【鉄道開業150年】第1号列車には、西郷隆盛、勝海舟、渋沢栄一、大隈重信ら豪華な顔ぶれが乗っていた!
令和4年(2022)は、明治5年(1872)に日本の鉄道事業が開業してから、記念すべき150年目にあたる。
同年9月12日、新橋~横浜間で初めての列車が運行され、明治天皇や政府高官、外国公使らが出席して鉄道開業式が盛大に開催された。
目を引くのはこの時の第1号列車の乗客の豪華なことだ。明治天皇はもちろんのことだが、西郷隆盛、勝海舟、渋沢栄一、大隈重信、板垣退助、井上馨、山県有朋などといった、幕末維新期を彩る英雄たちが軒並み顔をそろえていたのである。
彼らは日本の文明開化の象徴ともいうべき鉄道に乗って、何を思ったのだろうか。
現存する乗客名簿
この日、第1号列車は新橋を10時に出発して横浜に向かい、11時から横浜駅で開業式を開催した。終了後は12時発の列車で横浜から新橋に戻り、13時から新橋駅でも開業式を行なっている。
この第1号列車はまだ一般客は乗せず、関係者のみが乗車したものだったが、興味深いのは乗客となった人々の名簿が現存していることだ。そのうち主な顔ぶれを紹介してみよう。
【1号車】【2号車】
近衛護衛兵
【3号車】
明治天皇、三条実美、有栖川宮熾仁親王、井上勝(鉄道頭・長州)、山尾庸三(工部少輔・長州)
【4号車】
西郷隆盛(参議・薩摩)、大隈重信(参議・佐賀)、板垣退助(参議・土佐)、後藤象二郎(左院議長・土佐)、副島種臣(外務卿・佐賀)、大木喬任(文部卿・佐賀)
【5号車】
江藤新平(司法卿・佐賀)、勝海舟(海軍大輔・幕臣)、井上馨(大蔵大輔・長州)、山県有朋(陸軍大輔・長州)、黒田清隆(開拓次官・薩摩)、西郷従道(陸軍少輔・薩摩)、陸奥宗光(租税頭・紀州)
【6号車】
吉井友実(宮内大輔・薩摩)、渋沢栄一(大蔵省三等出仕・幕臣)、篠原国幹(陸軍少将・薩摩)、谷干城(海軍少将・土佐)、佐野常民(工部省三等出仕・佐賀)、大久保一翁(東京府知事・幕臣)
【7号車】
松平春嶽(元福井藩主)、毛利元徳(元長州藩主)、島津忠義(元薩摩藩主)、徳川慶勝(元尾張藩主)、沢宣嘉(公家)、中山忠能(公家)、大原重徳(公家)
なんとも豪華な顔ぶれだ。これに役人などが乗った8号車、9号車を含めた9両編成の客車を蒸気機関車が煙を上げて牽引し、新橋~横浜間を初めて往復したのである。
西郷隆盛と大隈重信の因縁
上の乗客名簿では、4号車に西郷隆盛と大隈重信が乗り合わせていることが注目される。実は西郷は鉄道建設には反対していて、そういうものに巨額の予算を使うよりも、軍費拡充にあてるべきだと主張した。
悪いことに新橋~横浜間の途中、高輪付近には西郷ら兵部省の施設があり、鉄道のレールを通すために敷地を明け渡すことを兵部省側が拒否したのである。
これに困惑した鉄道推進派の大隈は、高輪の土地を取得することをあきらめ、なんと田町~品川間の海上に土手を造ってその上にレールを敷くことを考えた。高輪築堤と呼ばれるこの急造土手が完成したため、レールは新橋から横浜まで途切れずに通り、鉄道開業にこぎつけることができたのだった。
そんないわく付きの西郷と大隈が、よりによってこの日、同じ車両に乗ることになるとは皮肉なものだが、彼らはどんな顔をして乗り合わせていたのだろうか。
ところで乗客名簿のなかには、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文という明治政府の重鎮の名が見えない。当然あるべき3人の名がないのは、実は彼らは、前年(明治4年)の11月から岩倉遣外使節団のメンバーとしてヨーロッパに渡っており、不在だったからだ。
彼らにもこの記念すべき開業列車に乗っていてほしかったところだが、幸いに洋行の直前に大久保と木戸は神奈川で試運転の列車に乗ることができ、このような感想を日記に残している。
大久保利通「初めて蒸気車に乗ったところ、実に百聞は一見にしかず、愉快に堪えない。この事業を起こさなければ、決して国を起こすことはできないだろう」
木戸孝允「今日、成功の一端を見ることができ、喜びにたえない。神州日本の蒸気車の運転は今日始まったのだ」
二人とも鉄道の有用なことを知り、感動している様子がよくわかる。日本の鉄道の歩みは彼らの感動から始まり、以後150年に渡る歴史をつむいでいくことになるのである。