て、エネルギー分野で中東に依存しすぎる危険性を指摘されながらも、現代に至るまで輸入石油の約8割を中東に依存していることは、その典型です。「絶対の安全」がない以上、リスクヘッジは不可欠ですが、そこへの意識が薄いことは、日米関係においても同様です。
少なくとも、「中国の脅威」に目を奪われるあまり、米国に振り回されることがあっては、言い換えれば日米同盟から得られるベネフィットを上回るコストを負担する事態になれば、元も子もないことは確かです。その意味で、「クリントン大統領誕生」は日本にとって、感染症を恐れて周囲の雑菌を必要以上に排除し続ければ虚弱体質になることの逆説を、国家レベルでも想起する必要性を示すといえるでしょう。