熊本で新年早々に震度6弱、2019年に周年を迎える地震は?
新しい年になりましたので、2019年の周年災害を振り返ってみます。
ベスビオ火山噴火
誰もが知る「ポンペイの最後の日」を生み出したベスビオ火山が大噴火したのは、西暦79年8月24日です。翌日、大規模な火砕流が発生し、イタリア・ナポリ近郊の古代都市ポンペイが、一瞬のうちに火山堆積物の中に埋没しました。そして長期にわたって遺物が保存され、18世紀半ば以降から発掘されました。多くの人の命を奪った悲劇が、当時のローマ文明を現代に再び蘇らせることになりました。
飛鳥時代の地震
日本書紀に記された地震が2つあります。599年5月26日(グレゴリオ暦5月28日、推古7年4月27日)の推古地震と679年はじめ(天武7年12月)の筑紫地震です。推古地震は、歴史記録に被害記録が残る最古の地震です。奈良にあった大和国で家屋倒壊があったようです。また、福岡県で起きた筑紫地震では、地割れの記述が残されています。奈良、福岡共に、活断層が存在する場所です。1400年も前の大和国や筑紫国での被害記録が国史に残っていることは凄いことです。ちなみに、これらの地震の後、684年に最古の南海トラフ地震の白鳳地震が発生しました。
東北の巨大地震「貞観地震」
869年7月9日(グレゴリオ暦7月13日、貞観11年5月26日)に発生した貞観地震は、東北地方太平洋沖地震と同様の大津波を伴う超巨大地震でした。その様子は京にも伝えられ、六国史の最後の国史・日本三代実録には、蝦夷と対峙する北の要衝・多賀城を襲った津波の様子が克明に記されています。また、小倉百人一首の中には、「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは」(清原元輔)と「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」(二条院讃岐)の2首があります。多賀城の近くにある「末の松山」と「沖の石」を歌枕にしており、「末の松山」は津波が越さず、「沖の石」は乾く間もないとも読めそうです。
平安時代の南海地震とも言われる康和地震
1099年2月16日(グレゴリオ暦2月22日、承徳3年1月24日)に康和地震が発生しました。南海地震の候補にもなっており、東海地震と考えられている1096年12月11日(グレゴリオ暦12月17日、嘉保3年11月24日)の永長地震とセットの南海トラフ地震だと思われています。ただし、永長地震が南海トラフ全域での地震だとの考えもあるようで、はっきりしていません。いずれにせよ11世紀末に南海トラフ地震があったことは確かなようです。
熊本で起きた江戸初期と明治の地震
1619年5月1日(元和5年3月17日)に熊本(肥後)で地震が起き、八代城(麦島城)が倒壊しました。また、1889年(明治22年)7月28日には明治熊本地震が発生し、20人の死者が出ました。この地震では熊本城にも被害が出たようです。日本で地震観測が始まってから初めての地震でした。被害写真が残る最古の地震でもあります。
これらの地震の震源の近くでは、2016年4月14日と16日に熊本地震が発生し、2度の震度7の揺れが襲いました。14日の地震は日奈久断層の東側で起きており、八代はこの断層の南西側になります。また、16日の地震は日奈久断層に隣接する布田川断層の東側で発生しました。明治熊本地震では布田川断層の西側地域で被害が大きかったようです。
ちなみに、本年1月3日に震度6弱の揺れが襲った熊本での地震の震源は、これらの断層の北にあり、近くには活断層は見つかっていません。
大都市サンフランシスコを襲ったロマ・プリエタ地震
1989年10月17日に米国カリフォルニア州のロマ・プリエタを震源とするマグニチュードMw6.9の地震が発生し、死者62人が犠牲になりました。北米西海岸にあるサンアンドレアス断層が活動したことによる地震です。私は、たまたま米国出張中だったため、直ぐに現地に赴きましたが、サンフランシスコのベイエリアの被害が大きく、マリーナ地区の住宅が多数被害を受けていました。また、サンフランシスコとオークランドを結ぶベイブリッジも損壊し、高速道路の高架橋も落橋していました。1906年にサンフランシスコを壊滅させたサンフランシスコ地震以来の地震で、5年後の1994年1月17日には、ロサンジェルスを襲ったノースリッジ地震も発生しています。1995年兵庫県南部地震と共通する被害が多く、現代の大都市の防災課題を色々教えてくれる地震でした。
世紀末にトルコと台湾で発生した大地震
1999年8月17日にトルコでMw7.6のコジャエリ地震が発生し、1万7,000人もの人が犠牲になりました。トルコ北部にある北アナトリア断層の一部で起きた地震です。この断層上では、1939年から地震が隙間なく立て続けに起きてきており、コジャエリ地震が発生したのはその空白域でした。この断層は首都・イスタンブールの近くまで延びており、将来の大地震発生が懸念されています。
トルコでの地震の1か月後の9月21日には、台湾の車籠埔断層沿いでMw7.6の集集地震が発生し、2,415人の死者が出ました。震源から150km離れた台北市でも12階建てのビルが倒壊するなど大きな被害となりました。この地震では、断層沿いの石岡ダムで10mもの断層ずれが起きました。
2009年に起きた地震予知を揺るがしたイタリアと駿河湾の地震
2009年4月6日、イタリア中部でMw6.3のラクイラ地震が起き、死者308人を出しました。この地震では、科学者の説明責任の問題が注目されました。同年の1月から群発地震が続いており、その最中の3月31日に、国の委員会が大地震の兆候はないと判断し、記者会見をしていました。このことが被害拡大につながったとして、科学者6人を含む委員会関係者7人が過失致死容疑で地方裁判所に起訴されました。一審は実刑判決でしたが、二審では、証拠不十分で科学者は無罪となり、2015年に最高裁で判決が確定しました。これをきっかけに、地震予知に関わる科学研究のあり方が問われるようになりました。
同年8月11日には、Mj6.5の地震が駿河湾で発生し、最大震度6弱の揺れで、1人の方が犠牲になりました。この地震では、気象庁が東海地震観測情報を初めて発表しました。ラクイラの地震で地震予知の問題が話題となった直後に、地震予知を前提にした東海地震の観測情報を発表することになったのは、不思議な縁のように感じます。
そして、10年が経って、わが国の防災対応も大きく見直されつつあります。2017年に、南海トラフ地震に関する中央防災会議の作業部会が「確度の高い予測は困難」とし、予知を前提とした対応は「改める必要がある」と見解を示しました。ラクイラ地震後の地震予知騒動も一つの背景かもしれません。さらに昨年末には、中央防災会議の作業部会で「南海トラフ沿いの異常な現象への防災対応のあり方について(報告)」がとりまとめられました。この報告に基づいて、今後、具体的なガイドライン作りや防災対応を実行するための仕組み作りが急ピッチで進んでいく予定です。