【兵庫/佐用町】宮本武蔵が初決闘の場へ。威勢の良い立札の結末は…
はらぺこライターの旅人間です。
今回は宮本武蔵ゆかりの地について紹介しましょう。宮本武蔵と言えば、江戸時代初期の剣術家で生涯無敗を誇った最強の剣士と言われています。
吉岡一門との戦いや佐々木小次郎と巌流島での決闘が有名ですね。
そんな剣豪!宮本武蔵ですが、英雄的な伝説が独り歩きしている部分も多いらしく、どこまでが事実か明確でないようです。
例えば、それは出生地に関しても同じ。
岡山県美作市の美作生誕説、兵庫県高砂市米田町の播磨生誕説が有名で、吉川英治の小説『宮本武蔵』では美作生誕説が採用されています。
宮本武蔵 初決闘の場
美作市に近い兵庫県佐用町、国道373号を車で走っていると「宮本武蔵 初決闘の場」と大きく書かれた案内板が見えてきます。
時間があれば、少し立ち寄ってみませんか。
少し歩くと「金倉橋周辺 史跡紹介図」があります。
歴史的な事件や出来事のあった場所って石碑や小難しい古い案内しかない場合が多いですが、このイラストの案内はとっても分かりやすくて良い感じ。
この案内によると…
宮本武蔵は13歳の時に ”金倉橋” のたもとで新当流の達人である有馬喜兵衛に勝負を挑み、一刀のもとに倒したそうな。
現在、その”金倉橋”はりっぱな石橋になっています。
この橋の上から見える風景はとっても長閑。
佐用川に並行する智頭線を走る抜けている列車は「あまつぼし(天津星)」です。
⇒ イベント列車「あまつぼし」とは(外部リンク)
さて、この ”金倉橋” について…
この橋はかつて、因幡街道に架かる土橋で約35mだったよう。
土橋とは、一般的に歩きやすいように橋面に土をかけてならした橋のこと。例えば、丸太を並べた場合、橋面の凹凸に土をかけて平らにしたような感じでしょうか。
大名行列や行商人、伊勢参りなど多くの人が行き交って賑わいがあったと言われていますが、明治22年ぶ新道が出来て、その用途を終えたのだとか。
現在は、その賑わいが夢幻に思えるほど今は静かな場所に。
奥まで進むと…
「宮本武蔵の決闘の場」の碑があります。
そして、立札も。
この立札には「有馬喜兵衛の言葉」が書かれています。
<告>
何人たりとも望みしだい
手合わせいたすべし
われこそ日下無双の兵法ものなり
有馬喜兵衛
この立て札をかかげ、橋のたもとに立っていた有馬喜兵衛。そこでに13歳の武蔵が勝負を挑んで、一刀のもとに倒された。
これは宮本武蔵の著した兵法書である『五輪書』に記述あるもの。
この決闘の話、真実なのかは分かりませんが、時代劇ドラマのワンシーンでは爽快に描かれる見所の一つ。
もし実話なら、この立札にある威勢の良い言葉は、なんと虚しいモノなのか。そして有馬喜兵衛はなんて残念な最期だったのか…。
有馬喜兵衛との決闘は、ドラマのシーンや小説で読むと痛快な場面の一つ、しかし実際にその場所に足を運ぶと、倒された側の心情も同時に感じます。
本当にこの場所で決闘があったのかも確かではない様ですが、ここに建つ六地蔵がその雰囲気を出しているのかもしれません。
ちなみに、この地は江戸時代に「平福藩刑場跡」であったとも伝わっています。この六地蔵はその供養の為のものと考えられているそうですよ。
最後に…
やはり現地に足を運ぶと、様々な角度で立体的に感じられるもの。
歴史ある地は、どこもかしこも諸説様々。真実は謎に包まれています。だからアレコレ想像し、好き勝手にウンチクをたれる。きっと、これが面白いのでしょう。
武蔵初決闘の場
住所:兵庫県佐用郡佐用町
地図(外部リンク)