【学校の働き方改革のゆくえ】残業代ゼロ ー 先生たちのプロフェッショナル意識は低いのか?
公立学校の先生たちにプロフェッショナル意識はないのか?
先日、ある弁護士の方にこう聞かれた。
そこからいろいろ考えを巡らせた。
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だいぶ知られるようになったが、公立学校の教師には残業代は出ない(給特法という法律で、地方公務員としては例外的な扱いになっている)。月80時間超えという過労死ライン以上の方も非常に多いが、残業代はみんなゼロ円である。休日の部活動指導には3時間や4時間で3600円などの手当が出るが、1日がかりの試合のときなどは割に合わない金額だし、平日は一切出ない(手当の金額や条件は自治体によって多少ちがう)。
これは、ひとつは国や自治体の教育予算が少ないことも影響しているし、もうひとつは、先生たちの仕事の成果等は時間で測りづらいところもあるよね、という前提も影響していると思う。いまでいう、高度プロフェッショナル制度や裁量労働制と近い制度となっている、との見方をする識者もいる。
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さて、冒頭の弁護士の問いだが、「プロならば、当然、対価はもらうべきなのに」というメッセージだ。
たとえば、ある落語家から聞いたこと(わたしは落語好き)だが、居酒屋でたまに「おもしろい話、ちょっとやってくれ」と酔っ払いの客から言われることがあるそうだ。これは困る。この酔っ払いは面白い話をしても対価を払うつもりでは言っていないのだし。
別の例。わたしたちが医者にかかるとき、無料ではお願いしない。逆に「無料で診てあげます」という医者がいたとしたら、信用するだろうか?(災害時などを除いて。)
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つまり、当然の話だが、プロフェッショナルにはプロとしての仕事に対価を払うべき。だが、この感覚が、学校や教育行政には相当弱いのかもしれない。保護者にも、教師に対してはこの感覚は弱いのかもしれない。
ちなみに・・・ありがたいことに、わたしのもとには教育委員会や校長会などから講演や研修の依頼がたくさん来る。が、謝礼金の条件を最初から相談してくれることは少ない。趣旨や日程を提示され、受けてもらえませんかというメールが多い。(わたしは謝金の多寡だけで優先順位は付けていないが、条件相談なしではYesNoの返事はしづらい。)
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公立学校の教師にも残業代をちゃんと払うようにしたらよい、とはわたしは考えていないが(この点は大いに議論したい)、ただ、いまの制度、処遇でいいとも思わない。しっかりプロとして誇れる仕事をしているのに、時間外については対価がほとんど出ていないというのは、おかしいからだ。
時給換算すると、120円!?
公立学校の教師の場合は、残業代は出ないが、教職調整額といって、給料月額の4%分は上乗せされている。
ちょっと計算してみよう。月30万円の先生の場合、調整額としての上乗せは月約1万2千円に過ぎず、月100時間残業してもこれなので、時給換算すると、120円だ(50時間残業の場合は時給240円)。
※ややこしい話だが、教職調整額は制度上、文科省の説明としては、残業手当という性格にはなっていないので、この4%分を時給換算するという発想は制度上はまちがっているのだろう。が、ここではこの論点については、いったん脇に置く。
たとえ話的なシミュレーションだが、時給120円や240円で疲れ果てて残業している医者に、あなたなら、かかりたいと思うだろうか?
日本は公教育にお金(税金)を使っていないと、よく言われる。これはOECDのデータなどからも示されているが、その象徴的な例のひとつが、今回の残業ゼロ円なのかもしれない。
長時間労働の教師も仕事へのやりがいや満足度は高い
とはいえ、おそらく、かなり多くの教師たちはこう言うかもしれない。
「わたしたちは残業代が出ようが出まいが、一生懸命児童生徒のために仕事している。」
冒頭の弁護士の方の問いに戻るが、実際、教師のプロ意識はある意味では高い。先ほどのたとえ話のくたびれた医者のイメージとはちょっとちがっている。
※精神的に疲れている先生もかなりいるのは事実だが。
子どもたちへの学習指導や生徒指導(生活指導)といった点では、自分たちが(保護者に並んでかそれ以上)一番よく考えている、という自負とやりがいを感じている人は、相当多いのではないだろうか。
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いくつかの調査はそのことを示唆している。たとえば、文部科学省が2006年に1万人規模に実施した教員勤務実態調査によると、「教員の仕事はやりがいがある」について、「とても感じる」という回答が小学校教諭の47.6%、中学校教諭の42.3%、高校教諭の28.4%、「わりと感じる」という回答が小学校教諭の43.1%、中学校教諭の44.9%、高校教諭の46.6%であり、否定的な回答をする人はほとんどいなかった。
また、愛知教育大学等の調査(2015年実施)によると、教員の仕事について「子どもの成長にかかわることができる」と97~98%の小中高教員が感じると答えており、「仕事を通じて自分が成長している」も小学校教員の90%、中学校教員の83%、高校教員の84%が感じている。「今の仕事は楽しい」という回答も小学校教員の86%、中学校教員の82%、高校教員の81%だ。なお、いくつかの教育委員会が実施した教員への意識調査結果を見ても、前述の調査と似た傾向を示している。
プロフェッショナル意識の定義にもよるが、ある程度、教育のプロとしてのプライドなり、手応えを感じていなければ、これほどやりがいは高いという結果にはならないはずだ。
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ここで興味深いデータを紹介しよう。OECDの国際教員指導環境調査(TALIS)2013から日本の中学校教師について取り出したものだ(公立も私立も含む)。1週間の労働時間別にクロス集計してみた。
※詳細は拙著『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』にて解説している。
わたしの当初の仮説は、長時間労働の先生ほど疲れていて、仕事に対してネガティブな感情を抱いているのでは、という問題意識だった。だが、データをみると、あまり時間別に大きなちがいはなかったのだ。
実際、週60時間以上労働で過労死ラインを超えるほど働いている可能性の高い教師であっても、7~8割が仕事を楽しんでいる、と回答している。また、長時間労働の教師でも約6割がもう一度仕事を選べるとしたら、また教師になりたい、と言っている。
※もっとも、一定の割合でネガティブで悩んでいる層がいることにも注目したい。
要約すると、十分な対価が払われているとは思えないものの、仕事へのやりがいや満足度が低くなっているわけではない、ということが示唆される。
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しかしだ。やりがいや満足度が一定程度あるからといって、いまの処遇でいいという話ではない。意地悪な見方をすれば、”やりがい搾取”と言えるかもしれない。
きょうは公立学校教師の残業代とプロ意識ややりがいについて考えてみた。この話はもう少し続くが、今回はここまで~。
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お知らせ、拙著・新刊『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―働き方改革とモチベーション・マネジメント』、『「先生が忙しすぎる」をあきらめない―半径3mからの本気の学校改善』では、教師の長時間労働の問題を詳しい実例やケース検討をもとに解説しています。