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【京都市】南区 平清盛の子である平重衡が「一の谷の合戦」後、源氏の捕虜となり法然上人に受戒した場所!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の玄関口である京都駅。

その八条口(新幹線乗り場のある)界隈には新しいホテルが立て続けにオープンしたりレストランやショッピングセンターなどもあり新しい顔を見せてくれています。

その八条口からすぐのところにある石碑に目が留まりました。

「法然上人と平重衡受戒」とあります。

平重衡(1157~85)とは、平清盛の子。

源平の争乱では平氏の武将として活躍した人です。

一の谷の合戦で源氏の捕虜となり,鎌倉へ送られ源頼朝に歓待されました。

源頼朝さんといえば、時代劇のロケ地聖地である『神護寺』にある国宝「源頼朝」像!

『高津商会』でも大変お世話になっている大好きな「神護寺」さん!

「高津商会」の「時代劇の小道具展」で2022年に「源頼朝」さんの模写を特別に「神護寺」の迎賓館で高津商会の小道具とともに飾らせていただきました。

平重衡は、東大寺や興福寺焼き討ちの罪を問われ,奈良へ連行され処刑されました。

奈良の興福寺さんも「高津商会」ではとっても深いご縁を頂いているお寺さんです。

『平家物語』巻十によれば,重衡は一の谷から京都へ護送され,八条堀川にあった藤原家成の御堂に幽閉された。この御堂で重衡は法然との面会を望み,法然から十戒をさずけられたと記す。この碑は法然の八百年遠忌を記念し,ゆかりの地を示すものである。

一ノ谷合戦で生捕りになった平重衡が鎌倉へ送られるまでの間、土肥実平の監視下にあり滞在していた八条堀川の御堂で浄土宗の開祖である法然上人が授戒しました。

八条堀川の御堂は、八条南、堀川東にあった中の御門中納言藤原家成(鳥羽法皇の寵臣)の邸内の御堂です。

家成は忠盛・清盛と親交が深く、若い頃の清盛が家成の邸内に頻繁に出入りしていたことが『平家物語』に記載されているそうです。

法然さんに接した人々は口々に「ナムアミダブツ...」ととなえたそうで、法然上人は時の人でした!

「平家物語」の中にまるで一瞬タイムスリップしたような気分になりますね♪

「法然上人と平重衡受戒」石碑
京都市南区西九条池之内町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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