ジャッジが就任したヤンキースのキャプテンは「数日で解任」の前例あり
来シーズンから、アーロン・ジャッジ(ニューヨーク・ヤンキース)は、チームのキャプテンを務める。12月21日の記者会見で、就任が発表された(上の写真)。昨シーズンの中盤に、選手だけによるミーティングを招集したことからもわかるように、これまでも、ジャッジはキャプテンのような存在だった。
2014年のオフにデレク・ジーターが引退して以来、キャプテンの座は空白だった。2015年の開幕前に、ESPNのラジオ番組に出演したブライアン・キャッシュマンGMは「私の意見であって、私が決めることではないが、背番号「2」とともに封印すべきだと思う。私は、他の誰にもキャプテンの称号を与えるつもりはない」と語っていた。キャッシュマンは、今もヤンキースのGMを務めている。
歴代のキャプテンは、以下のとおり。
これまでの15人中、最も長くキャプテンを務めたのは、2003年6月に任命されたジーターだ。
一方、在任期間が1年に満たなかったキャプテンもいる。1913年にキャプテンを務めた2人、フランク・チャンスとローリー・ザイダーは、それぞれ、シーズン途中までとシーズン途中からだ。
また、ベーブ・ルースがキャプテンだった期間は、ヤンキースのメディア・ガイドによると、1922年の3月13日から5月25日までだが、キャプテンとしてプレーした期間はさらに短い。前年のオフ、ルースは禁じられていた巡業に参加し、罰金とともに、翌年の開幕から6週間の出場停止を科された。試合に出場したのは、処分明けの5月20日からだ。その5日後に、ヒットを打って二塁でアウトになったルースは、審判に土を投げつけ、野次を飛ばした観客に向かっていった。そして、罰金処分を受け、キャプテンの称号も剥奪された。ルースのキャプテンは、5月20日から25日までの6日間、という見方もできる。
なお、ヤンキースでシーズン60本塁打以上を記録した3人――ア・リーグで60本塁打以上はこの3人しかいない――のうち、ルースとジャッジはキャプテンとなったが、1961年に61本塁打のロジャー・マリスはキャプテンを務めていない。マリスがヤンキースにいた1960~66年は、ルー・ゲーリッグとサーマン・マンソンの間、キャプテン不在が最も長かった期間の最中だ。また、マリスがプレーしていた時期のヤンキースには、キャプテンとして適任だったかどうかはさておき、ミッキー・マントル、エルストン・ハワード、クリート・ボイヤー、ホワイティ・フォードらがいた。