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大麻使用罪に反対する単純な理由

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
独ロイナ 医療用大麻の栽培(写真:ロイター/アフロ)

■はじめに

大麻取締法(1948年)を改正して「大麻使用罪」を創設しようという動きがある。この秋にも改正法案が国会に提出されるという話も聞く。

これは大麻の医療的効用を正面から認め、医療用大麻への道を開くとともに、他方で大麻使用罪を設けてその社会的な乱用を抑えるためである。

そもそもどんな行為であれ、それを犯罪として規定して刑罰を科すなら正当な理由がなければならない。これは、すべての人が認める刑法の根本原理である。違法薬物をみだりに使用した人を処罰するのも、この根本原理から考えないといけない。

■良くないことから遠ざけるための処罰

まず思いつくのは、だれもがやりたがるような「良くないこと」を(公衆衛生の観点から)抑制するには、刑罰が最適だという考えである。

誘惑に負けて手を出してしまったら恐ろしいことになるので、そうならないうちにその者を罰するというわけである。

したがって、違法薬物の使用が実は言われているほどのことはないとか、どのような刑罰もそもそも違法薬物への誘惑を抑えることはできないなどと考えることに相当な理由がない限り、違法薬物使用を罰することは合理的だというのである。

悪いことをさせないために罰するという考え方じたいは、古くから私たちの社会を構成する基本的ルールの一つである。殺人や強盗などが処罰されるべきだということにだれも疑いをもたない。しかし、薬物使用はこれらの犯罪とはかなり異なる。

それは、薬物使用者は、基本的に「自分にしか害を及ぼさない」からである。もちろん、薬物使用者の家族や恋人、友人などに薬物使用の悪影響が及ぶ場合はある。しかし、それを防ぐために、圧倒的大多数の平穏に薬物を使用している者が罰せられなければならないというのは、かなり飛躍した考えである。

また世の中には、良くないことは無数にある。過食や過度の飲酒喫煙、ゲーム依存、ギャンブル依存などなど、これらにはだれも刑罰を使って抑制せよとは言わない。あるいは、これらの「良くないこと」についても、刑罰を使って抑制することは許されるのだろうか。

■みずからに害を及ぼす者を処罰できるか

かりに薬物使用が身体に有害だとしても、みずからの意思で身体に悪い物質を取り入れた者がすべて処罰されているわけではない。かれらを罰するのは、どのような理由からだろうか。

考えられるのは、大ケガや死ぬかもしれないような行動に出た子どもを親がきつく叱る場合があるように、薬物を使用した者は、成年であろうと未成年であろうと、国が親に代わってきつく叱る(罰する)という考である。このような考えを「法的パターナリズム」というが、信奉者は多い。

しかし、この考えは一般化できない。

タバコは今も喫煙者の人生を無視できないほど縮めているし、アルコールもさまざまな病気やトラブルの原因にもなっている。しかも、アルコールは、ときには個人の責任を緩和する言い訳にもなっている。

処方薬や市販薬の過剰摂取(オーバードーズ)が深刻な社会問題となっているが、ドラッグストアで売っている風邪薬や咳止め薬を一気飲みして救急搬送された者を罰すべきだという意見はみたことがない。

何よりも、良くないことを罰すべきだというシナリオについて一番気をつけないといけないのは、ともすればそれを防ぐために行なうことが、かえって大きな害を引き起こすことである。違法薬物に手を出した青少年が逮捕され処罰されると、その薬物がその青少年に与える可能性のある害よりも、明らかに罰の方が有害となっていることに気づくべきである。

むかし、「健康のためなら死んでも良い」というギャグが流行ったことがあるが、その若者が健全に成長するためには、心と経歴に深い傷を与えてもよいということになりかねない。

■薬物使用は他の重大犯罪の「入り口」か

人に害を与える行為は罰せられて当然である。殺人や傷害、窃盗、強盗など、国が多くの犯罪者を処罰できるのは、他害行為を罰することが無条件の正義だからである。特別な理由はいらない。違法薬物の場合も、もしも薬物を買うための金を得るために財産犯罪が行なわれやすくなるといえるなら、そのような可能性をつぶすために、違法薬物に手を出す行為を罰することは正しいといえるかもしれない。

しかし、実際問題として、アルコール依存症患者やニコチン依存症患者が、アルコールやタバコを求めて窃盗や強盗を行なうとは考えにくい。それどころか、アルコールによる暴力的行為は日常茶飯事だが、だれもアルコールを法禁物にして罰すべきだという議論にはまともに付き合うことはない。

もしも薬物がアルコールやタバコ並みに国家の厳格な統制下に置かれたならば、薬物を買うために、暗い路地裏で怪しい売人から、何が入っているか分らないような薬物を、不当に高い値段で買うこともない。そもそもかれらの頭の中には、品質管理や公衆衛生への配慮などみじんも存在しない。売れるものを、売れる相手になんでも売るのである。

■私が言いたいことをもう一度繰り返す

正当な理由なく罰を与えることは許されない。そして軽い罰は、たとえそれが軽い平手打ちであっても、罰である以上は正当な理由が必要だし、厳しい罰は軽い罰よりもより説得的で合理的な理由を必要とする。大麻使用罪がどの程度の罰則になるかは分らない。しかし、罰を設ける以上は、それなりの正当な合理的理由が必要である。

大麻取締法が制定されて70年以上が経った。国は、使用罪を創設して、厳罰化をさらに進めようとしている。この戦いは終わらせるべきである。それは、大麻が安全だからではなく、またこの戦いに勝利することができないからでもない。そもそも大麻について刑罰でもって必死に戦う理由が存在しないからである。

薬物は現状では、反社などの違法集団や売人によって管理されている。大麻使用罪に反対というと、「大麻を野放しにするのか」と非難されるが、決してそうではなく、これをアルコールやタバコ並みに国の厳格な管理に移してほしいというのが、私の主張である。(了)

【参考(拙稿)】

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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