コロナ禍で国や自治体が悪者にした「接客を伴う飲食店」への強烈な違和感の理由
緊急事態宣言が発令
4月7日に安倍晋三首相が緊急事態宣言を発令し、10日に東京都の小池百合子知事が都内全域を対象に外出の自粛を要請しました。さらには16日、安倍首相が緊急事態宣言を全国に拡大し、一段と緊張感が増しています。
新型コロナウイルスの感染が拡大しており、いつ収束するのか、まだ先行きが見通せません。
このような状況で4月11日には、安倍首相、および、新型コロナウイルス対策を担当する西村康稔経済再生担当大臣が、夜の繁華街における接客を伴う飲食店の利用自粛が必要であると説明し、協力を求めました。
それより以前の3月30日、小池百合子東京都知事が、バーやナイトクラブなどの接客を伴う飲食店に行くことを自粛してほしいという旨を述べています。
飲食店に自粛要請がなされ、接客を伴う飲食店という言葉がよく出てくるようになりましたが、私はこの言葉に大きな違和感を持っています。
バーやナイトクラブではなく、接客を伴う飲食店と報道されることは、通常の飲食店にとってよくないことであると考えているからです。
当記事でいう通常の飲食店とは、接客を伴う飲食店という意図で言及されている飲食店以外の飲食店を指します。
日本標準産業分類には存在しない
接客を伴う飲食店は、一般的な言葉なのでしょうか。
日本における産業別の経済活動を分析する際にも使用されるなど、最もメジャーなものは総務省統計局の日本標準産業分類です。
それによると飲食店は中分類76となっており、その下に枝分かれした業種は以下のようになっています。
この中には、接客を伴う飲食店という呼称は存在しません。
接客を伴う飲食店の例として挙げられたバーやナイトクラブは、「バー,キャバレー,ナイトクラブ」といった分類に含まれることは明白です。しかし、接客を伴う飲食店という言葉は、このあたりにも見当たりません。
では、「他に分類されない飲食店」に含まれているのでしょうか。
「他に分類されない飲食店」には甘味処やドーナツ店、今川焼屋やアイスクリーム店などが分類されており、接客を伴う飲食店はやはり内包されていません。
つまり、公的な総務省統計局の日本標準産業分類には、接客を伴う飲食店という分類も呼称も存在しないのです。
風俗営業等業種一覧にもない
総務省統計局の分類ではなく、他の分類ではどうでしょうか。
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律、いわゆる風営法は、客を接待したり、店内に遊技施設を置いたりするなど、特殊な飲食店について定められた法律。該当する飲食店は公安委員会に許可を得たり、届出を提出したりしなければなりません。
この風営法の中でも、飲食店が細かく分類されていますが、接客を伴う飲食店に関係がありそうな業種は以下の通りです。
国や自治体から接客を伴う飲食店として指摘されたものは1号営業の飲食店でしょう。
1号営業から3号営業の飲食店は接待飲食等営業と分類されていますが、接客を伴う飲食店という表記はありません。
つまり、風営法にも、接客を伴う飲食店という表現や分類は存在していないのです。
大手飲食店ガイドのジャンルにも存在せず
飲食店の分類や業種は、国が定めたものではなく、消費者にもっと身近なサービスにおいては、どうなっているのでしょうか。
大手飲食店ガイドの食べログやRettyで確認してみます。
さすがに最大手とあって深く細分化されており、どじょうや刀削麺、にんにく料理やチーズフォンデュ、カリブ料理やスポーツバーなど、すぐに思いつかないものまで列挙されています。
どちらのサイトともに、100以上もの飲食店のジャンルが網羅されていますが、接客を伴う飲食店というジャンルは存在しません。
消費者に寄り添った大手飲食店ガイドにも存在しないことを鑑みれば、接客を伴う飲食店というジャンルは一般的ではないと断言してもよいのではないでしょうか。
接客を伴う飲食店は、ジャンルが存在しないだけではなく、表現も一般的ではありません。それだけに、国や自治体がいくら接客を伴う飲食店と連呼しても、どのような飲食店を指しているのか、多くの国民に伝わっているかどうか疑問に思います。
どの飲食店も接客する
接客を伴う飲食店という言葉は、総務省統計局の日本標準産業分類にも風営法の分類にも、食べログにもRettyのジャンルにも見当たりませんでした。
そもそも、接客を伴う飲食店という表現は、それ自体が非常に曖昧。
なぜなら、どの飲食店も必ず接客を伴うからです。接客とは文字通り、客に接するということ、つまり、スタッフが客に対してもてなす行為を指します。
客が入店する際に声をかけて案内したり、コンセプトを説明したり、ハンドタオルを手渡したり、好き嫌いを聞いてコースやメニューを勧めたり、オーダーをとったり、できあがった料理を運んだり、料理の内容やこだわりを説明したり、お酒を客の嗜好からセレクトしたり、プレートやグラスを下げたり、料理やワインの感想を尋ねたり、退店する際に見送ったりと、接客の具体例は枚挙に暇がありません。
広く捉えてみれば、キッチンで料理をつくることも、客におもてなしをしていることに変わりないので、接客に該当することでしょう。
ここに挙げたことをひとつも行っていない飲食店など、この日本にはおそらく存在しません。
もしも近い将来に、全てがAIを有する機械に置き換わったとしても、ロボットのスタッフが客をもてなすということでは同じでしょう。
したがって、接客を伴う飲食店という表現を用いるのであれば、ファストフードやファミリーレストランから、ラーメン店や居酒屋、ミシュランガイドの星付き店や食べログ高得点のファインダイニングまで含まれてしまうので、意味がありません。
もしも、接客を伴う飲食店という呼称によってバーやキャバレーが特定できると考えているのであれば、それ以外の飲食店が接客を行っていないかのようなニュアンスを含んでしまうので、これもやはりよいことではないと考えています。
通常の飲食店では料理やドリンクを主な価値として提供
通常の飲食店は何を主な価値として提供しているのでしょうか。
ほとんどの飲食店ではその表記通り、食べる料理と飲むドリンクを主な価値として提供しています。
おいしい料理を食べられたり、食材の組み合わせの妙味を体験できたり、料理とマリアージュしたワインを飲めたり、他ではなかなか飲めないお酒を嗜めたりすることが、飲食店が存在する意義ではないでしょうか。
それに合わせて、居心地のよい空間があったり、気の利いたはからいがあったり、エスプリ溢れる会話があったりして、お金を払って訪れたいと思える飲食店に昇華されるのです。
そういった意味では、バーが接客を伴う飲食店として挙げられていたことに、少し異論があります。
カクテルおよびウイスキーやブランデーといった蒸留酒をウリとし、ドリンクが主な価値となっているオーセンティックなバーは、ドリンクを主な価値に置いているので、通常の飲食店と同じであると考えるべきでしょう。他にも、ワインバーやビアバー、焼酎バーなども同様です。
ただ、ドリンクを主な価値に据えていないバー、たとえば、ガールズバーやメイドバーといったものは、通常の飲食店に含める必要がないといえます。キャバレーやナイトクラブといった業種も、料理やドリンクより、スタッフによる接待がメインとなっているので、通常の飲食店ではないといってよいでしょう。
上記のバーであれば、接客を伴う飲食店として挙げられたバーに内包されていたとしても納得です。
通常の飲食店のイメージを毀損する
飲食店は現在、国や自治体によって営業自粛が促されており、営業時間の短縮や休業が余儀なくされています。
新型コロナウイルスの拡大初期の頃から、三密を満たす場所として名指しされていただけに、他の業種と比べても、損害は大きなものになっているといってよいでしょう。とりわけ、飲食業界は個人事業主が多いだけに、損害は思った以上に甚大。
関連記事
キャバレーやナイトクラブ、および、先に指摘したバーは、通常の飲食店に比して、客の単価も目的も体験も全く異なっているだけに、誤解のないように峻別されるべきです。
通常の飲食店は現在、大苦境の真っ只中にありますが、ブランドを毀損するようなイメージがついてしまうのは残念で仕方ありません。
通常の飲食店は、新型コロナウイルスが収束した後もすぐに客足は回復せず、以前の状態に戻るまでに3ヶ月から半年くらいかかると予想されています。
日本の食文化は極めて高水準
総務省統計局の「平成28年経済センサス-活動調査」によれば、全国の飲食店数は約45万店、飲食店の従事者数は約319万人にも上るなど、飲食業は日本における重要な産業のひとつであるといって構わないでしょう。
和食は2013年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された日本の財宝。和食に限らず、世界で最も多い星を獲得する東京を有する日本の食は、インバウンドやクールジャパンにおいて日本の価値を伝えるための極めて重要な至宝です。
世界的に高い水準を誇る飲食店を丁重に扱わなければ、日本の食文化は中長期的に廃れていってしまうだけに危惧しています。
より正確に表現するべき
国や自治体が、接客を伴う飲食店ではなく、接待を伴う飲食店と表現していたのであれば、まだよかったのかもしれません。
しかし、飲食店という言葉が連呼されてしまうのは、料理とドリンクを主な価値に置いている通常の飲食店にとっては、はなはだ迷惑。
何に気遣っているのかわかりませんが、国や自治体、および、メディアは、本当に飲食店のためを思うのであれば、接客を伴う飲食店という、実にまどろっこしい表現を一切やめるべきです。
通常の飲食店と、ホステスやホストを伴う高額店を、絶対に間違いなく区別できるように表現することが、日本の食文化にとって著しく重要であると、私は強く思います。