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秋葉原事件・加藤智大被告からの2回目のメッセージ(下)

篠田博之月刊『創』編集長

加藤被告から届いたメッセージの後半を以下に公開する。これをどういう意図で公開したかについては、(上)の方をご覧いただきたい。というか、(上)から読まないと意味がわからないと思うので、よろしくお願いします。8月半ばに公開した最初のメッセージに付けられたコメントに、加藤被告が答えたものである。(篠田博之)

>社会にどういう問題があるのかを先ず認識する

そもそも「社会に問題がある」と考えられない社会に問題があるように思います。もっとも,私も事件を起こすまでは自分が犯罪者になるとは思ってもみませんでしたから,偉そうなことは言えません。ただ,犯罪者は社会の中の突然変異だという感覚は良くないように思いました。その偏見は,「AだからBする」という間違った考え方によるものです。

現状A:

行動B:事件を起こす

事件を起こすのは悩みや不満,恨みや怒りが原因とされます。しかし,「普通の人」は事件は起こしません。だから,「現状A」に,理解不能な奇行の理由を説明できそうな異常を仕立て上げるのです。そういう考え方をしているから,過去の事件の真相はどれひとつ解明されていません。犯人自体はもちろん,警察官も検察官も弁護士も裁判官も報道関係者も,誰も何もわかっておらず,「有識者」は論外です。正しい考え方をしましょう。

現状A:

行動B:事件を起こす

結果C:

事件といえども,手段にすぎません。事件を起こすことで何をどうしたかったのかと,行動の目的に注目する考え方ができないことが,社会の最大の問題だと思います。正しい考え方ができれば,事件対策は自然に進んでいくからです。

>孤独という時点で何らサポートを受けることが難しい

例えば誰かを殺したいと思ったとき,それを誰かに相談できるでしょうか。思いつくのは精神科の受診ですが,人の心を理解していない精神科医は,「殺したい」と口にする人を危険人物に指定して病院に閉じ込めるか薬漬けにするだけですから,それを望むのでなければ精神科を受診すべきではありません。そもそも「殺したい」と思うのは全く正常な心理であり,精神の異常でも心の病気でもないのです。たとえるなら,モニター上では正しく文字入力したのにプリンタで出力したら文字化けしてわけがわからなくなってしまったようなものでしょうか。つまり,心の内を正しく整理できずに「殺したい」という言葉で表現するから誤解されるのです。正しい考え方をしましょう。

現状A:

行動B:殺す

結果C:

殺せば,何がどうなるのですか? 殺人も,所詮は手段にすぎません。注目すべきは,殺した後の「結果」です。「殺したい」と言う人は,文字通りに人を殺したいのではありません。殺すという手段で何らかの結果を得たいのです。それが,殺人の深層心理です。「殺人犯の心の奥底に眠るどろどろした何か」という幻想を追いかけるのはもうやめましょう。「心の闇」など,存在しません。欲求の正体がよくわからないからその得体の知れない「闇」が怖いのでしょうけれど,正しい考え方をして「A-B→C」と書いてみれば,極めて単純な心理が明らかになります。サポートが得られなくても,ひとりで自己分析することも不可能ではないでしょう。自分の本当の欲求がわかれば,その目的を達成する手段を,別のものに変更できませんか?

あるいは,もう少し違った角度からも考えられます。

現状A:

行動B:殺す

結果C:

殺すことで目的を達成できるとしても,殺人事件を起こすことで,自分の身に不利益な結果も生じませんか? もっとも,「どうせ死刑だから何がどうなろうがもうどうでもいい」と言われたら,私には何も言えないのですけれど。

>自殺や犯罪の量や質が,同列で書かれていることが怖い

自殺も犯罪も,ただの手段です。つまり,入れ替え可能なわけで,だから同列になります。例えば,不快な騒音を聴かされ続けているとしましょう。それは生理的にも精神的にも苦痛であり,逃れようとするのは自然な人間の心理です。「A-B→C」の形で書くなら,

現状A:うるさい

行動B:

結果C:静になる

ということですが,では,「うるさい」という現状を変化させ,「静かになる」という結果を得られる手段には,どのようなものがあるでしょうか。いくらでも考えられるでしょう。『殺人予防』で2ページも使って解答例を述べています。一般的には,注意をするという行動を起こすのでしょうか。しかし,うるさいものを静かにさせる手段はそれだけではありません。相手を殺しても静かになります。自分が死んでも静かになります(死ねば何も感じません)。余談ですが,権力者なら法律で規制するという強硬手段も使えるでしょう。

黒子のバスケ脅迫事件においても,たまたま脅迫事件で済んだだけで,例えば,連載中止等の要求を出し,それが受け入れられなかったらどこかで無差別殺傷事件を起こすことで要求をのませるというやり方も考えられるわけです。書店への放火も考えていたといいますから,本当に紙一重でした。手段に何を思い浮かべるかなど,その時になってみなければわかりません。

ただ,大抵の人は手段を選びます。問題のある手段は使いません。どうしてでしょうか。それは,目的とする結果の他にも,望ましくない結果も同時に生じてしまうからです。自殺や犯罪を他人事だと思わないで下さい。それらも,全ての人が持っている選択肢のひとつです。思いとどまる理由があるから思いとどまっているだけなのです。

>だれでもいいから人を殺したいって狂気的な気持ちよくわかる

>「『自死』を選択肢として入れなければならない」と感じた物事が有った

殺人でも自殺でも,考えるだけなら何ら問題ありません。殺人も自殺も,手段のうちのひとつなのですから,考えてしまうのも仕方のないことです。それでも思いとどまってさえいれば何の問題もないのです。世の中には,それを告白しないだけで,よからぬことを企み,しかし自重している人は,少なくないと思われます。

ポイントは,思いとどまるのにも理由があるということです。思いとどまるのが当たり前なのではありません。思いとどまる理由になる社会との接点を当たり前のように与えられ,維持できている人にはわからないでしょう。だからこそ,「あと1歩」のところまで追い詰められ,そこから生還した人には,どうして思いとどまれたのかを大いに語ってほしいと思っています。他の人からは「そんなことで」と言われるであろう小さなこと,当たり前のことが,人を思いとどまらせます。その事実を社会で共有すべきであるように,私は思うのです。それでこそ,「止める」ことができるでしょう。

>一種の快楽犯だな

私は事件を起こしましたが,悲しいだけで,楽しくもなんともありませんでした。公判で「事件は起こさざるを得なかった」と話して大ひんしゅくを買った私でしたが,実際,そうだったのです。事件を起こさなくてもよくなるよう,手を尽くしてみましたが,何も得られず,結局は事件を起こすしかないのだという結論になってしまいました。事件など,起こしたくなかったのです。しかし,自分では「帰路」を発見できず,だから,「止めてほしい」と,他者からの助けを欲していました。つまり,成りすましらの謝罪を求める一方で,私は

現状A:

行動B:事件を起こす

結果C:

という形で,事件を起こすと問題が解決する以上に不利益な結果が生まれる環境を求めたのです。過去に私は何度も自殺または犯罪行為による問題解決を考え,しかし思いとどまってきました。詳細は『解』などを読んでもらえばいいのですが,とにかく,私は,ほんのちょっとしたことでそれらを思いとどまっています。生身の関係であれ,ネット上だけの関係であれ,ゲームのキャラクターであれ,「誰か」がいることで私は事件を起こすことを思いとどまってきました。

>安易な自己正当化

私は取調べでも裁判でも自著の中でも秋葉原無差別殺傷事件の全責任は私にあると言っており,誰かが悪いとも自分は悪くないとも一言も言っていないのにどうして自己正当化していると思われるのか,よくわかりません。「誰か」がいれば事件は起こさなかった,というのは,それ以上でも以下でもない事実であり,それを勝手に「俺を止めなかったお前らが悪い」と脳内変換するのはやめて下さい。

誰が悪いのかといえば,私が悪いに決まっています。「事件は起こさざるを得なかった」のは,あくまでも事件直前の私の心境です。そもそもそこまで追い込まれることになったのは私の社会との接点の薄さに原因があるわけで,それは私が掲示板に依存していたためなのですから,やはり誰のせいでもない,自分のせいです。

>『うつ病などというものは存在しないという立場』だと謂われては,精神科医でなくっても対話が続かない

自殺する人はうつ病の影響で正常な判断ができなくなっているために自殺に追い込まれるのだとされる一方で,事件直前に病院に行けばうつ病と診断される状態だった私は正常な判断をして事件を起こしたのだそうです。こういう矛盾が生じている時点で既にうつ病の存在が怪しいと思います。

自殺対策において,うつ病は,

現状A:うつ病

行動B:自殺

と,間違った考え方によって,最大の危険因子であるかのように言われていますが,うつ病への対応は自殺対策にはなりません。「うつ病」と診断名を付けられる人が様々な問題を抱え込んでいることそれ自体は事実でしょう。しかし,うつ病が自殺を誘発するのではありません。うつ病だから自殺するのではなく,自殺という手段に訴えてでも問題を解決したいと考えるようなところまで追い込まれ,かつ自殺を思いとどまる理由がないから自殺するのです。うつ病と診断される人は,うつ病だから苦しいのではありません。様々な解決できない問題を抱え込んでいることが苦しいのです。

うつ病の治療は,大量出血している人に対して痛み止めは投与するけれども止血などの処置はせずに放っておくようなものです。何もしないよりはマシかもしれません。「痛み」は感じなくなるのですから。しかし,いずれ薬の効果は切れます。「痛み」が戻るので,また薬がほしくなります。そうやって薬に依存していくわけで,精神科医は儲かるかもしれません。ところが,うつ病の治療では「傷」は治らないのえす。だから私は,少々乱暴でも,うつ病など存在しないという立場をとります。「うつ病」というヴェールが真の問題を隠しているのが問題なのです。うつ病のせいにしてごまかしていないで,根本の問題と向き合うべきではないでしょうか。

>タブーとされるものや嫌悪感を感じるものを避けていては今よりいい状態に向かえるとは到底思えない

私が発言することそれ自体が嫌悪されるのでしょうけれど,自殺も殺人も同じようなものだと主張するのもまた反発されると思います。しかし,実際にそうなのだから,そうとしか書けません。もっといえば,自殺もテロも同じようなものです。どんな極悪な行為であれ,目的達成のための手段という点では同列に並びます。

全てとはいいませんが,一部の自殺は明らかに攻撃的で,その心理状態は殺人犯と変わりありません。自分の命を使った心理攻撃か,他者の命を利用した心理攻撃かという違いです。「死ぬ」のではなくて,「死んでみせる」という自殺もあるのだということなのですが,その違いがわかるでしょうか。正しい考え方をしましょう。

現状A:

行動B:自殺する

結果C:

例えば,苦悩を訴えてもまるで伝わらないが,死んでみせれば苦悩が伝わる,というような,どれだけ悩み苦しんでいるのかを伝える手段としての自殺もあるわけです。その目的でしたら,食事を残す,ため息を繰り返す,声のトーンを下げる,自室に引きこもる,手首を切ってみせる,「死にたい」と口にしてみせるなどといった手段も考えられるでしょう。あるいは,無視する,物を叩く,物を壊す,殴る,刺すなどといった手段も考えられます。よく言えばSOSの発信,悪く言えば「話を聞いて!」という駄々こねです。

確かに,「苦しいが死ねば苦しまずに済む」という自殺がある一方で,そのような逃避ではなく,もっと攻撃的な,自らの命を犠牲にした意思表明もあるのです。ひっそりと死んでいくのではなく,「犯人」を名指しする遺書を残してわざわざこれ見よがしに派手に自殺するのは,そのパターンでしょう。掲示板で成りすましらに「殺された」ことを苦悩していた私も,秋葉原で無差別殺傷事件を起こすのではなく,ビルの壁に「掲示板での成りすまし行為により私は殺された。警察は何もしてくれない」などと大書きし,焼身自殺してみせることでも,問題を解決できたのですから。

>「読者がどう思うだろうか?」といった配慮が一切感じられない

あえてタブーにも触れています。配慮など,していません。それとも,「この度は,皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけして誠に申し訳ございませんでした。徹底した調査を行い,再発防止に努めて参ります」といったような,非の打ちどころのないマニュアル通りのコピペ謝罪をして「配慮」すればそれでいいのでしょうか。あるいは,相手から自分がどう見えているかといった視点で「私はこんなに真摯に反省しています」というわざとらしいアピールをすればいいのでしょうか。それこそ欺瞞でしょう。私は,ボロ雑巾のようにずたずたに踏みつけられてぺしゃんこになっている様子を上から高笑いしたいだけの,人を憎んで罪を憎まない連中を相手にするつもりはありません。

なお,ご遺族や被害者の方は私の死を願っている以上私の書くものになど目もくれないでしょうから,ご遺族や被害者の方は読まないことを前提として書いています。

>自身を奮い立たせて何とかコミュニケーションをとろうと努力します

ゲーム好きの友人と話をするために同じゲームをする,下ネタ好きの仲間のためにネット上で下ネタを収集する,パチスロ好きの友人や先輩にはネットで知った新機種の話を振ってみる,自営業の先輩には経営の話を訊く,元自衛隊の先輩には自衛隊でのネタを教えてもらう,元トラックドライバーの同僚とはお互いの積み荷の話で盛り上がる,不細工非モテ自虐キャラがウケる掲示板ではそのキャラを演じる,といった私は,コミュニケーション能力がないのでしょうか。何か勘違いをされているようですが,私は,成りすましらに「場」を破壊されるまでは掲示板上で楽しく雑談していました。暇をもて余した捜査員が私の書き込みに対する返信率を調べて報告書にまとめているのですが,成りすましをされた5月末を境に返信率が急落しています。成りすましをされた以降の書き込みだけが私だと思わないで下さい。

>この被告は自ら他者に対して行った凶行を反省しているのだろうか?

辞書を引いてみますと,反省とは,「自らの行為をかえりみて,よく考えること」とありました。私は,反省しています。反省することで,様々なことがわかりました。だから,こうして書いています。

>この人がどうこうじゃなくて,この人の行動が問題なんでしょ

唐突ですが,このコメントに,SMAPの草薙剛氏の「裸になって何が悪い事件」を思い出しました。事件後,某大臣が「最低の人間だ」と発言し,その後叩かれて「最低の行為だ」と訂正したと記憶していますが,日本はひとつの失敗でその人の全人格,存在そのものが否定される社会であることが浮き彫りになったと思います。なんと生きにくい社会でしょうか。

私の「失敗」は取り返しのつかない許されざるものなのですが,それでもなお「人間」と「行為」をきちんと分けて考えてくれる人がいることを,ありがたいことだと思っています。もう少し別の表現をすれば,こうして私のことをちゃんと人間扱いしてもらえることをありがたく思っているということです。このようなコメントを読んで,私もひとりの人間として,いくら詫びても足りることのない罪の大きさを改めて自覚し,反省を深めようと思いました。ご遺族や被害者の方に対してできることは死刑を受けることしかありませんが,社会に対しては,「犯罪者心理」を明らかにし,自らとその周囲の人が一線を越えることのないような対策がなされるよう,私の失敗とそこから学んだことを書き残すことはできると思います。

〔まとめ〕心理学者には理解不能な犯罪者心理

(1)事件を含むあらゆる行動は,望ましくない現状をより望ましい結果へと変化させる手段である。ただし,それと同時に望ましくない結果も生じることがある。

現状A:

行動B:

結果C:

(2)本人の主観で次の条件が全て満たされると行動が起きる。

条件1:変更したい「現状」がある。

条件2:行動により,より良い「結果」を得られる。

条件3:2の行動では望ましくない結果は生じない。または,生じたとしても2を優先できる。

条件4:2の行動が他の行動と比較して最善である。または他の行動が存在しない。

(3)逆にいえば,(2)の条件のうちどれかひとつでも欠ければその行動は起こらない。そこから,次のような事件対策が考えられる。

対策1:事件を利用してでも変更したい「現状」を発生させない。

対策2:事件ではより良い「結果」を得られないようにする。

対策3:事件を起こせば望ましくない結果が生じるようにする。

a)事件を起こせば「得」を失う。

b)事件を起こせば「損」が加わる。

対策4:事件よりも適切な手段を周知させておく。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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