社員の自由と会社の利益が両立する「雇用3.0」
先日、『生きる職場』(イースト・プレス)という本が出版された。著者は株式会社パプアニューギニア海産の工場長、武藤北斗さん。工場ではパプアニューギニア産の天然エビを加工する作業を行っており、「フリースケジュール制」という、パート従業員が事前連絡なしで働きたい日に働き、休みたい日に休むことができる制度がテレビでも何度も取り上げられている。
昨年の夏、私は武藤さんに連絡をとり、フリースケジュールを始めた経緯や運用の実態、効果をインタビューさせていただいたが、この本を読んであらためてその深さに感じ入った。
それと同時に、もうひとつのユニークなルールである「嫌いな作業はやらなくてよい」について色々と考えさせられた。これは、工場勤務のパートタイマーという職種に限らず、今の日本の様々な組織に重要な示唆を与えてくれる取り組みだ。
「嫌いな作業はやらなくてよい」ルールとは
「嫌いな作業はやらなくてよい」ルールとは、2ヶ月に1度ほど全パート従業員を対象に各作業の好き嫌いを問うアンケートを行い、そこで「嫌い」と答えた作業はやらなくてよい、というものだ。
工場で行われる作業は、エビの殻をむく、背ワタを抜く、パン粉を付けるといった原料を扱うものから工場の掃除まで、30項目以上に及ぶという。アンケートでは各作業に対する◎(特に好き)、◯(好き)、×(嫌い)、無印(どちらでもない)という気持ちを確認。それを一覧表にして全員に共有している。
なお、各作業は特別高度な技術を要するものはなく、パートとして入って1〜2週間やれば覚えられるものだという。「できる・できない」や「得意・苦手」ではなく、一応全部できるという前提の上で、「好き・嫌い」という「気持ち」を表明してもらっているという点がポイントだ。
「嫌いなことをやらない」の効果
著書の中で武藤さんは、このルールの効果をいくつも挙げている。まとめると、だいたい以下のような点に集約されるだろう。
個人にとっての働きやすさの向上
- 「嫌いな作業をやらなくてはいけない」というプレッシャーから解放され、好きなことに集中できる。
- 「自分が好きな作業を別の人が独占している」とか、「楽な作業ばかりを選んでいる」といった不公平感の軽減。結果として従業員同士の人間関係が良好になる。
組織としての生産性向上
- 各自が前向きに、好きなことに集中することで、作業効率や品質が向上する。
- 「嫌い」とする人が多ければその作業の方法を見直すきっかけになり、全体の効率アップや無駄の削減につながる。
- 働きやすさの向上で、組織への愛着、貢献意欲を持つ人が増える。
なお、このルールを運用し始めた当初は「嫌いな作業はやらなくてよい」としていたものを、今は原則として「嫌いな作業はやってはいけない」としている。それは、他者への気遣い、あるいは「嫌いなことでもがんばってやるのが良いことだ」という価値観から、嫌いでもやってしまう、ということが何度か起きたからだという。できる限り余計な気遣いが起きないようにしないと上記のような効果を得られないため、「嫌いな作業はやってはいけない」と禁止事項にしたそうだ。
「嫌いなことはやらなくてよい」は新しい雇用関係につながる
「嫌いなことはやらなくてよい、好きなことで力を発揮してもらおう」という考え方は、会社と個人の関係に新しい風を吹き込むものだ。
これまでの日本の働き方の背景には、「メンバーシップ型」の雇用関係がある。どんな仕事をさせるのかはさておき、まずはメンバーとして人を採用し、終身雇用や年功序列に代表される安定的な地位と引き換えに無限定な働き方を求める、そんな雇用関係だ。一方欧米では、明確なジョブ・ディスクリプション(職務内容の定義)を提示して人を雇う「ジョブ型」の雇用関係が一般的だ。
ジョブ型の組織では、自分に課されたジョブさえこなせば評価される。求められる内容が明確な分、やりたい仕事やよりよい待遇を求めて、キャリアチェンジもしやすい(未経験分野に進もうとすれば、自費で勉強したりインターンをしたり、といったリスクを取る必要があるが)。
メンバーシップ型の社会では、各自の担当する仕事の範囲が明確でないために「付き合い残業」のような非効率な仕事の仕方になりがちだ。どんな仕事をしたいかという個人の意志よりも、会社の都合優先で異動や転勤をさせられ、それに応じることが評価につながる。しかしそうやって積み上げてきた経験は社外での評価が難しく、転職もしにくい。
モーレツに働く人が評価されやすく、ワークライフバランスを取るのが難しくなりがちなメンバーシップ型の働き方は、今の時代には合わないものとして批判されている。それを改善する一つの方法がジョブ型への移行で、勤務地や勤務時間を限定した「限定正社員」制度の導入や、長時間労働ではなく成果による評価をするために各自の職務や責任範囲を明確にしようという動きは。その表れだといえる。
筆者も、長時間労働や異動・転勤を有無を言わさず受け入れることを求めるメンバーシップ型の雇用関係は是正されるべきで、是正の方法としてジョブ型への移行はありだと思う。ただし、ジョブ型が組織にとって最善かというと、そうとは限らない。日本の企業にとってジョブ型は「雇用2.0」だとすると、その先に「雇用3.0」というさらなる発展の余地があるのではないかと考えている。
ジョブ型のデメリットと、新メンバーシップ型のメリット
ジョブ型が組織にとって最善のものではないというのは、どういうことか。それを説明するために、ジョブ型組織で起きることを図式化してみる。
人は、同じ経験や学習をしても、元々の資質や興味・関心などにより、できること、できないこと、あるいは何に対してやる気が出るか、といったことが異なる。仕事において発揮できる力には、個性があるのだ。ここではそれを、パズルのピースとして表した。それに対して、AとBというふたつの仕事の定義(ジョブ・ディスクリプション)があるとする。
ジョブAは、臨時で入ってきたアルバイト社員が少し説明を受ければできるような、ごく簡単な仕事だ。
上の図では、ジョブAはXさんとYさんのピースの中にすっぽり収まる。ふたりにとっては余裕でこなせる仕事だ。Zさんの場合はピースからはみ出す部分がある。簡単であっても、やっぱりそれを苦手な人はいるのだ。アルバイトの場合、「向いていない」とすぐに辞めてしまうかもしれないし、怒られたり迷惑をかけたりしながらも続けるうちに、ピースの形が変わって苦手な部分もできるようになるかもしれない。
ここで問題なのは、X、Y、Zの誰にとっても、ジョブAという仕事では求められない、余った部分がたくさんあるということだ。雇っている会社からすると、それぞれのごく一部分だけを使っている。人が余っている時代の、贅沢な人材活用の仕方とも言える。
ジョブBは、もっと高度なスキルや責任が求められる。ジョブAなら「こんな仕事やりたくないな」と思っていてもこなせるのに対し、ジョブBは嫌々ではとてもできない、というイメージだ。
上の図では、発揮できる力が一番幅広いYさんでも、ジョブBには少し足りない部分がある。この場合、Yさんは足りない部分を埋める努力が要求されるだろう。だが、Yさんに足りないところは、実はXさんやZさんが補えるかもしれない。Yさんは苦手の克服よりも、今できることに集中した方が発揮できる力の総体は大きくなる可能性が高い。
Xさん、Zさんは、ジョブBを担うのは無理がありそうな状態だ。それでもやるとなった場合、うまくできないから職場全体の効率を引き下げるかもしれない。それは本人のストレスを高め、本来できることもできなくなる(パズルのピースが小さくなる)という可能性もある。しかし、そんなXさんやZさんでも、活かされていない部分がある。それぞれジョブBの範囲に固執するよりも、できることを持ち寄ってチームとしてのアウトプットを最大化するようにした方が、効率的ではないだろうか?
上記のようなことは、メンバーシップ型の日本の会社でも起きている。明示的なジョブ・ディスクリプションはなくても、「部長になったからには、これくらいできて当然」など、「肩書」によって暗黙的に求められる基準のようなものがあるからだ。
サイバーエージェントでは、29歳の女性を執行役員に抜擢する際、「プロジェクトの管理は得意だが、部下の管理や評価は苦手」というその社員に、得意なことに専念し、評価などの人事・組織管理は別のリーダー職に任せるという「管理しない管理職」という働き方を認めたそうだ(29歳で執行役員 横山祐果 管理しない管理職という働き方)。
執行役員とはこうあるべき、同じパート従業員として全ての仕事を平等にこなすべき――、サイバーエージェントもパプアニューギニア海産も、そういった枠にこだわらず、個々人の長所を発揮してもらうことに注力し、足りない部分は組織力で補うというやり方をとっている。
個人の好きや得意を組み合わせ、チームとしてのパフォーマンスを上げよう、という考え方は、個人単位での成果を求めるジョブ型(雇用2.0)に比べると、メンバーシップ型に近いようにも思える。ただ、旧来のメンバーシップ型は、トップダウンで(暗黙的に)決められた「理想的なメンバー像」に沿う形での貢献を求め、個々人の働きやすさやモチベーションへの配慮が少なかった。新しいやり方は、個々人の貢献の仕方を上司が前もって計画するようなことはせず、各自のできることや意思を元に柔軟に役割を調整していく。雇用3.0は、まず個人ありきの「新メンバーシップ型」とでもいうべきものだ。
増えつつある雇用3.0の組織
ジョブ型が主流の欧米でも、雇用3.0的なやり方をする企業は出てきている。
IT系のスタートアップBufferのCEOは、北京でエンジニアとして雇ったメンバーについて、このように語っている。
ソフトウェア開発の世界では、「アジャイル」という考え方をベースにしたプロジェクト管理のしかたが浸透しつつある。その具体的な手法のひとつである「スクラム」は、縦割り組織を壊し、チームのメンバーがそれぞれの専門性を超えて協力し合うことを提唱する。スクラムの指導をするアヴィ・シュナイアー氏はこのように述べている。
肩書や役割をあらかじめ決めず、メンバーがその都度役割を変えながら自律的に組織を動かしていく組織のあり方として、「ホラクラシー」と呼ばれるものがある。アメリカではザッポスが導入したことで有名だが、日本でもダイヤモンドメディア株式会社や株式会社ソニックガーデンがホラクラシー型の組織運営をしている。
両社とも、インタビューなどで社長のお話をじっくり聞く機会が何度もあるが、ダイヤモンドメディアの武井さんは「あらかじめ仕事の範囲を決め、そこに人をあてがってしまうと、その範囲を超えてその人が持っている力が生かされない。そうではなく、仕事はやりたい人、できる人がやればいい」という意味のことをたびたび述べている。ソニックガーデンの倉貫さんは、「苦手なことを表明できるのが、できる人」という言葉が印象的だった。一通りのことができるトッププレイヤーでも、得意不得意はある。苦手なことは誰かにカバーしてもらい、自分は得意なことで貢献するという方が、全体としてのモチベーションも生産性も高い、という話だ。
あらかじめ役割を決めないとしたら、成果はどう測るのか、給料はどうなるのか? いろいろと疑問が湧いてくるだろう。その点は難問で、やはりこれまで常識とされてきたやり方では雇用3.0型にフィットせず、各社それぞれにユニークなやり方を模索している。そのことについても、いずれ紹介できたらと思う。