■戦後GHQによる大麻規制
終戦直後の〈GHQ対日指令〉
太平洋戦争終戦直後に日本で占領政策を強力に展開していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、戦争犯罪人の逮捕や日本の非軍事化、民主化、教育改革、農政改革など、まるで住居をリフォームするように、日本という国家を根本から作り直していきます。その一つに、大麻規制がありました。
GHQは、1945年10月12日に突如として、「日本における麻薬製品及び記録の管理に関する件」という〈対日指令〉を発令します。内容は、「麻薬成分を有する植物(日本古来の在来種を含む)の栽培、製品の製造、販売、輸出入を禁止する」というものでした。
本指令は、「麻薬」を「あへん、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、大麻(カンナビス・サティバ・エル)及びそれらの種子と草木並びにいかなる形であれそれらから派生したあらゆる薬物、化合物あるいは製剤を含む。」と定義しています。つまり、この指令によって、(従来から日本も規制してきた)印度大麻を含んで在来種である「麻」にまで、規制が一挙に拡張されたことになります。
本指令にもとづいて、昭和20年11月24日に、厚生省令第46号「麻薬原料植物ノ栽培、麻薬ノ製造、輸入及輸出等禁止ニ関スル件」が出されます。
以上のような経緯を経て、昭和22年に大麻取締規則が、そして、昭和23年に大麻取締法が制定されました。
1947年(昭和22年)大麻取締規則制定
昭和23年4月22日に、上記麻薬取締規則に基づく大麻取締規則(農林・厚生省令第1号)が公布、施行されます。
1948年(昭和23年)大麻取締法制定
昭和23年に大麻取締規則を受け継ぐかたちで、大麻取締法・御署名原本・昭和23年・法律第124号 が制定されます(現在の大麻取締法の条文)。しかし、これには、政府内部でかなりの混乱と戸惑いがありました。次のような文書が残っています(太字は筆者)。
■まとめ
1. 大麻の〈有害性〉について十分な議論のないままに、戦後日本の大麻規制がスタートしました。
2. 日本が「麻薬」として取締対象にしてきたのは、インド大麻であって、日本の在来種は規制対象ではありませんでした。大麻取締法の制定によって、一挙に在来種である「麻」にまで規制が拡大されたのですが、その点の理由が明らかでないまま法律ができてしまいました。
3. 大麻取締法の制定には、とくにアメリカの大麻課税法(1937年)が強く影響しています。そしてその背後には、人種差別や大麻(マリファナ)に対する当時のアメリカ大衆の嫌悪感が存在し、それがそのまま刑罰を使って大麻草を一掃するという形で日本に持ち込まれました。
4. 特別法は、条文の解釈を明確にするために、最初に当該法律の目的規定を明記するのが一般です。ところが、大麻取締法には目的規定が存在しません。しかし、一般には、国民の間に依存性のある薬物がまん延しないという〈保健衛生上の利益〉の追求が、大麻取締法の目的だと理解されています。大麻の有害性の議論はかなり後になって出てくるのですが、私は立法者が大麻取締法に目的規定を設けなかったのは、アメリカ大衆のマリファナに対する嫌悪感を理不尽に押し付けた、GHQに対する精一杯の抵抗だったのではないかと思います。
5. 大麻取締法の母法となった大麻課税法は、アメリカ国内における大麻の流通を課税という観点から取り締まることを目的とした法律であったため、〈大麻使用〉に対する課税の必要性はありませんでした(栽培や売買の課税で十分)。そのため、大麻取締法にも使用罪が設けられなかったものと考えられます。(了)
→大麻取締法に使用罪が存在しない理由(1)
→大麻取締法に使用罪が存在しない理由(2)
【文献】
資料等については、次の拙稿末尾の文献をご覧ください。