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死刑囚から被告に戻った寝屋川殺人事件・山田浩二被告の獄中手記

篠田博之月刊『創』編集長
山田浩二被告の獄中手記に描かれた謎のイラスト(筆者撮影)

 2020年2月3日、朝一番の8時過ぎに大阪拘置所を訪ねた。寝屋川中学生男女殺害事件の山田浩二被告に接見するためだ。寝屋川事件といっても忘れてしまった人が多いかもしれない。2015年夏に男女中学生が深夜の商店街から誘拐され殺害された事件だ。逮捕された山田被告には2018年12月に大阪地裁で死刑判決が出されている。

死刑確定者から再び「被告」に。しかし最高裁決定によっては…

 

 ヤフーニュースにも何度も書いたから知っている人もいると思うが、2019年に山田被告は、ボールペン1本をめぐって係官と口論になり、パニックになって何と控訴を取り下げ、自ら死刑を確定させてしまった。私はボールペン1本の喧嘩で裁判をやめてしまうのには納得がいかず、本人を説得。山田被告は5月30日に控訴取り下げ無効の申し立てを行った。

 多くの法律専門家が、一度確定させた死刑判決を覆すのは無理だろうと言う中で、異例なことに2019年12月17日、大阪高裁は山田被告の申し立てを認めて裁判の継続を決定した。しかし検察側が抗告して最高裁で審理が行われている。

 この間の経緯を知りたい方は下記の記事を読んでいただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191222-00155890/

寝屋川殺人事件・山田浩二死刑囚をめぐる驚くべき新たな展開

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191224-00156238/

寝屋川事件・山田浩二被告が確定死刑囚から「被告」に戻って面会室で語ったこと

 接見に訪れた2月3日は休み明けのためか大阪拘置所では朝から順番待ちの人が多く、1時間近く待たされた。そして面会室に入ると「面会時間は15分」と係官に言われた。待っている人が多いと、面会時間は短縮される。東京から2日がかりでやってきて面会時間が15分とは…と思ったが、仕方ない。

 2019年12月にも一度接見しているので、その日は接見禁止が解除されてから二度目の接見だった。

弁護士の指示もあって山田被告はマスコミの取材に応じていない(『創』は別だということになっている)。死刑をめぐるこの異例の事態は、裁判とは何か、死刑とは何かという大事な問題を含んでいるのだが、あまり大きく報道されていないのが残念だ。

 私は1月以降、相模原障害者殺傷事件の裁判傍聴で連日、横浜地裁に通っており、大変忙しいのだが、無理に時間を作って、大阪拘置所を訪れたのだった。最高裁の決定は突然送られてくるし、決定内容によっては再び山田被告は死刑確定者に逆戻りして接見禁止がつく。そうなればもう二度と接見できなくなってしまうことを考えれば、会える時に会っておこうという気持ちだった。

  

獄中手記とともにイラストも

 その山田被告の近況については、獄中手記を2月7日発売の月刊『創』(つくる)3月号に掲載した。この記事ではその内容の主要部分を紹介するが、その前に触れておきたいのは、同時に『創』のカラーグラビアに掲載した彼の描いたイラストだ。

 例えばこの記事の冒頭に掲げたのは、以下紹介する獄中手記を書いた便箋に彼が描いたイラストだ。

東京五輪マスコットの額のマークが首縄に(山田被告提供)
東京五輪マスコットの額のマークが首縄に(山田被告提供)

 イラストに出てくるのが美少年美少女で、世間の山田被告のイメージとかなりギャップがある。

山田被告が死刑確定後に描いたイラスト(山田被告提供
山田被告が死刑確定後に描いたイラスト(山田被告提供

もうひとつこれもブラックユーモアというべきなのが、彼が描いた東京オリンピックのマスコットだ。額のマークが何と死刑囚の首縄になっている。マークが山田被告には首縄を連想させたらしい。

 五輪関係者は不吉だと怒るかもしれないが、追い詰められた死刑囚が考えたジョークと思ってご容赦いただきたい。山田被告としては、2020年を東京五輪の年でなく死刑廃止の年にしたいというメッセージなのだという。

 死刑確定者の彼の心情をストレートに描いたのはここに掲げたイラストで、吹き出しには「怖いよー」「助けて」など彼の思いがストレートに書き込まれている。

 以下、山田被告の獄中手記の一部だ。興味ある方はぜひ『創』の原文をご覧いただきたい。

「下手すれば年内執行か、そう思っていた」

 《控訴取下げ書提出無効申立てに対する年内の決定通知は時期的に厳しいと思っていた。年明け以降になるだろうと思っていた。なので12月17日に無効の決定を通知する書面を受け取った時はその書面記載内容の意味が全く理解できなかった。

 それから1週間…。正直な気持ちまだ無効が決定になったという実感はない。年内は「死刑確定者」としての身分で過ごすクリスマスや年末年始になるだろう…と思っていたし、下手すれば今や恒例となった年末執行の餌食にされて生きて年越しするのは無理なんじゃないか?とも思っていたから…。

 あれからもう1週間かあ…。この1週間で僕の生活環境等は約7カ月ぶりにガラリと変化した。今回逮捕されてから色々あって何度も生活環境がガラリと変化する事が多くて精神的について行けない時も数えきれない程あったけど、大半は僕にとってBadなChange in the environmentだった。

 けど今回だけは…。7カ月前の5月18日に僕は取り返しのつかないActionを起こしてしまった。それが悪夢のSaturday nightになるなんて思っていなかったし、それが今後の僕の人生に大きな影響を与える結果になるなんて…。気がつけば死刑判決が確定してしまっていた。》

しばらくは絶望と失望だけで辛かった

《とりあえず死刑確定者の身分になった以上、色々な面で風当たりも厳しくなり、それはすべて僕に戻って来るだろうからめっちゃ悔しくてたまらないけど、今は一旦妥協までは行かなくても、こいつらの言いなりにならなアカン…それが最善だと、僕は本能的に感じた。

 これまでの人生の中で「死刑確定者」になったのは当然初めてだし、それに伴う処遇変更も多くて、まずはそれを把握しなければ今以上にドツボにはまってしまう。今目の前にいる敵は国家権力の集まりであり僕ひとりの力ではどうあがいても勝てやしない相手だ。馬鹿に権力を持たせるとろくな事がないとは判っていたが、目の前にいる敵があまりにも失笑レベルの馬鹿過ぎて相手するのも疲れる。実はその数日前から、僕は食事を受け付けない身体になっていた。

 僕を嵌めた馬と鹿の刑務官があの夜以降に夜勤に付き、そのツラを見て気分が悪くなり、何も食べられなくなってしまっていた。体力的にも精神的にも弱っていたんだろう。5月31日の夕方には意識を失っていたらしく倒れていた所を発見された。なんとか一命を取り止めたが、さすがにこのままだと「ガチでヤバイ、身体がもたない」と思った。

 このままくたばってたまるか! そう思って少しずつだけど薬だと思って食べ物を口にするようになったが「やっぱ無理」と思って朝、昼、晩の一日三食を完食するのは無理だった。今思うとそれだけ僕の精神は崩壊し、翼もバッキバキに折れて、どうやって現実を受け入れればいいのか判らなかったんだろうと思う。実際懲罰中にささいな事で揚げ足を取られて嫌がらせをされたり、つまらぬ事で調査となり、しばらくは調査と懲罰の繰り返しが続いた。

 死刑確定者となり刑執行の為だけに生かされるだけの命なんだから、ど~なってもええわ。好きにしろや! このクソ野郎!!? という気持ちにはならなかったので投げやりになる事はなかったけど、しばらくは絶望と失望だけで言葉では表現できないくらい辛かった。》

今こうして生きていられる事に感謝

《そして僕は12月17日を迎えた。あれから1週間。令和初のクリスマスイブ。僕は今こうして生きていられるという事に感謝をして過ごしている。これまで当り前だった日常が当り前じゃなくなった瞬間、というのは数多く体験したけれど、それが僕の命につながるというのは今回が初めてだ。

 死刑を執行される為だけに生かされているという命、いつ執行されるのか判らない不安や恐怖に恐れる日々、常に生と死の向かい合わせの毎日…ある意味人生において貴重な体験をした7カ月だが、この期間にたくさんの人達、大切な人達に淋しい思いや心配をかけてしまい大変申し訳なく思う。

 失った信頼も多く今後は信頼を取り戻せるように、しっかりと頑張って生きて行こうと思う。12月17日に裁判所から控訴取下げ無効の決定があり、2日後の19日に死刑確定期間中に僕宛てに届いていたものの外部交通の制限の為に差し止めとなっていた手紙を受け取った。

 大半は面識のない方からの激励の便りだった。世間の大半の人達は死刑確定者になれば、受刑者以上に外部交通が制限されるのを知らないみたいで、改めて死刑確定者の処遇等について日本はまだまだ閉鎖的なんだな…と思ったし、実際死刑確定者として生活する事で判らない事もたくさんあるって事を知った。死刑廃止に向けてもっともっと情報発信をしていかなければならないと思ったし、それを実際にActionしなきゃ死刑廃止は今の日本では不可能だと思う。

 死刑廃止…っていうか、まずは死刑制度の見直しから始めなきゃ先に進まないと思う。死刑についての理解を世間にもっと深めて行かなきゃいけない気がする。これ以上国家権力なんかに命を奪われるような事のない国を目指して…。

この1週間は死刑確定期間中に応援、支援をして頂いた人達や届いていたまま差し止めになっていた手紙についての礼状をずっと書いて過ごしたけれど、1日1通の発信枠では年内に総ての人達へ礼状発信をするのは不可能であり、この場をもってお礼を言います。

 なんとか1月中には僕から礼状を届けられるようにするつもり。12月23日には篠田編集長から年末の多忙な中、朝一番で面会に来てくれた。約7カ月ぶりの再会…無効決定後初の面会でもありすごく嬉しかったけど、20分の面会時間じゃ全然足りなくて会話もなんかうまく噛み合わなくて申し訳ない気分だった。

 そして翌日、死刑確定前に篠田編集長から差入れてもらっていた本がようやく手元に交付された。ちなみに『死刑執行人の苦悩』は刑訴法70条1項1号に該当するとか言われ禁止と言われた。》

執行の朝、食べようと準備していたチョコレート

《ちなみに本日届いた篠田編集長の著書『ドキュメント死刑囚』の中で、僕自身、今回自ら控訴取下げをしてしまった事もあり、第2章「奈良女児殺害事件」と第4章「土浦無差別殺傷事件」をまず読んだ。色々と考えさせられた。取下げた理由は僕とは違うけど、違うだけに胸に響く物が重く悲しい気持ちになった。どんな心境で控訴を取下げ、処刑場に連れて行かれたんだろう…なんて考えると涙が止まらなかった。

 ところで昨年の今の時期は死刑判決宣告直後だった事もあり、精神的に辛くクリスマスソングを聞くのも嫌だったけど、今年はそれなりにクリスマス気分を味わえそうだ。

 死刑執行の朝、処刑場へ連行される前に食べようと準備していた生涯最期になるはずだった板チョコレートをかじった。甘さと苦さが混じった、せつない味がした。何故だか涙が出た。》

両親にはまだ知らせていないが、妹からは…

 手記の引用は以上だ。2月3日の接見では時間が短かったが、山田被告の近況をいろいろ聞いた。昨年夏に、もう息子とは今生の別れと思って4年ぶりに両親が接見に来たのだが、死刑台からまた半歩戻ってきた知らせはまだ両親にしていないという。最高裁で再びひっくり返る恐れがあるからのようだ。手紙を書いたのに音信不通だった妹は、まだ何も連絡がないが、12月の高裁決定について弁護人に問い合わせの電話があったようだ。肉親が死刑囚であることは隠している可能性があるし、今後も妹が接見に来てくれるかどうかは不明だが、少なくとも兄の安否について気にかけていることはわかった。

 山田被告は再び死刑確定者に戻った時のことを考えて、いろいろな手を打ち始めている。一番大きいのは再び接見禁止になった場合、どう対応するかだ。

 死刑台のすぐ前まで行って、こんなふうに再び未決囚の立場に戻ったケースは極めて珍しい。死刑確定者になって改めて生きることの意味を考えた、と山田被告は言う。

 最高裁決定はそんなに遠くない時期に出される見通しだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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