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キューバはソウルに散る!! グループCの2位は“あの男”が率いる大穴・オーストラリア【プレミア12】

横尾弘一野球ジャーナリスト
戦況を見守るオーストラリア代表のデービッド・ニルソン監督(左端)。

 第2回プレミア12のオープニング・ラウンド最終日、グループCからスーパー・ラウンドに進出する2チームが決まる2試合は、まず12:00からオーストラリアとカナダが対戦。オーストラリアが1回裏に1点を先制すると、直後の2回表にカナダが同点とし、そこから膠着する。

 カナダとしては、すっきり勝ってナイトゲームの結果を待ちたいところだったが、均衡を破ったのはオーストラリアだった。8回裏に2四球で二死一、二塁になると、カナダは今季まで巨人で活躍したスコット・マシソンをマウンドへ送る。しかし、2016年までミネソタ・ツインズ傘下でプレーしていたローガン・ウェイドが低いライナーで右中間を破り、2者が生還して3対1とリード。9回表を守り切り、大会初勝利を挙げた。

 この時点でカナダとオーストラリアが1勝2敗となり、2勝している韓国のスーパー・ラウンド進出が決定。キューバは韓国に勝てばグループCで1位になるが、負けた場合は1勝2敗で3チームが並ぶ。そうなると、大会規約で2位はオーストラリアとなったのだ。これを知った選手たちは「ナイトゲームは全員で韓国を応援する」と沸き上がった。そんな光景を、静かな笑みを浮かべて見ていたのが、このチームを率いる“あの男”だ。

中日ドラゴンズでもプレーしたオーストラリア野球のヒーロー

 デービッド・ニルソン。17歳だった1987年にミルウォーキー・ブリュワーズと契約し、捕手兼一塁手として1992年にメジャー・デビューを果たす。左打ちの打撃はパワーだけでなく確実性も備えており、1996年に打率.331、翌1997年には20本塁打をマークしてチームの中心的存在となる。オーストラリア出身選手として初めてオールスター・ゲームに出場し、移籍してきた野茂英雄とバッテリーを組むなど、キャリアのピークだった1999年のシーズンを終えると、フリー・エージェントになる。翌年に開催されるシドニー五輪に出場するためで、2000年は中日ドラゴンズと契約する。

 日本でニルソンの名前を覚えているファンが少ないのは、登録名が「ディンゴ」だったこと、18試合で1本塁打と実力を発揮できず、シーズン途中で退団したからだろう。だが、シドニー五輪では地元ファンの前で活躍。その後はメジャーの舞台に立つことはなかったが、2004年のアテネ五輪にも出場し、準決勝で日本を破って銀メダルを手にしている。

 2006年のワールド・ベースボール・クラシックに出場したあとは指導者となり、2018年春の侍ジャパン強化試合では、マイケル中村(元・西武など)とともにオーストラリア代表のコーチとして来日。そうして、昨年6月にオーストラリア代表監督に就任し、国際大会初采配でチームを世界ベスト6に導いた。

 グループCの4チームでは戦力層が薄く、韓国戦に完敗した時は3連敗だろうと言われた。それでも、キューバ戦で延長タイブレークまで粘った選手たちは、カナダ戦に大逆転をかける。ニルソンの小刻みに継投する戦術に投手陣が応え、バックの野手も再三の好プレーで失点を防いだことが、ワンチャンスをものにした勝利を生んだと言っていい。

 19:00に開始された韓国対キューバは、序盤は2対0と緊迫したものの、5回裏に韓国が一挙4点を奪うと一気に弛緩し、オーストラリアの選手たちは“その時”を待っていた。そして、22:00過ぎに韓国が7対0でキューバに快勝。オーストラリアの東京行きも決まった。

 オーストラリアの歓喜の裏では、キューバの低迷ぶりが深刻であることもわかった。メキシコかアメリカのどちらか、韓国、チャイニーズ・タイペイ、オーストラリアのうち1チームが2020年の東京五輪への切符を手にするスーパー・ラウンドは、11月11日にZOZOマリンスタジアムのメキシコ対チャイニーズ・タイペイで幕を開ける。日本の第1戦の相手はオーストラリアだ。(写真=Paul Henry)

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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