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大麻取締法に使用罪が存在しない理由(1)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:PantherMedia/イメージマート)

■はじめに

 大麻の〈使用〉がなぜ処罰されないのかは、実はよく分かっていません。

 覚醒剤やアヘンなどについては、売買や所持だけではなく、〈使用〉も犯罪ですが、大麻については〈使用〉を処罰する規定はどこにもありません。現行犯逮捕されるケースは、大麻を家で栽培していたり、車の中やカバンなどに所持していた場合です。

 これについて、2021年6月に公表された〈厚労省:「大麻等の薬物対策のあり方検討会」の「最終とりまとめ」〉では、次のように書かれています(太字は筆者)。

「大麻取締法には所持に対する罰則は規定されているが、使用に対する罰則が規定されていない。これは、大麻草の栽培農家が、大麻草を刈る作業を行う際に大気中に大麻の成分が飛散し、それを吸引して『麻酔い』という症状を呈する場合を考慮したため等の理由による。

 近時、国内の大麻栽培農家に対して作業後の尿検査を実施したところ、大麻成分代謝物は検出されなかったとともに、いわゆる『麻酔い』は確認されなかった。

 したがって、制定時に大麻の使用に対する罰則を設けなかった理由は現状においては確認され」ていない。」(6頁)

 「麻(あさ)酔い」というのは、以前からいわれてきたことで、平成20年には国会の法務委員会でも話題になったことがあります。しかし、実際にはそのようなことはなく、どうも〈あと付け〉の感があります。

 そこで、この問題を大麻取締法の制定時の状況を振り返ることによって考えてみたいと思います。

  • なお、禁止対象としての「大麻」という呼び名は、麻(大麻草)の花冠(花びら)や葉を乾燥または樹脂化、あるいは液体化させたものの総称です(→大麻取締法)。「マリファナ」とか「カンナビス」、あるいは「ヘンプ」と呼ばれることもあります。俗語としては、「ウィード」、「グラス」、「ハッシュ」などといった言葉があります。

■戦前までの日本の大麻事情

1930年(昭和5年)

 日本人は「」という呼び名に慣れていますが、「大麻」は、中央アジア原産といわれる一年生の草本です。栽培や加工が容易であり、吸湿性に優れ、茎から取れる繊維が強いことから、古代より衣類や綱などに重宝され、日本人の生活に必要不可欠の植物でした。

 たとえば、大麻の繊維は、日本では古くからしめ縄、神事で使うお祓いの大幣(おおぬさ)などにも用いられてきました(→大麻博物館)。

伝統的な麻の文様(Wikipediaより)
伝統的な麻の文様(Wikipediaより)

 よく見かけるこれらの図柄は、大麻の葉をデザインした日本の伝統的な文様です。着物の柄などにも好んで用いられました。

 戦前は、大麻がぜんそくの薬などに使われてきたという記録もあります。

小清水敏昌「明治初期に市販された『喘息煙草』を巡る史的考察」(2020年)より
小清水敏昌「明治初期に市販された『喘息煙草』を巡る史的考察」(2020年)より

 ところが1912年に、当時国内に深刻な薬物問題を抱えていたアメリカ、ルーズベルト大統領の主導で万国阿片条約(1912年・大正元年)が締結され、日本も批准したことによって、麻薬取締規則(1930年・昭和5年)が制定されました。これが、吸引目的の(大麻を含む)「麻薬」を禁止する国内初めての法律となりました(アヘンは明治初年から厳しく取り締まられていました)。

 ただし、この点が重要なのですが、このときは幻覚成分の含有量が高い「印度(インド)大麻」に関してのみ、その樹脂及びこれを含むものが「麻薬」に指定され、在来種の「麻」は禁止対象ではありませんでした。麻薬取締規則によって印度大麻が規制されても、農家は相変わらず麻を栽培し、麻糸や麻布に加工し、食用にもしていました(今でも七味唐辛子には大麻の実が入っています)。

 その後、麻薬取締規則等の法令を整理統合して、(旧)薬事法が制定されますが、ここでも印度大麻が麻薬取締規則と同様に規制され、在来種の麻は規制対象外でした。それどころか戦時中は、軍事用(パラシュートやロープなどの材料)として大麻草の栽培が奨励されていました。(→薬事法の歴史

中間的なまとめ

  1. 重要なのは、日本在来の大麻草(麻)はずっと法的規制の対象外であったという事実です。日本人と麻とのこの良好な関係は、終戦を契機に大きく変化していきます。
  2. 現行の大麻取締法が制定されたのが、終戦直後の1948年(昭和23年)で、それには当時のアメリカで支配的だった大麻に対する考え方が色濃く影響しています。

 そこで、ここでいったん目を転じて、19世紀から20世紀中頃までのアメリカの大麻事情について見ておきたいと思います。

■19世紀から20世紀中頃までのアメリカの大麻事情

1900年頃の悲惨な状況

 アメリカで薬物問題が深刻になったのは、1900年頃からです。これには、2つのきっかけがありました。南北戦争(1861-1865)と民間で流行していた「万能薬」(patent medicine)です。

 まず、南北戦争ですが、資金的に潤沢であった北軍は、負傷した兵士にモルヒネを多用し、その結果、1880年頃には退役軍人の間でモルヒネの常用者がかなり増えていました。これは「兵士の病」と呼ばれました。

 もう一つは、「万能薬」の流行です。当時、大麻は不眠症や偏頭痛、うつ病の治療など、実に多くの病気に使われていました。とくに医療資源の不足していた地方では、巡回セールスマンが「万能薬」を売り歩き、女性の間でよく効く鎮痛薬として広がりました。効き目が評判を呼び、小さな雑貨店でも買えるようになりました。ところがこれにはかなりのモルヒネが含まれていたのです。

 たとえば、次の(1906年以降のものと思われる)写真は「ワンナイト」という咳止めシロップですが、ラベルの成分表示には、(1)アルコール、(2)印度大麻、(3)クロロホルム、(4)モルヒネが表示されています。

The History of Marijuana Prohibition in the U.Sより
The History of Marijuana Prohibition in the U.Sより

 このように南北戦争後、アヘンが乱用され、さらに1880年代にはコカインがそれに続きました。コカインは、人気のソフトドリンクの成分でもありました。

From Harrison to Volstead: How Prohibition Laid the Foundation for the War on Drugsより
From Harrison to Volstead: How Prohibition Laid the Foundation for the War on Drugsより

 当時、アメリカの成人のうちで2~5%が薬物依存だったといわれています。アメリカの人口が7600万人ほどでしたから、これは相当な数といえます。そして問題は、そのような薬物を常用する者が、自分が服用している物質がいったい何なのか、また、どのような影響があるのかをまったく知らなかったことでした。

 19世紀末になってようやく、薬物依存の問題が人びとの間で重大な社会的問題として意識されるようになり、依存薬物を規制すべきだという声が大きくなりました。

1906年の純正食品薬品法

 まず、1906年に薬物対策のための法律として、純正食品薬品法Pure Food and Drug Act)が制定されます。

 純正食品薬品法は、連邦食品医薬品局の創設につながった、消費者保護法というカテゴリーに属する重要な法律の一つです。その目的は、粗悪品あるいは偽装表示された食品や医薬品の流通を禁止することです。食品には危険な防腐剤が使われることが多く、また薬品については治療効果が疑わしく、依存性のある物質が多用されていたので、政府は、薬物の内容と含有量を正確に表示することを義務づけることで、それらの流通を規制することを意図しました。

 ただし、コカイン、ヘロイン、大麻などは、正確に表示されていれば医師の処方箋なしでも合法的に入手可能でした。とは言うものの、販売量は大きく減少し、全体として依存症の数を下げることに効果はあったといわれています。(続く)

大麻取締法に使用罪が存在しない理由(2)

大麻取締法に使用罪が存在しない理由(3完)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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