寝屋川事件・山田浩二被告が確定死刑囚から「被告」に戻って面会室で語ったこと
2019年12月23日朝、大阪拘置所で寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告に接見した。彼の呼称を「元死刑囚」とかいろいろ考えたが、結局この記事から「被告」または「被告人」とする。5月に自ら控訴を取り下げて死刑を確定させてしまった彼が、取り下げ無効の申し立てを5月30日に行い、大阪高裁がそれを認める異例の決定を出した。本人のもとへ、その決定が届いたのは12月17日の午前だった。
それによって確定死刑囚として接見禁止になっていた彼の処遇が確定前に戻り、再び接見が可能になったのだった。取材のために接見を申し出たマスコミの依頼を山田被告は拒否していたから、その23日の朝が、高裁決定後の彼にとっての最初の接見だった。
死刑台に自分の手で自分を追いやり、再び戻ってきたわけだが、検察がその決定を不服として特別抗告したから、完全に戻れたわけではない。せいぜい死刑台から半歩戻ったという感じだろうか。最高裁の決定によっては、彼は再び死刑台に追いやられるかもしれない。
これまでの経緯は前回の記事に書いた。下記を参照いただきたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191222-00155890/
寝屋川殺人事件・山田浩二死刑囚をめぐる驚くべき新たな展開
23日の接見時間は20分だったが、話すべきことは山ほどあった。山田被告にとってみれば、突然控訴取り下げで接見禁止がついてしまったため、連絡がとれていない人もおり、そういう人に事情を知らせたいということから始まって、今度同じく接見禁止になった時に備えて、幾つか手を打っておきたいという気持ちもあった。主にそういったことを話したのだが、まず私の関心事は、今回の異例の展開の中で、山田被告の処遇がどうだったのか、ということだった。確定死刑囚でありながら一方で手続無効の申し立てを行っているわけで、恐らく拘置所としても前例のない事例で戸惑ったに違いない。
確定死刑囚の処遇として気になった幾つか
死刑が確定すると被告の処遇は大きく変化する。法的には半年以内に死刑が執行されるわけで、いつ執行があっても不思議ではない状態に置かれる。執行されるまで待機するという状況に置かれるのだ。多くの死刑囚にとって、接見禁止になることが最初の苦痛のようだ。
今回の山田被告のように、一度その処遇になってから再び被告の立場に戻されるというのは、死刑冤罪事件以外ではほぼ例がない。山田被告の場合は、この約半年間の具体的な処遇はどうだったのか。面会室で、彼にひとつひとつ尋ねていった。
法的根拠ははっきりしないのだが、実は確定死刑囚には幾つか特典も与えられる。一番知られているのは、部屋でビデオを見られるようになることだ。私がかつて10年以上関わった連続幼女殺害事件の宮崎勤元死刑囚(既に執行)にとっては、これは極めて大きな出来事だった。彼はオタクという言葉ができたきっかけとなった犯罪者で、アニメ収集家だった(当時はまだネットは普及していない)。逮捕された時に部屋に6000本のビデオが積み上げられていたのを見て社会が仰天した。
そのアニメ収集癖のある彼が、死刑確定と引き換えに、再びアニメを見る特典を与えられたのだった。私は死刑判決が確定して1カ月ほどして特別接見許可を得て、接見したのだが、宮崎死刑囚は、確定後最初に観たのが「天空の城ラピュタ」だったと面会室で語っていた。
死刑確定の意味もあまりわからずにそう話す彼を見て、私は複雑な思いがした。
で、山田被告の場合、どうだったのか。
ビデオの件について訊いてみると、係官に「そうなるには半年かかる」と言われたまま、結局、そうはならなかったという。
もうひとつ、確定死刑囚については、月に借りだせる官本の冊数が増えるのだが、これは適用されたようだ。
さらにもうひとつ、現在、信仰心を持ちつつある山田被告にとっては気になることだったろうが、確定死刑囚の相談相手になる教誨師(きょうかいし)がつかなかったという。
これらはそれぞれ個別の事情があるのかもしれない。
ただ何となく私には、山田被告の置かれた特殊な事情を鑑みて、拘置所が対応していたように思えてならない。拘置所も、半年ほどたてば、山田被告の控訴取り下げ無効申し立てについて裁判所の決定が出るのではないかと考えていたのではないだろうか。
死刑確定後の手続きと経過は
死刑囚のこういう処遇についてはある程度、拘置所長の裁量権があるようだから詳しい事情はわからない。ただ裁量といっても、確定死刑囚には前述した特典はほぼ全てのケースで与えられているようだから、基準はあるに違いない。
ちなみに、確定死刑囚に対して、2006年に旧監獄法が改正され、それまで家族と弁護人以外は認められなかった接見できる存在が「知人」にも拡大された。この知人は、死刑囚本人の申請に基づき、拘置所が決めるのだが、これも所長の判断ひとつで、複数になることもあれば1人だけだったりする。
また申請された中から誰を選ぶかも拘置所が決める。山田被告の場合は、当然、私も申請リストに入っていたのだが、選ばれたのはキリスト教関係者1人だった。キリスト教関係者も何人か申請されたのだが、拘置所が1人だけを許可したのだった。
山田被告とやりとりできるようになって、いろいろなことがわかった。私が前回接見したのは、彼が控訴取り下げを行った後の5月23日、24日だったが、その24日に彼に差し入れた当時の新聞記事と書籍が不許可になった。どうもその日まさに確定死刑囚への処遇変更がなされたらしい。
山田被告は5月18日土曜の夜に控訴取り下げの書類を提出しており、その書類の日付で死刑が確定したようになっている。あるいは実際に手続きが始まったのは週明けの20日月曜日だろう。
ご存じない方のために書いておくと、死刑が確定したからといって、その日から確定死刑囚の処遇にすぐに移行するかといえばそうではない。様々な事務手続きの時間がかかるので、接見禁止になるまでにタイムラグがあるのだ。例えば東京拘置所にいる木嶋佳苗死刑囚の場合は、その手続きがやたら長く、なかなか接見禁止にならないのを本人が驚いていた。
接見禁止になるまでの期間は、通常はこれが最後の面会だと接見希望者が殺到する。私も和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚の死刑確定後は、接見希望が多いために、TBSなど他社と3人一緒に接見したのを覚えている。
4年間会っていなかった両親が「今生の別れ」に
山田被告に話を戻すと、確定死刑囚になってから約半年の間に、いろいろなことがあった。
一番大きいのは、4年間会っていなかった両親が8月に接見に来たことだ。
死刑囚の場合は、家族も表向き関わりを避けるし、家族に見捨てられたようになってしまうケースが多い。
寝屋川事件は2015年当時、大きく報道もされたし、山田被告の家族も大変な思いをしたことは間違いない。実際、実の妹はいまでも、音沙汰がないという。山田被告側は、確定後も家族は接見可能なことを知っているから、家族に手紙を書いたようだ。妹はなぜか最初は拘置所が許可しなかったので、それはおかしいと交渉し、ようやく妹も接見可能な家族のリストに入れてもらったらしい。
でも実際には音信がないという。私はこれまで死刑囚に関わったことは幾つかあるが、こういう事例は少なくない。家族だって自分が生きていくためには、死刑囚の家族であることを周囲に隠すことが多いのは当然だろう。
だからそういう事情の中で、高齢の両親が会いに来てくれたことは、山田被告にとって本当にうれしかったに違いない。
山田被告によると、両親はこれが息子との最期の別れになる、今生の別れと考えて接見に来たらしい。でもそこで、いやそうでなくて今控訴取り下げ無効手続きをしているからと山田被告は説明したのだが、最後までわかってもらえなかったらしい。
それはそうだろう。もう死刑確定と報道された息子が今回のように、裁判所の決定で再び死刑台から戻ってくるなどというのは理解しろという方が無理だろう。
当事者になって「死刑問題」に大きな関心が
そのほかにもこの約半年の間、山田被告にはいろいろなことがあった。大きな変化は、彼が死刑問題に多大な関心を持つようになったことだ。今回、面会室に入ってきた山田被告は、この半年間の月刊『創』を全て持参していた。
最後の手記が掲載された7月号も接見禁止がついて私から送れないでいたのだが、彼は自分で知人に頼んで買い求め、死刑冤罪の三鷹事件や再審について特集した『創』9月号などを熱心に読んでいた。同時にその号には、元オウム幹部死刑囚の妻たちの手記も載っていた。
そして前回の記事で書いたように、山田被告は、「死刑囚の表現展」に作品を応募しており、その作品も紹介したが、実は同じ作品を『創』用にも別バージョン描いていたのだった。それに限らず、彼が獄中で描いたイラストや心情を書いた随筆などを今回、たくさん入手することもできた。
この記事の冒頭に掲げたイラストもそのひとつだ。2020年はオリンピックの年だが、同時にこの年を死刑廃止の年にしたいという思いを込めて描いたという。オリンピックのシンボルと死刑廃止を重ね合わせた、ブラックユーモアも漂うイラストだ。
このほかにも山田被告は、『創』に掲載してほしいというイラストをたくさん提供し、年明けに出る号の表紙にしてほしいという作品もあった。ここに掲げたのは、冒頭のイラストの全貌を描いたものだ(「パプリカ」の文字が見えるが、好きな音楽だとのこと)。
20分の面会時間では話が終わらず、係官が「もう時間です」と言った後も話は続いたのだが、別れ際、面会室を出る時に、山田被告からは「イラストはぜひ載せてください」という声が響いた。私が「わかった」と言うと、彼からさらに「表紙に」。私が「それは無理」と言ったところで係官に「時間だから」と遮られ、面会は終了した。
今回、掲げたのも山田被告のイラストだが、前回の作品もそうだったように、このまま自分は死刑台へ上がることになるのではないかという恐怖が背景にあって描かれたものだ。前述した「死刑囚の表現展」に毎年応募してくる死刑囚たちの様々な作品には、死に直面した人間の思いが色濃くにじみ出ている。
「死刑囚の表現展」について以前書いたので下記をご覧いただきたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191117-00151186/
秋葉原事件・加藤死刑囚、寝屋川事件・山田死刑囚らが死刑囚表現展に出品した作品とは
最高裁の決定はいつどんな内容になるのか
奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚も死刑確定後に裁判のやり直しを求める手続きを行ったことで知られるが、その経緯から考えると、そう遠くない時期に最高裁決定が出ると思う。今回大阪高裁は熟考を重ねたうえで約半年で決定を出したが、次の最高裁の決定はそこまで時間がかからずに出されると思う。
もし最高裁も裁判継続の高裁決定を支持、裁判が本当に開かれることになったら、いろいろな意味で影響は大きいと思う。
この事例は極めて大事だと前回の記事で強調した。直接的には、寝屋川事件の裁判がどうなるかという問題だが、今回の件はそれにとどまらず、裁判とは何なのか、どう考えるべきなのかという重たい問題に関わっていると思うからだ。
私が最初に山田被告の控訴取り下げの事情を聞いて、これは到底納得できないと思ったのは、裁判というものの重たい意味が全く蹂躙されていると感じたからだ。ボールペン1本をめぐる個人の喧嘩で、裁判が開かれなくなってしまうなどということがあってよいはずがない。それは亡くなった中学生2人に対する冒とくでさえあると思う。
最高裁にはぜひ、大阪高裁の決定を尊重して、裁判を行うよう求める決定を出してほしいと思う。
民事でテレビ、新聞を提訴中
なお、今までのところ、山田被告はマスコミの取材を拒否しているが、これは決定翌日に駆け付けた弁護団との協議の結果で、当面応じるつもりはないと言っている。私はこの問題はもっとマスコミが掘り下げて報道してほしいと思うから、23日の接見では山田被告に取材に応じてはと勧めるつもりだった。でも、確かにいろいろ聞いてみると彼や弁護人の気持ちは理解できる。
5月の控訴取り下げの時には、彼が幾つかの新聞の取材に応じ、動揺したまま語った発言の一部が大きな見出しに躍ったから、弁護人としても今回は大事な局面だと慎重になるのはやむをえないかもしれない。
山田被告はもともとマスコミ不信が強く、今も一部の新聞・テレビを民事で提訴している。
奈良女児殺害事件の小林死刑囚もマスコミには激しい敵意を抱いていたが、『創』は大手マスコミとはスタンスが異なるので、これまでもマスコミ不信の事件当事者とのつきあいはかなり多い。今後ともそういうスタンスからこの事件も報じていくつもりだ。
でも山田被告が新聞・テレビを事実誤認や名誉棄損で提訴している話を面会室で聴きながら、「でもネットはもっとひどいかも」と思わざるをえなかった。ネットの場合はそもそも情報発信にあたって裏をとるという発想がない記事が多い(ここで言っているのは、個人の意見を書いた記事でなく、客観性を装って書いている記事についてだ)。また山田被告の手記を無断で全文コピーして自分のブログに掲載していたりするのも、せめて了解をとるくらいの努力をしてもよいのではと思う。
せっかく革命的な道具なのに、それを使いこなすルールやリテラシーが欠けている。過去の事件当事者について知るにはまずネット検索という人が多いので、もう少し何とかならないものか、といつも感じるのだ。