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【紫式部】けっきょく源氏物語のラストってどうなるの?不思議な結末が今の世にも語り続けているメッセージ

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

はじめに。この記事は源氏物語のラストが、どのように終わるかについて言及しています。古典の作品ではありますが、もしネタバレ等の意味合いから知りたくないという方がいましたら、お戻りください。

源氏物語の主人公とヒロインは?

さて、源氏物語は通常3部構成と見なされており、1~2部は“光源氏”が主人公で、ヒロインは“紫式部”という呼び名の由来ともなっている“紫の上(むらさきのうえ)”です。

しかし3部の主人公は光源氏の子である薫“かおる”(男性)に交代となり、メインヒロインは浮舟“うきふね”(女性)であると、見なされるのが一般的です。

ちなみに薫は光源氏の子という立場ですが、本当は血縁関係がありません。じつは母が別の男性に、なかば強引に迫られて出来た子であり、本人もその事実をそれとなく察して思い悩むなど、複雑な過去をもった主人公なのです。

そんな薫は浮舟と出会って恋に落ちるのですが、同じく浮舟に恋をする匂宮“におうのみや”(男性)というライバルが登場。双方から求愛を受けた浮舟は、最初は薫を選んで2人は結ばれます。

これで恋の競い合いは決着かと思いきや、匂宮は浮舟の住む屋敷へ行き「わたしは薫です」と偽ったうえで潜入するという、まさかの行動に出ます。

もちろん浮舟は驚きあわてますが、匂宮は「これが運命」などと言って、強引に言い寄るのでした。

今の価値観で見ると浮舟には、なに1つ悪い部分はないのですが、世間から「あの方は薫と匂宮を二股して、天秤にかけている」などと、後ろ指をさされるようになってしまいます。

だんだん思い悩むようになり、それが限界に達すると薫と匂宮の両方とも縁を切り、入水して命を断とうとしてしまうのです。

不思議なエンディング

入水した浮舟ですが死には至らず、たまたま通りがかった僧侶に助けられました。しかし浮舟はもとの生活には戻ろうとせず、そのまま出家する決意をするのでした。

ところが薫にとっては愛する浮舟のことが諦めきれず、ある日その居どころを突きとめると、一通の手紙を送りました。そこには「あなたともう一度、男女の夢を語り合いたい」と書かれています。

しかし浮舟は「もう私には、そういう事はよく分かりません」と言い、返事は書かずに手紙をそのまま、送り返したのでした。

それを知った薫は、思います。「むう、おそらく浮舟には他に男がいるな。それを隠すために、こう言っているに違いない」。このような推測をしたところで、とつぜん物語は終わります。

源氏物語は、のべ500人以上とも言われる人物が登場し、あらゆる恋愛が展開される超大作ですが、そのラストは今の感覚からすれば、とつぜん打ち切られたかのようです。

思わず「え、ここで終わり?」というイメージを抱いてしまいますが、紫式部は何故このようなエンディングにしたのでしょうか。

“女性はお人形じゃない”という想い?

源氏物語が書かれた当時は、今よりもはるかに男性優位の価値観であり、貴族といえど女性が1人で稼いで生きて行くのは、困難を極める社会でした。

だからこそ、どれだけ地位のある“殿方”と結ばれるかが、将来の命運を大きく左右したのです。

また恋愛には大きなロマンがありますが、貴族女性からすれば“好かれる”存在を目指し続けなければなりません。それも当時は「あまり顔を見せてはいけない」という価値観があり、積極的に立ち回れない環境ですから、かなりの受け身とならざるを得ません。

さて、そうした前提の中で、物語の光源氏や薫は恋愛への感性が極めて豊かであり、そのこと自体は素晴らしいのですが、その言動により人生の運命を翻弄されている女性も登場します。

浮舟も「薫と匂宮のどっちが好きなの?」という展開が続いて揺らぎますが、ラストの言動は「どちらとも、お付き合いはしません」という宣言にも考えられます。

薫は恋愛脳なので「さては、ほかに男が」などと考えますが、そもそも浮舟には“どちらとも恋愛をしない”という権利もあるハズです。

あるいは、まったく違う第3者を好きになるのも自由ですから、ラストは「私は自分で人生を選びます」という主張とも、解釈することができます。

なお作者の紫式部は、どのように考えていたのか、記録は残されていません。そのため「源氏物語は未完である」という説や「3部は他の作者が書いた」という説も存在するほどです。

しかし紫式部は自身の才覚で生き抜いた、当時としては極めて珍しい女性です。そうしたバックボーンからも「殿方に合わせるだけが、女性の本当の幸せでしょうか?」というメッセージを込めていても、不思議はないように思えます。

そうだとすれば1000年以上もの時を超えて、常識に捕らわれない先進的な考えです。

このように平安時代の文学は、当時の価値観を知る手がかりとなる一方、ときにそれを「打ち破りたい」とも取れる感性にも出会えることがあり、両方の面でたいへん興味深く感じられます。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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