渋野日向子の追随許さなかった韓国キム・ヒョージュの“勝負強さ”「渋野はとてもうまかったが…」
米女子ツアーのロッテ選手権の最終日。逆転での初優勝を目指した渋野日向子だったが、あと一歩及ばなかった。
17番パー4で首位のキム・ヒョージュがボギーでスコアを落として通算10アンダー。渋野は一打差を追って最終18番を迎えていた。
渋野に優勝のチャンスも見えたが、ここでキムが勝負強さを発揮する。
18番第3打のアプローチをピン50センチに寄せるスーパーショット。バーディーを奪って渋野を突き放し、通算11アンダーで今季初優勝、米ツアー通算5勝目を手に入れた。
キムは昨年5月のHSBC女子世界選手権から、11カ月ぶりの優勝となった。さらに同大会のメインスポンサーであるロッテの契約選手ともあって、喜びもひとしお。
「初代の大会から一度も欠場せずに出場してきました。契約先の大会なので本当に優勝したかった。今年はこの大会で優勝するためにしっかりと準備してきました。優勝は私にとって特別な意味があります」(キム)
さらにキムは優勝インタビューで渋野との争いについてこう振り返っていた。
「(最終18番で)バーディーを取らないとプレーオフにいく感じがしていて、とにかく集中しなければならないという気持ちでした。渋野(日向子)選手がとてもうまくて感嘆しましたが、自分の試合に集中してプレーしました」
渋野のプレーは、キムの目にもしっかりと焼き付いていた。だが、そこはやはり米ツアーで数々の修羅場を潜り抜けてきた選手だ。負けられないプライドがあった。
天才少女と呼ばれたアマチュア時代
キム・ヒョージュはアマチュア時代から“天才少女”と呼ばれた。
2011年の世界ジュニアで優勝し、翌12年には日本女子ツアー「サントリーレディスオープン」の最終日をツアー新記録の「61」でラウンドし、史上3人目のアマチュア優勝を果たしている。
当時、ものすごい選手が韓国にはいるものだなと感じていたが、米ツアー進出後は実力通りに勝利を重ね、14年にはメジャーの「ザ・エビアン選手権」も制した。
一時は日本ツアー参戦を熱望していたが、コロナ禍でタイミングを逃したとも聞いたことがある。
20年はコロナ禍で米ツアーの開催がままならかった時期は、母国の韓国ツアーに積極的に出場し、試合勘を鈍らせないようにした。20年は韓国ツアーで2勝し、賞金女王のタイトルも手にしている。
筋トレの継続で飛距離アップ
近年は筋力トレーニングを積極的に取り入れたことが、米ツアーで結果を残せている要因の一つだという。
韓国紙「毎日経済」は「今シーズンが始まったあとでも、一日の日課に筋力トレーニングが必ず含まれている」と伝えている。
また、キムを指導する韓国の専属トレーナーも「19年冬と現在の体の状態を比較すれば、想像できないくらいに変化している。過去3年間、筋力トレーニングを継続する過程で、キムの体力と筋力は、女子スポーツ選手の中でも最高の水準になった」と話している。結果的に飛距離が伸びたことで、よりスコアをまとめやすくなったという。
今回、渋野は惜しくも勝てなかったが、キムのプレーから得たものは多かったはずだ。
渋野に一打差で追われるプレッシャーの中で放った最終18番の第3打に、“天才少女”と呼ばれたキム・ヒョージュの勝負強さを見た。