【フランス】クリスマスツリーをめぐるヒストリー
いよいよクリスマスですね。モミの木を飾るお宅も多いのではないかと思いますが、この習慣がいつごろからあるものなのか、ご存知ですか?
12月23日付の新聞『ル・フィガロ』に、タイムリーな記事が出ていましたので、それをご紹介しつつ、筆者自身の経験もふくめて、クリスマスツリーの話題をお届けしたいと思います。
フランスの4分の1の家庭がツリーを飾る
この時期、パリのあらゆるところでクリスマスツリーを見かけます。教会の前、市役所の前、ホテルや商店や会社、そしてもちろん一般家庭でも、思い思いのデコレーションを施したモミの木が気分を盛り上げてくれます。『ル・フィガロ』の記事によると、フランスでは4分の1以上の家庭がクリスマスツリーを飾り、毎年550万本ほどのモミの木が市場に出回るのだそうです。
モミの木を飾るという習慣は、クリスマス、サンタさんとすっかり結びついたもののように思えますが、その起源をさかのぼると、じつはイエス・キリストよりもずっと前のこと。ケルト人たちが、冬至の日、つまり太陽のルネッサンスのシンボルとしてモミの木を愛でたことに由来があるようです。
時代は下って中世になると、アダムとイヴ、そして楽園のシンボルとして、教会の前にりんごで飾ったモミの木が置かれるようになったそうですが、もともと異教徒の祝祭の意味合いをフランスのカトリック教会は好まず、アダムとイヴはキリストとイエスの誕生に置き換えられた、というのが歴史家の説。とはいえ、この習慣は続かなかったようです。
そしてふたたびツリーがフランスの歴史に登場するのが16世紀、アルザス地方でのことです。
この習慣は地域的なものでしたが、1738年、はじめてヴェルサイユ宮殿にツリーが飾られます。当時の王様ルイ15世のお妃、マリー・レクザンスカが始めました。
このお妃は、ポーランド王の娘として生まれ、幼少のころに一家でフランスのアルザス地方に亡命して暮らしていました。22歳で王家に嫁ぎ、10人の子をもうけることになるのですが、彼女が親しんできたアルザスの慣習を宮廷に取り入れたというわけです。
パリにクリスマスツリーがお目見えするのはさらにのちの1837年。チュイルリー公園に飾られたのが最初だそうです。
そして1871年、普仏戦争でフランスが敗戦し、アルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲されると、その地方から首都パリにたくさんの人が避難してきました。これによって、モミの木を飾るアルザスの伝統も一緒にパリにやってきたという経緯があります。
また、その記事によれば、パリ市庁舎前に初めてクリスマスツリーが飾られたのは1944年、一般家庭で普及したのが60年代になってからと、思いのほか歴史が浅い慣習なのでした。
アルザスに見るクリスマスツリーの歴史
ところで、筆者は2009年12月にアルザス地方のクリスマスマーケットを巡りましたが、そのときフランスでもっとも古いツリーの記述というのを直に見ていました。それはストラスブールとコルマールのちょうど中間に位置するセレスタという街の図書館にありました。
セレスタの市内中心部にある「ユマニスト図書館」は、1452年からの歴史をもつ由緒ある古文書館です。訪ねた年の12月には、フランス最古のクリスマスツリーの記述が一般公開されていました。
それは1521年、市が聖トマの日(冬至)の木を管理するために、森の番人に4シリング支払ったというもの。実物の古文書の文字はあまりに達筆すぎて、わたしには解読できませんでしたが、おそらくフランス人でもそうなのかもしれず、古文書の脇に、きちんと説明が添えられていました。
さらに、1546年にも同じく4シリング、こんどはクリスマスツリーを伐採するために職人に支払いをしたという記述。つまり、市の出納帳で、当時のクリスマスツリーの存在がうかびあがってくるというわけです。
コロナ禍の今年は例外ですが、アルザス地方ではストラスブールはもちろんのこと、小さな村々でもクリスマスマーケットが盛んです。フランスのどの地方にもましてアルザスのクリスマスが有名なのは、きっとこうした背景も関係していることでしょう。
訪ねた年、セレスタの街も祝祭ムード一色でしたが、図書館そばの教会のクリスマスツリーがとても印象的でした。
りんごだけを飾ったツリー。それは遠い遠い昔のアルザスの森を想像させるような、シンプルがゆえに原初のパワーのようなものを感じさせるデコレーションなのでした。