オートバイのあれこれ『85年の鈴鹿。パステルブルーのFZR750』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『85年の鈴鹿。パステルブルーのFZR750』をテーマにお送りします。
この週末は鈴鹿8耐ウィークですね!
現地へ観戦に行かれる方は熱中症にお気をつけくださいね。
ということで、今回は鈴鹿8耐に絡めた話題を。
かつての8耐では、日本の名だたる大企業が参戦チームのスポンサーにつき、レースを走るバイクも様々なスポンサーカラーで彩られていました。
80年代後半にヤマハのマシンを染めていた“資生堂(SHISEIDO)・TECH21カラー”も、その代表的なカラーリングの一つといえるでしょう。
1985年(昭和60年)の8耐において、資生堂はヤマハワークスチームのメインスポンサーに就任。
なぜヤマハと資生堂がタッグを組んだのかというと、当時ヤマハと契約していたレーシングライダー・平忠彦氏が資生堂の商品『TECH21(テック・ツーワン)』の広告キャラクターを務めていたからです。
85年の8耐ワークスマシン『FZR750』は、整髪料の『TECH21』にちなんで、独特な青系のパステルカラーに塗られていました。
そして「YAMAHA」の文字とともに、「SHISEIDO」「TECH21」の文字も配されます。
80年代のヤマハのレーシングマシンといえば、“Marlboro(マールボロ)カラー”や“GAULOISES(ゴロワーズ)カラー”が有名でしょうが、このTECH21カラーもレースファン・8耐ファンにとっては思い入れが深いのではないでしょうか。
ちなみに85年の8耐でこのFZR750を駆ったのは、平忠彦氏とケニー・ロバーツ氏。
決勝レースでスタートに失敗し、最後尾あたりにまで順位を落としたFZRでしたが、ロバーツ氏と平氏の驚異的な巻き返しによってトップの位置まで浮上し、快走を見せます。
しかし、レース終了まで残り30分のところで、なんとマシントラブルが発生。
結局、平氏はピット前のホームストレート上でFZRを止め、歯痒くも優勝を目前にしてリタイヤとなってしまったのでした。
この出来事はヤマハを応援していた観衆にとっては悲劇的なことでしたが、後に鈴鹿8耐の名シーン・名ドラマとして語られるようになり、8耐人気が盛り上がる一つのきっかけにもなったのでした。