佳士工人維權事件と中国の大学生たち:中国を見つめ直す(15)
2018年7月20日、深セン佳士科技有限公司の工場労働者たちが自主的に組合を設立したことで工場側と対立し、労働者20数名が派出所に連行された。翌21日から労働者たちが派出所前に集結し、組合の設立を認めることと警察の謝罪を求めて街頭デモを始めた。デモは結局1ヵ月以上後の8月24日まで続いた。
中国には総工会という共産党系の機関の指示下で全国の会社に労働組合があるが、官製であるため労働者の側に立つとは言いづらい。特に深センの工場に多い出稼ぎ労働者は組合員になれないなど不当な扱いを受けてきた。
年間1860件(香港の中国労工通訊の統計)起きている労働者の抵抗活動の中で本件が特に注目されたのは、彼らが要求したのが労働組合を設立したいという社会主義国であれば至極もっともな要求であり、北京大を6月に卒業したばかりの岳シンをはじめ数十名の大学生、それに市民など数多くの支援者が「声援団」を結成して労働者を支援したからである。さらに北京大、清華大、中国人民大など10以上の大学の学生が彼らを支持する署名活動をインターネット上で展開し、2000以上の署名が集まったものもあった。
声援団に加わった学生たちは8月24日に拘束され、実家や大学所在地に送り返された。Twitterでは彼女たちの電話やSNSが遮断され、送還後も監視対象になっているなどの報告も見られた。岳シンは10月22日の時点で失踪状態(拘束もしくは監視状態を意味する)である。
労働組合を設立したいという真っ当な要求をする労働者を支援するだけで拘束されることは、日本の常識では考えにくいことだが、近年の中国の大学をめぐる厳しい環境から考えれば容易に予想できることであり、声援団に加わった学生たちも覚悟の上で活動したと考えるのが自然であろう。
今年に入って筆者のもとには、日本に亡命したいとメールを寄こしてきた現役の大学生が2人もいる。昨年までは全くなかったことである。そのうちの1人とじかに会ったが、警察の監視状態に置かれているという彼は政治・民族問題などとまるで関係がない。ところが、卒業論文のテーマ(中国とは関係なし)をめぐって指導教官と対立し、同級生たちに指導教官とのやり取りを言い触らしたところ、警察が来るようになったという。
いったん警察から睨まれた彼は中国にとどまる限り進学するにせよ就職するにせよ大きな困難が待ち受けているに違いない。一般の学生はそのような目に遭うのが恐いので、警察ににらまれることを避ける。こうして政府に対して一切ノーを言えない学生が圧倒的多数を占めるのが今の中国の大学だと言えよう。
深センでは2000年代に入ってから、組合に入れない出稼ぎ労働者たちが政府非公認の労働組合を作る動きがある。筆者は2008年以降、たびたびこうした非公認組合の現場に入り込んだが、驚かされるのは彼らのほぼ全員が20代の若者であることだ。彼らを支援する弁護士やNGOスタッフも20、30代の若手が多かった。
ただし、筆者が関わった範囲で言えば、こうした活動の中で大学生を見かけたことは1度もない。大学生の姿がなかったことが、労働組合設立の活動が全国規模の大きなネットワークに広がりにくい大きな原因なのではないかとも考えるのである。
中国の大学生のネットワーク力がうかがわれるのが1989年の天安門事件である。学生たちがいったん立ち上がると、軍をもって対峙するしかないほどの強力な力になり得ることをあの事件は示している。だからこそ、中国政府は引き締めを強めているのだとも言える。2013年には大学で教師が学生たちと語り合ってはいけない項目を定めた「七不講(普遍的価値、報道の自由、公民社会、公民権利、中国共産党の歴史上の誤り、縁故資産階級、司法独立の7つ)」が発表されたが、中国の大学生の持つ力を考えれば、理解できぬことではないのではなかろうか。
しかし、いかに規制が厳しくとも、2016年時点で3700万人もいる中国の大学生のみながみな大人しくしているとは考えにくい。物心ついた時からインターネットが普及している大学生であれば、なおさらのことである。
今回の佳士工人維權事件は、少数ではあるものの全国の大学生が労働者の権益を重んじて連帯し政府にノーを突きつけた点で、大きな分岐点になり得る事件だと思う。では、なぜ彼女たちは労働者を支援したのだろうか?このことを続けて取り上げたい。