2024年にオープンする「あまり話題になっていない」金沢ゴーゴーカレースタジアムはなぜ誕生したのか?
金沢駅前で友人の車にピックアップしてもらい、およそ5分のドライブで目指す目的地が見えてきた。Googleマップには「金沢城北市民運動公園」と表示されている。
金沢市政100周年を記念して、1991年にオープンした金沢市民サッカー場。そのすぐ隣に、真新しい専用スタジアムが建設されている。来年2月にオープン後、ここがツエーゲン金沢の新しいホームスタジアムとなる。この新スタジアム。ネーミングライツが決まり「金沢ゴーゴーカレースタジアム」となることが発表されたのは、今年8月18日のことであった。
おそらく「ゴースタ」か「カレスタ」と呼ばれるであろう、北陸では初となる球技専用スタジアム。しかし、この新スタに関する報道が、全国ニュースにピックアップされることは極めて稀だ。それこそ、今回のネーミングライツの件でSNSがざわついたくらい、と言っても過言ではない。
2024年のJリーグでは、3つの新しい専スタがオープンする。広島のエディオンピースウイング広島、長崎のPEACE STADIUM Connected by SoftBank(ピーススタジアム コネクテッド バイ ソフトバンク)、そして金沢ゴーゴーカレースタジアム。ところが金沢の新スタは、広島と長崎に比べて、サッカーファンの間でほとんど話題になっていない。なぜか?
さまざまな見方があるだろうが、私が考える一番の理由は、広島や長崎に比べて「ストーリーが見えてこないこと」だと思う。
これまでJ1で3回の優勝を誇る広島にとり、アクセスの悪さと屋根なしで老朽化した現在のスタジアムからの脱出は、関係者の悲願であった。長崎もスタジアム問題で、4シーズンをJFLで足踏みした歴史がある。その後、ジャパネットホールディングスとの幸福な出会いが契機となり、諫早のトラック付きスタジアムから長崎駅からほど近い場所に移転することとなった。
では、金沢の場合はどうか? J2のツエーゲンが現在使用している、西部緑地公園陸上競技場は、屋根がほとんどないトラック付きでアクセスにも難があるが、今すぐ脱出したくなるほどの酷さではない。
Jリーグのライセンスは交付されたものの、スタジアム建設の話が進まない──。そうした話をあちこちで耳にする中、金沢の新スタジアムはなぜスムーズに話が運んだのだろうか。関係者への取材から、明らかにしていくことにしたい。
■新スタのキャパシティがJ2基準の1万人となった理由
「クラブにとって新しいスタジアムは、大変ありがたい話ですし、指定管理も取れました。ピッチに近いから、選手たちの息づかいが聞こえるというのも楽しみですね」
そう語るのは、米沢電気工業の会長で、ツエーゲン金沢の社長も兼任している米沢寛だ。2006年、ツエーゲン金沢の立ち上げに参画。以来17年、クラブ社長を務めてきた。
「加賀百万石」の観光地であり、文化都市としても知られる金沢。だが、サッカーを含むプロスポーツについては不毛の状態が続いていた。サッカーでは年に一度、ガンバ大阪のホームゲームが西部緑地で行われるのみ。プロ野球の読売巨人軍も、石川県立野球場で巡業していたが、施設の老朽化を嫌って、正力松太郎の故郷である富山で試合を行うようになった。
そんな金沢にオープンする、新スタのキャパシティはJ2基準の1万人。J1基準よりも5000人足りていない。昇格したらスタンドを拡張する話もあるようだが、最初から1万5000人にしたほうが、長い目で見ればコストを抑えられるのではないか。米沢の答えはこうだ。
「今はスタンドが3面。(J1に)昇格したら、もう1面増やして1万5000人にすると聞きました。おっしゃるとおり、最初から1万5000人にしたほうが良かったと思うんですが、金沢市の予算の都合で1万人に落ち着いたみたいです。総工費は80億くらいでしたかね」
キャパが1万人とはいえ、新スタの総工費が2桁億円というのは、今の時代ではかなりコンパクトである(ちなみに広島は271億円、長崎は900億円以上と言われている)。着工のタイミングが、ウクライナ戦争開始以前の2021年9月だったことも幸いした。その後の資材費高騰が直撃していたら、総建設費は間違いなく3桁億円に達していただろう。この絶妙なタイミングでの建設を決断したのが、当時金沢市長だった山野之義である。
「前市長の山野さんは、歴代の市長では珍しく、スポーツに力を入れている人でした。金沢マラソンを始めたのも彼だし、今回のスタジアム建設も彼の思いがあったからこそ具体化しました。去年、任期途中で市長を退任して(石川)県知事選に立候補したんですけど……」
残念ながら、山野は落選してしまう。当選したのが、プロレス出身で元文部科学大臣の馳浩。今年の元日、日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合にサプライズ参戦して「私は死ぬまでプロレスラー」と発言した、あの馳浩である。
■さまざまな幸運が重なって作られた新スタだからこそ
「市長になる前まで勤務していたソフトバンクから『お前、ぶらぶらしているなら、こっちを手伝え』と言われまして(笑)」
差し出された名刺には《ソフトバンク株式会社 法人事業統括戦略顧問 金沢大学客員教授》とある。金沢の新スタジアム建設で、決定的な役割を果たした前市長の山野は知事選後、古巣のソフトバンクに戻っていた。現在は自宅のある金沢と東京を行き来する日々だという。
前々市長の山出保は20年の治世の中で、金沢21世紀美術館など文化政策に力を入れてきたことで知られる。これに対して山野は「金沢市スポーツ文化推進条例」を制定し、金沢マラソンをはじめとする「スポーツを文化にする」ための施策を推進してきた。
「そこで課題として浮上してきたのが、市内の施設が軒並み老朽化していたことでした。プール、野球場、そしてサッカー場。プールは50年以上が経って漏水している状況でしたし、野球場やサッカー場は、ただ古いだけでない。女性がプレーするという発想で作られてなかったので、女性用の更衣室やトイレもありませんでした」
いずれも改修が必要だったが、もちろん予算には限りがある。そこで優先順位を決めて、5年スパンで改修プランを立てていくことになった。そうした中、金沢市民サッカー場を改修するのではなく、サッカー専用スタジアムを新たに建設する、新たなプランが浮上する。
「市民サッカー場の改修を考えた時、せっかくだからJリーグ仕様にしようという話になりました。ただ、Jリーグのスタジアム基準って、時代と共に変わっていくじゃないですか。屋根についても、当初は『6割くらい』という話だったのが、いずれ『すべての観客席』となると言われました。だったら改修ではなく、イチから新しく作ろうということになったんですね」
とはいえ、いくら「コンパクト」と言っても80億円という建設費(最終的には82億2000万円)は、市長として覚悟を求められる金額だ。「サッカーが盛ん」とは言い難い金沢の地で、よくぞ議会で承認されたものだと思う。
「建設されたのは、金沢城北市民運動公園。公園内での建設については、国から建設費の半分を出してもらえるんですよ。もともと市としても積立をしていましたし、totoの助成金も入ってくる。そして『防災備蓄倉庫を兼ね備えた施設』というこということでも、国から補助していただくことになりました。金沢市としての単独予算は、相当に抑えられるという目算がついたので、ゴーサインが出ることになったんです」
金沢に新しい専スタが誕生することとなったのは、さまざまな幸運が重なったことが大きい。幸運といえば山野が去ったあと、副市長としてスタジアム建設に関わった村山卓が市長となり、県知事にはスポーツに理解がある馳が就任。県と市の首長同士が良好な関係だったこともあり、ツエーゲンが県営の西部緑地から移転することに、しこりが残ることはなさそうだ。
気になるのは、ツエーゲンの現在の順位だ。第38節を終えて、降格圏内の22位(最下位)。これだけの幸運に恵まれながら、新スタジアムが完成するのである。何とか自力で残留を達成し、来季はJ2の舞台で新スタの開幕が迎えられることを願うばかりだ。
<この稿、了。文中敬称略。写真はすべて筆者撮影>
※本稿は宇都宮徹壱ウェブマガジンで掲載した記事のダイジェスト版です。