1989〜2018年の平成時代。夏の甲子園優勝投手で、防御率No.1はだれ?
唐突ではありますが……過去、春夏の甲子園で、全試合を完封して優勝した投手が5人いる。年代順に列挙すると、
▽1938年春/野口二郎(中京商・現中京大中京、愛知) 4試合36回
▽1939年夏/嶋清一(海草中・現向陽、和歌山) 5試合45回
※準決勝の島田商(静岡)、決勝の下関商(山口)と連続ノーヒット・ノーラン
▽1940年春/大島信雄(岐阜商・現県岐阜商) 4試合36回
▽1948年夏/福嶋一雄(小倉・福岡) 5試合45回
▽1952年春/田所善治郎(静岡商) 4試合36回
このあと、惜しかったのは65年春の平松政次(岡山東商)だ。4試合連続完封で決勝に進み、決勝の4回に市和歌山商(現市和歌山)に1点を許すまで、39回連続無失点だった。結局この試合に延長13回2対1で勝ち、優勝している。つまり、49回を投げて失点1、というわけだ。金属バットが導入されて50年、体格も打撃技術も向上して打高投低、さらに投手複数制が定着した現在、全試合完封での優勝はほとんど夢のような記録といってもいい。
5試合中4試合を完封、しかも四死球わずか2
夏の地方大会はこれからが本番。で、ちょっと調べてみた。1989年から2018年、平成最初の夏から最後の夏まで、甲子園の優勝投手、あるいは優勝チームでもっとも長いイニングを投げた投手の防御率はどのくらいだったのか。まずは6位から10位まで(順位・年度・氏名・チーム・防御率・投球回・自責点の順)。
⑥ 1999年 正田 樹(桐生第一) 0.85 53回 5点
⑦ 2018年 柿木 蓮(大阪桐蔭) 1.00 36回 4点
⑧ 2016年 今井達也(作新学院) 1.10 41回 5点
⑨ 1990年 南 竜次(天 理) 1.13 48回 6点
⑩ 1998年 松坂大輔(横 浜) 1.167 54回 7点
次/2006年 斎藤佑樹(早稲田実) 1.173 69回 9点
投手複数制の浸透で、柿木の場合、ほかに根尾昂、横川凱という好投手もいて、登板回数は全6試合54回中の3分の2だが、今井は全5試合中マウンドを譲ったのは4イニングだけ。松坂は、PL学園との延長17回で許した7点のみで、ほかの5試合では3完封、自責0だ。
次点に挙げた斎藤は、歴代最多のイニングを投げた優勝投手で、再試合を含めた7試合中6試合を完投。残りの1試合も、打者一人だけ右翼に回ったが、救援が1死も取れずに再登板したので実質全7試合を完投だ。全試合を完投しての優勝投手は、89年以降だと2人しかいない。続いて2位から5位。
② 1989年 吉岡雄二(帝 京) 0.22 41回 1点
③ 2013年 高橋光成(前橋育英) 0.36 50回 2点
④ 2007年 久保貴大(佐賀北) 0.49 37回 2点
⑤ 2012年 藤浪晋太郎(大阪桐蔭)0.50 36回 2点
平成最初の優勝投手・吉岡は、5試合中決勝の延長10回を含め3試合を完封。高橋は5イニングを除いて一人で投げきり、決勝の4回まで自責点0を45イニング続けていた。投球回50は、11年以降の優勝投手では最多である。久保はすべて救援での登板だが、先発役の馬場将史の36回をしのぐ投球回。こちらも、決勝まで自責点0を続けていた。
ちなみに失礼ながらワーストは、04年夏に優勝した駒大苫小牧の岩田聖司。21回3分の2で自責12は防御率4.98。ほぼ同じ回数を投げている鈴木康仁も5.66で、チーム防御率5.60はふつう負けパターンだが、チーム打率.488と、大会最高を記録した打線がそれを補った。
で、1位は……。92年夏に優勝した、西日本短大付の森尾和貴だ。全5試合を一人で投げ抜き、45回を投げて自責点1は防御率0.20である。平成以後、全試合完投での優勝はほかに、94年に優勝した佐賀商・峯謙介しかいないが、峯の防御率は1.96。森尾は5試合中4試合を完封なのだから脱帽だ。驚くべきは無類の制球力で、4試合が無四球。トータルでも、5試合で2四死球というのは精密機械のようだ。
惜しかったのは、唯一完封を逃した北陸戦。9回に喫した1点は、二塁手・森範秀のグラブをすり抜けた打球がタイムリーとなったもので、森は当時「あれは、チーム内ではエラー」と語っている。もしこれをうまく処理していれば、金属バット導入後初の全試合完封という偉業があったかもしれない。