一億総「集団暴行」だから言いたい「罪なき者は、石もて打て」
僕が早稲田大学に入学した18年前、キャンパスでよく見かけた電動車いすの先パイがいた。「五体不満足」で脚光を浴びた乙武洋匡さんなんですよね。
ここのところ、乙武さんの私生活が週刊誌で掲載されそれをきっかけに、雨後のたけのこのごとく(?)あちらこちらからいろんな話が出てくるし、WEB見てるとコメント欄とかむちゃくちゃ書いてる…。それを見るたびにやはり思うのです。
なんでみんなで集団暴行をするの? って
んー、小保方さんの時も清原さんの時も、ベッキーさんの時も思いました。それぞれ、違法や不法行為があったり、疑惑があるのはそれとしても、それに乗じて有る事無い事をみんな言い出すのだろう。あるいは突然「ほれみたことか」「実は前から…、と思っていたんだ」って言い出す人々。
あ、地元の岐阜だと、美濃加茂市の藤井市長の収賄事件の件もそうでした(一審で無罪判決)よ。逮捕されたら地元紙の中には「若さがあやうい、以前から大丈夫かとの声があった」と書いてたし…。
聖書の中に、こんな一節があることを最近知りました。
過ちや罪を犯したならば、謝り償ってもらうのは前提。
例えば違法行為をおかした犯罪であれば、そりゃ刑事罰に服してもらわなきゃいけない。
でも、クソミソ書く人に思うのは、ま「あんた関係ないじゃん」って思うわけで、ほっときなよって。
法が裁くし、民事の問題だったら当事者で解決すれば良いことだし。
なんか急にさ「ほれみたことか」って憂さ晴らしの対象にする、集団暴行(いや、実際に本人の立場になればそうでしょう、もはや)ってどうなのよって思うのです。
自身に問うべきはこうじゃないだろうか。
「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」
やはりSNSで流れてきたブログ一億総ゲス化の日本を憂うも共感しました。
例え麻薬をやったとしても清原さんがPL学園からプロ野球選手として偉大な人であったということは変わりないし、乙武洋匡さんだって、発言や行動を通じて多くの人に影響を与えたり勇気づけたことは何も変わらないと思います。
車いすホストのクララさん(脳性まひだったそうです)のブログのエントリー「乙武洋匡という希望」が、SNS上でバズっているので読みました。
重ねて言いますが、乙武洋匡さんやあるいはスキャンダルなどのあった人々のそれそのものを肯定するつもりも擁護するつもりもありません。だけれども、やはり生み出してきた成果や実績は決して否定されるべきでなく、いや変わらず尊重されるべきだと思うのです。
今日4月6日は、乙武洋匡さんのお誕生日。
40才という節目を迎え、振り返り反省するべきことはされたうえで、さらなる活躍を心から期待したいと思います。
秋元祥治
NPO法人G-net代表理事・滋賀大学客員准教授・OKa-Bizセンター長
ではでは。