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先輩・三津五郎さんの素顔

山田美保子放送作家・コラムニスト・マーケティングアドバイザー

坂東三津五郎さんがお亡くなりになった(享年59)。

実は、私は小学校から大学の学科まで三津五郎さんと同じで、三津五郎さんの2学年下にあたるため、共通の友人や先輩、後輩が多数いるのだ。

いまでこそ、同校は芸能人の子息や歌舞伎役者が多数通っているのだが、私の在学中は、2つ上に三津五郎さん、1つ下に片岡市蔵(十蔵改め)くんがいただけ。私たち同窓生は在学中も卒業後も、2人が立つ歌舞伎座の舞台を観に行ったり、襲名披露パーティーなどで度々顔を合わせた。

三津五郎さんに懇願された

三津五郎さんの訃報に際し、最初に電話をしたのは三津五郎さんと同級生で親友の1人だった男性。ただ、彼は訃報をご存じなかった。

その後、聞いたところによると、お見舞に行けたのは、いちばん仲良しだった同級生の男性1人だけ。10日前に見舞ったそうだが、同級生に報(しら)せなかったのは、三津五郎さんから懇願されたからだという。

続いて、私の親友で私と同級生の女性とも話した。

彼女は小学校時代から日舞を習っていたり、三津五郎さんの妹さんお二人と幼少時から仲良しだったこともあり、昨夜はご自宅まで弔問に訪れ、その後、私に電話をくれた。

三津五郎さんが亡くなったのは21日だったが、親交のある歌舞伎役者さんでさえ、訃報を知ったのは22日の夕刻だったと聞く。なぜ三津五郎さんやご家族がすぐに報せてくださらなかったのかは、25日に執り行われる告別式以降に、明かにされることだろう。

優しい先輩

三津五郎さんの本名は、守田寿さん。なので、同級生は、苗字の守田から「もんた」と呼び、我々下級生は、三津五郎さん襲名前の「八十助さん」と読んでいた。

私の学校は、ほぼ全員が愛校心の塊なのだが、「八十助さん」も同じで、卒業後も日本文学科のパーティーに顔を出してくださったり、2012年は大学で講演会をしてくださるなど、後輩や学校からのオファーを快く受けてくださる、優しい先輩だった。

お城の話とお芝居の話を始めると止まらなくなり、教え方やお話が本当に上手な八十助さんに、「日文で教えてくれればいいのにね」と願うOGはとても多かったのだが、それも叶わなかった。

息子の成長に…

思い出は山ほどあるが、いちばんの思い出は、長男の巳之助さんのお母様の寿ひづるさんが、命がけで彼を出産なさったことだ。

第1子、第2子が女の子だったことで、ひづるさんは、いわゆる“男女産み分け法”に挑戦し、跡取りとなる巳之助さんをもうけたのだ。同年代の女性として、これは忘れられないエピソードだ。

三津五郎さんが再婚した当時、お稽古をお休みがちだった巳之助さんが、その後また、お稽古を再開。いまはすっかり頼もしく、芸に磨きをかけ、その成長ぶりを内外から評価されていることは、お母様の寿ひづるさんはもちろん、三津五郎さんもさぞかし安心なさっているのではないだろうか。

昨年、長女で女優の守田菜生さんの舞台も拝見したが、上品で、お着物をキチンと着こなしながらも、お嬢さま育ちならではの大胆で迫力ある演技をされていたことに、また身内のように喜びをおぼえた。

次世代の力に期待を

中村勘三郎さん、市川團十郎さん、そして坂東三津五郎さん…と、高い演技力もさることながら、お人柄が素晴らしく、全く偉ぶらず、歌舞伎界以外の方とも親交が深かった方々が、こんなにもお若い年齢で旅立ってしまわれたことで空いてしまった穴はあまりにも大きすぎる。

だが、お父様を亡くされた後、中村勘九郎さん、中村七之助さん、市川海老蔵さんの芸が著しく磨かれたように、坂東巳之助さんの今後に、大いに期待している。

改めまして、坂東三五郎さんの御冥福をお祈り申し上げます。合掌。

放送作家・コラムニスト・マーケティングアドバイザー

1957年、東京生まれ。初等部から16年間、青山学院に学ぶ。青山学院大学文学部日本文学科卒業後、TBSラジオ954キャスタードライバー、リポーターを経て、放送作家・コラムニストになる。日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」、フジテレビ系「ノンストップ!」などの構成のほか、「女性セブン」「サンデー毎日」「デイリースポーツ」「日経MJ」「sippo」「25ans」などでコラムを連載。「ドデスカ+(プラス)ドデプラ」(名古屋テレビ)などに、コメンテーターとしてレギュラー出演している。

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