高齢者は期待されていない? 落胆を乗り越え地域の担い手に【労動者協同組合の事例1】
60代中心のメンバーで地域の困りごと解決に取り組む
長野県上田市に拠点をおく労働者協同組合上田(通称 労協うえだ)は、2023年3月に設立されました。
3年目に入った2024年10月現在、60代を中心に40〜70代の15名のメンバーで地域課題の解決につながる活動をしています。
主な事業のひとつは、高齢者のお宅の修繕や草刈り、雪かきなど。地元の地域包括支援センターと連携し、高齢者の「こんなこと、頼めないだろうか?」というニーズに応えています。
もうひとつの事業は、ソルガムの栽培とその加工品などの販売です。
ソルガムとは、タカキビやモロコシとも呼ばれる穀物で、アレルゲンフリー、グルテンフリーでかつ栄養価の高い実がなります。高温や乾燥に強く、痩せた土地でも、農薬を使用しなくても育つ手のかからない植物であるため、人手不足の地域の農地の再生に有効だとして注目されています。
労協うえだでも地域の休耕地や耕作放棄地でソルガムを栽培し、収穫した実は直売所に置いたり、地域のイベントでポン菓子にして販売したりしています。
さらには、上田市やJA信州上田、地元の環境団体や農家など「農地の再生とソルガム栽培の普及に取り組む連絡協議会」の立ち上げも準備中です。2025年1月からは上田市丸子学校給食センターにて、地元の小学校の生徒たちが栽培したソルガムが使われる予定です。
そんな労協うえだは、厚生労働省の雇用政策研究会が今年8月に公表した報告書にも取り上げられています。元気なシニア世代が自ら仕事をつくり出し、地域の担い手となろうとする姿が注目されているのです。
農協、労働組合、広告会社、起業……10年ごとに訪れた転機
労協うえだの設立を主導したのは、現在77歳の北澤隆雄さん。上田市に隣接する千曲市の生まれで、長野県農業講習所(現 長野県農業大学校)を卒業して20歳で上田市の農協に就職したのがキャリアの始まりでした。
20歳で出会った労働組合
実は北澤さん、農協の職員になると同時に”組合”というものに深く関わるようになりました。そもそも農協が「農業協同組合」という組合法人であることに加え、当時はユニオンショップ制といって、職員全員が労働組合に加入することになっていたのです。
「農協に入ってすぐに、労働組合の新人研修に参加させられました。組合の幹部が来て、労働基準法や労働問題のことだとか、いろいろ話をするんです。私は全然意味が分からなかったんですけど、『なにか質問は?』と聞かれて手を挙げたんだよね。何を聞いたかは覚えてないんだけど」(北澤さん)
学生時代を過ごした1960年代後半は学生運動の全盛期でしたが、特に関わらなかったという北澤さん。労働組合の活動に関わるようになって社会問題に関心をもつようになったそうです。
「当時、組合のオルグ(組合組織の強化のために、組合員への教育・指導などを行うこと)をやってたのがすごく優秀な人でね、もともとは九州の大学で学生運動をやっていて、それから東京に出て、縁あって上田の農協の労働組合のオルグの募集に応じてきたそうです。
その人のもとで、労働者としてのものの見方や考え方を教えてもらったんですよね。それがなかったら、自分の目で社会を見て自分で考えるってことができなかったんじゃないか。その経験があったから、今があるんじゃないかと思ってますよ」(北澤さん)
入職して5年後の25歳のときには、組合の書記長に立候補して当選。職員の待遇改善の交渉などを担い、高度経済成長の時期だったこともあって一気に5万円のベースアップを勝ち取ったこともありました。
一方、農協では農業指導員として地域の米農家の指導を行っていました。ちょうど田植え機や稲刈り機といった農業機械が普及し始めた頃ですが、非常に高価でした。ローンで購入したけれど返済に苦しむことを指す「機械化貧乏」という言葉もあったほどです。買うことができずに手植えを続けている農家もまだまだいました。
北澤さんはそんな状況をなんとかしようと、機械を持っている農家が持っていない農家の田んぼに出向いて作業を受委託する仕組みを作りました。
「機械を持っている人の『機械運用組合』と、持っていない人の『機械利用組合』を作ったんです。料金表を作って『田植えをやってもらいたい人、希望を出して』と農家に回覧を回したら、すごい量の注文がきました。それを元に、運用組合の会員で誰がいつどこに行くかを決めて、順番に作業するんです」(北澤さん)
農協には機械を販売する部門もあるため、北澤さんの提案をよく思わない人もいました。それでも、機械を買った農家は収入が増えるし、機械のない農家は作業が楽に早く終わるしで、大いに喜ばれた画期的な仕組みだったといいます。長いものに巻かれず、自身が良いと信じることをやり遂げる、そんな北澤さんの気概が感じられるエピソードです。
30歳からは農協を休職し、組合専従の役員として働くことになりました。2年の契約だったところをそのまま農協を退職し、長野県各地の農協との交渉やストライキ、労働訴訟等に取り組みました。
しかし40歳のとき、先述の組合オルグの先輩と意見の衝突があり、辞める決断をしました。その際、元いたのとは別の農協から再就職の声がかかったものの、いろいろな事情から職業安定所を訪問して勤め先を探しました。
40歳での転身、50歳での起業
生活のためには仕事をしなければと、北澤さんは未経験の広告業界に飛び込みます。入社したのは屋外広告などを手掛ける小さな会社で、当時は病院や役所などの待合室に小さな電光掲示板を置いて広告を流す新規事業を始めていました。
北澤さんは営業マンとして全国を飛び回り、電光掲示板のシステムの売り上げを伸ばしました。しかしここでも10年で転機を迎えます。勤めていた会社が資金繰りの問題で倒産したのです。
50歳だった北澤さんは、起業を決意します。お客さんには、6年間のリース契約でシステムを提供していたので、会社が倒産するとリース料を払っているのに放映されないという状態になってしまう。それは申しわけないということで、急遽資金を出してくれる会社を探し、納入済みの電光掲示板に放映配信する会社を立ち上げたのでした。
引退後のやりがいを模索した60代、70代
自分で立ち上げた会社を後進に譲って引退したのが、63歳のときでした。「あとは年金生活でいいな」と思ってのことだったそうです。
仕事を辞めてしばらくは妻とドライブや食べ歩きなどを楽しんだ北澤さんでしたが、すぐに飽きてしまったといいます。
「引退したら苦しい仕事から解放されて、毎日が日曜日で楽しいだろうと思ってたんだけど、もう行くところもなくなっちゃって。半年ももたなかった」(北澤さん)
フルタイムで働く気はないけれど何かできることはないか、と求職活動をし、地元の病院で朝夕2時間、利用者の送迎をするドライバーを務めることになりました。
「アルバイトなんだけど、利用者さんに最初に会うドライバーというのは、施設の良し悪しについての大きな判断材料になるんです。だから、病院からは『しっかりやってください』と結構期待されてね。利用者さんからも『運転士さん、ありがとう』って言われて、楽しい仕事でした」(北澤さん)
しかし、病院側の規定で70歳で定年となり、ドライバーの仕事も引退。もう一度職を探したものの、北澤さんがやりたいと思える仕事が見つからなかったそうです。
「きっとこれが人生で最後の勤めだから、何かやりがいのあるような仕事なり、人から『ありがとう』と思ってもらえるような働き方があったらいいなと思って色々調べました。でも、ほとんどはアルバイトで、決められた時間に決められたことをやってもらえばいいですよ、という仕事なんだよね。そんなに期待されていないんだな、と感じました」(北澤さん)
「無理だ」と思っていた労動者協同組合法が成立
まだまだ元気で働く気があるのに「期待されていない」と感じてがっかりしていた北澤さんですが、ちょうどそのタイミングで労働者協同組合法が成立したというニュースを知りました。
実は北澤さん、以前から同法の成立に向けて運動している人たちがいることを知っていました。営業マンをしていた時代に、「面白そうな団体があるから」という知人の紹介で池袋駅西口近くにあった「センター事業団本部」(ワーカーズコープ連合会)を訪れ、労働者協同組合について聞いていたのです。
「その時は、労働者が主体となるような働き方なんて無理だな、と思ったんです。資本主義社会の中では『雇う者・雇われる者』という関係が一般的だから、難しいかなと。
そう思っていたものが十数年後になって法制化されたというので、驚いちゃって。それで当時団体を紹介してくれた知人にメールを送ったんです。そうしたら早速資料を送ってくれました。その資料に、みんなで出資をして、みんなで話し合って仕事を作って働いて、みんなで平等に分配という、そういう“新しい働き方”ができると書いてあったんですね。これはいいな、と思いました」(北澤さん)
北澤さんは、すぐにワーカーズコープ連合会の直轄組織であるセンター事業団の上田事務所を訪ねてアドバイスをもらい、労働者協同組合の設立に向けて動き出したのでした。労動者協同組合法の施行前年の2021年のことです。
事業内容は未定で任意団体を設立
規定では、労動者協同組合の設立には最低3人のメンバーが必要です。北澤さんは、法律が施行されたらすぐに労動者協同組合を立ち上げるつもりで友人2人に声をかけ、「ワーカーズ上田地域応援隊」という任意団体を立ち上げました。
地域のためになることをしたいという思いはあったものの、何をするのか当てもない状態でのスタートでした。そのため、北澤さんの誘いに気軽に応じてくれた2人の友人は続ける気力を失ってしまい、1人は組合設立前に、1人は設立後に抜けていきました。
それでも北澤さんは諦めずに新たな仲間を見つけ、「なにか仕事はないですか」と聞いて周ります。そこにセンター事業団上田事業所の紹介で舞い込んできたのが、松本市内の古いビルの一室の改装工事の仕事でした。元は酒屋が入っていたビルの1階を、地域のコミュニティスペースにしようとしていた人たちからの依頼です。
メンバー3人で往復2時間ほどかかる現場に3ヶ月通い、床を張ったり壁を塗ったり、天井を張ったりし、ひとりが電気工事の資格ももっていたため、蛍光灯やエアコンの取り付けまで一式を請け負いました。
これが120万円の売上になり、これならやっていけるんじゃないかという自信を得た北澤さんらは、建物や住居の営繕を事業の中心に据えて労協うえだを立ち上げることにしたのでした。
地域包括支援センターと出会い地域のニーズを知る
その後、労協うえだが地域の高齢者の困りごとを解決する仕事をするようになったのは、地元の地域包括支援センターとの縁がきっかけです。
地域包括支援センターとは地域の高齢者の困り事や心配事に関する相談を受けるための機関で、上田市には10箇所のセンターが設置されています。
北澤さんは、それらのセンターと社会福祉協議会などが共催した『地域の担い手』養成講座に参加し、そこで出会った川西地域包括支援センター所長の蒲生俊宣さんと意気投合しました。
「地域包括支援センターってその時に初めて知ったんだけど、地域の困りごとがどんどん入ってくるんだよね。でも、センターではそれを解決するのが難しいことも多い。解決する仕組みが必要なんだと、蒲生さんから聞きました。それで、『よっしゃ、それなら自分たちが、困りごとの解決になるような仕事をやろう』と考えたんです」(北澤さん)
そこから、地域包括支援センターから労協うえだに対して「こんなことに困っているお年寄りがいるんだけど」という連絡が入るようになりました。
依頼があると、初回はその高齢者を担当するケアマネージャーといっしょに訪問し、ニーズを聞いて見積もりを出し、合意の上で仕事をするようにしています。見積もりのもととなる作業内容ごとの時給表も作成しており、これまでに庭の草刈りや雪かき、住宅のメンテナンスなどを手掛けています。
シルバー人材センターで担えない困りごとも
高齢者が地域住民の生活支援を行う仕組みとしてはシルバー人材センターがあります。北澤さんも「労協うえだとシルバー人材センターは何が違うのか」とよく聞かれるそうです。
北澤さんによれば、あくまでシルバー人材センターの指示に従って仕事をするのと、労協うえだのメンバーとして利用者と相対し、満足してもらえるか、次も頼みたいと思ってもらえるかは自分の仕事次第というのとでは、責任感ややりがいが大きく違うとのこと。
川西地域包括支援センターの蒲生さんによると、企業の退職年齢の引き上げや定年後の再雇用が増えている昨今では、シルバー人材センターの働き手が足りていないという問題もあるそうです。
「今年の2月に大雪が降ったんですよね。このあたりでも30センチくらい積もりまして、高齢者のお宅で雪かきができないと、溶けるまで待つしかありません。
以前はシルバー人材センターに頼むこともできたんですが、シルバー人材の皆さんも高齢化していてできる人がいなかったりするんです。なので、労協うえださんに緊急でお願いしまして、北澤さんともう一人の方に来てもらえたので助かりました」(蒲生さん)
また、国の財政状況が厳しくなって、以前は介護保険制度の枠内で利用できていたサービスが頼めなくなったり、介護事業者の経営難でホームヘルパーも減っていたりと、ちょっとした困りごとを頼める先がなくて困ることが増えているとのこと。地域のことをよく知りつつ、柔軟に対応してくれる労協うえだのような組織が登場したことは非常に喜ばしいことだといいます。
高齢者が「支える側」になれる場としての価値
地域包括支援センターの活動は、できないことが増えて困っているお年寄りのサポートだけでなく、高齢者の介護予防や健康寿命も目的としています。その点においても、労協うえだの存在がとてもありがたいと蒲生さん。
「健康で長生きするためには、定年退職した後もなにか役割を持つことが大事です。ただ、特に男性は定年すると家にこもってしまい、途端に弱ってしまうということが多いんですね。そうならないように、労協うえだのような、定年後に活躍できる場があるというのは、とても良いことだと思います。
もちろん、会社に再雇用されるとか、シルバー人材センターで働くとか、地域の町内会などで役割をもって活躍するといったことでも良いのですが、労働者協同組合の組合員になり、自分の持っている力を生かして地域の役に立つというのも、ひとつの新しい選択肢になっていくと良いですね」(蒲生さん)
少子高齢化が進み、2050年には65歳以上の高齢者1人に対して1.2人の生産年齢人口が支える構図になると予測されています。私達の生活を維持していくには、高齢者であっても元気な人は支える側に回ることが必要になります。労協うえだは、そのような社会のあり方をひと足早く実践してみせる存在として期待されているのです。
縦社会ですり抜けてしまう問題を解決できるのが労働者協同組合
北澤さんは、やってみて分かった労動者協同組合の良いところとして、次の3つを挙げます。
- 地域の担い手づくり
- 新しい働き方で、楽しく働く仕事づくり
- いつまでも元気に生きる健康寿命づくり
これに加えて最近では、「次の人にバトンタッチできるところ」も利点だと感じているそうです。
「個人企業だと、財産をどうするのかといったこともあって継承が難しいこともありますよね。でも協同組合ならバトンタッチできる。定年退職する人なんて毎年どんどん発生するんだから、次から次へと新しい人材が生まれるはずです。そういう人に繋いでいくことができるというのも、労動者協同組合の良いところだよね」(北澤さん)
北澤さんは、市内10箇所の地域包括支援センターそれぞれと連携を取れるよう、来年には10の地域支部を作りたいと、仲間集めに励んでいます。
今年2月にはドキュメンタリー映画『医師中村哲の仕事・働くということ』の上映会を共催し、午前と午後で500人近くの観客を動員。上映後には北澤さんや蒲生さんらも参加するアフタートークで労協うえだの活動を紹介しました。他にも北澤さんや他のメンバーが講演会などで話をする機会が増え、話を聞いて「自分もやりたい」と参加するメンバーが増えています。
現在のメンバーは、電気屋さん、元教員、元警察官、元郵便局員など、経験やスキルも様々。北澤さんは、それぞれが自分のできること、やりたいことを元に、楽しく働ける仕事を自らつくり出していってほしいと考えています。
「国主導の縦社会では地域社会の問題がすり抜けてしまう。地域の様々な活動の担い手となりえる労動者協同組合は、そこに横糸を通して持続可能な地域社会を作っていくことのできる仕組み」だと、北澤さん。自分たちこそが、この地域を支える担い手になるのだという気概が、北澤さんのエネルギッシュな行動を後押ししているのだと感じる言葉でした。