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【光る君へ】藤原彰子に仕えた紫式部と『源氏物語』の執筆

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
紫式部。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「光る君へ」では、「まひろ」こと紫式部が藤原彰子に仕え、さらに『源氏物語』の執筆を行った様子が描かれていた。『源氏物語』とはどういう物語で、いつ頃から書かれたのだろうか。

 『源氏物語』は文字数に換算すると約100万字におよぶ長編の作品で、全編が五十四帖で構成されている。物語の主役は光源氏で、その恋愛遍歴が描かれている。我が国における最高傑作の文学作品の一つで、外国語にも翻訳された。

 紫式部が『源氏物語』の執筆を開始した時期は、正確にはわかっていない。式部が明確に書き出した時期を日記にでも書いていれば別だが、そうした記録は残っていない。

 寛弘5年(1008)11月、式部が「若紫」の巻を執筆していたのは事実であり(『紫式部日記』)、これが文献上における『源氏物語』の初登場である。なお、書き終えた時期は不明である。

 とはいいながらも、『源氏物語』が執筆された時期は、いくつもの説がある。紫式部が藤原宣孝との結婚前から結婚後の生活中に執筆を開始したという説があるが、定説になるには至っていない。

 宣孝の没後から式部が宮仕えする以前、『源氏物語』を書き始めたという説がある。夫の死後、式部は習作的な物語を書いており、のちに『源氏物語』につながったという説である。

 また、大斎院選子内親王から上東門院におもしろい物語を作って欲しいと依頼があり、その話を受けた式部は石山寺(滋賀県大津市)に向かったという(『無名草子』など)。

 式部は湖水に八月十五夜の月影が映ったのを見て、須磨の巻の執筆を開始したといわれている。この話は大変劇的ではあるが、単なる逸話、伝承の類にすぎず、否定されている。

 『源氏物語』はかなり大部の作品だったので、全巻が一気呵成に執筆されたとは想定し難い。式部は各巻の構想を考えては少しずつ書き進め、周囲の人々に読んでもらい、その意見を反映させながら、作品づくりを進めたのではないかと指摘されている。

 残念ながら、式部が『源氏物語』を書き始めた時期は不明であるといわざるをえない。『源氏物語』は原本が残っていないので、その点でも課題が多いといえる。

主要参考文献

角田文衛『紫式部とその時代』(角川書店、1966年)

今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985年)

沢田正子『紫式部』(清水書院、2002年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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