まさか、バス釣りで溺れるなんて 逆転の発想で命を守る対策が始まった
安全そうに見えるため池でブラックバス狙いの釣り人が溺れる事故が発生しています。ため池は農業用などの水を確保するために設置されていて、農林水産省の調べでは全国に約21万箇所存在しています。多くのため池で構造上、体力のある若い人でも犠牲になります。死亡事故が続く宮城県で、その命を、逆転の発想で守る対策が始まりました。
ため池の現状
農業用ため池は、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などで、用水を確保するために水を貯え取水ができるよう、人工的に造成された池のことです。農林水産省のため池100選パンフレットによると、ため池は全国に約21万箇所存在し、特に西日本に多く分布しています。上位3位が兵庫県、広島県、香川県であるように、特に瀬戸内海周辺の地域に多く設置されています。ため池の多くは江戸時代以前に築造されたとのことで、ずっと昔から人の生活を支えてきました。江戸時代以前に設置されたため池が実に全体の75%、昭和初期でせいぜい5%です。全国の耕地面積約500万ヘクタールのうち5分の1の100万ヘクタール強の田畑に水を供給している重要な水源です。
昔からあるため池の漏水対策で近年、水底全体に渡って遮水ゴムを張ったり、コンクリートで覆ったりしました。水底から岸に向かって斜面構造だと、ゴムやコンクリートで滑りやすくなるため、多くのため池で斜面に立ち入りできないように、柵が設置されています。
ため池の水難事故
農林水産省の最新の資料によれば、ため池における死亡事故発生件数は毎年20件から30件。死亡事故者の年齢構成は、高齢者が目立つものの、子供から中年世代までが全体の半数を占めるなど、全年齢の問題であることがわかります。死亡事故の経緯別割合では、釣り・水遊びを含む娯楽中の事故が全体の4分の1に相当する24%。また管理作業中や農作業中の事故をあわせると11%に達します。つまり、立ち入りできないようにしているにも関わらず立ち入って溺れる人ばかりでなく、立ち入るべき立場の人でさえも溺れてしまうのが、ため池水難事故の現状の姿です。
宮城県の事例
宮城県には他県よりもブラックバス釣りが認められているエリアが数多く存在します。釣ってよいがリリース禁止として、外来種であるブラックバスの駆除を目的としています。小型の15 cm~大型の50 cmオーバーのブラックバスまで様々なサイズが生息し釣り人を魅了しています。利府町の森郷キャンプ場近くの惣の関下溜池や大和町にある南川ダム七ツ森湖などが有名です。
釣りの認められた水辺ばかりでなく、柵によって立ち入りできないようになっているため池に侵入し、バス釣りを行う人も少なからずいます。宮城県はため池の数では全国で7位となる6,074箇所。豊富な数ばかりでなく、風光明媚で水面に映る景色がきれいなところが多く、幸せな気分の中で釣りを楽しめるような雰囲気があるのも、立ち入ってしまう理由かもしれません。
今年の5月17日午後3時半頃のことです。宮城県栗原市若柳武鎗のため池で、2人で釣りを楽しんでいた若い男性らのうち、23歳の会社員がため池に転落しました。もう1人が対岸から見て緊急通報し、陸から救助を試みましたが、できませんでした。水深は3 mほどあります。
溺れる原因は何か
図1をご覧ください。死亡事故のあった現場の写真です。草の生えている場所から少し水面に向かってゴムの遮水シートが張られています。この斜度は角度にしておおよそ30度です。水中から人が歩いて上がることはできない角度です。ところが、階段の角度を見てください。陸上ではそれなりの角度に見えますが、水中に入ると角度が小さく見えます。つまり、水の屈折率にだまされて、このため池が浅く見えてしまうのです。ここは、陸上の角度のまま斜面が水中に続き、深さがすぐに3 mに達します。
こういう現場では、斜面の水面に少しでも足を踏み入れると滑落して水中に没します。這いつくばって上がろうとしても、水中斜面で足が滑り、自力で上がれません。そのうち力尽きて、深い方に沈んでいきます。首の深さくらいで足が底につくと、少しずつ浅い方に歩いて上がることができるのですが、水深が腰くらいになると体重が斜面にかかるようになり、その体重を斜面が支えきれなくなります。そのため、足が滑っていつまでも陸に上がれないのです。25度以上の斜面であれば、ゴムであろうがコンクリートであろうが上がれなくなります。
夏以外の季節では、ライフジャケットを身に着けていてもだめです。低体温になり、命が持つのも時間の問題です。
柵を設置する対策の限界
宮城県内で平成26年から30年の間にため池や用水路で溺れて亡くなった方の数が19人。全国で同じような事故が発生していて、年間およそ100人に達します。多くの農業水利施設で柵を設置し、立ち入りできないようにしていますが、もう限界にきています。要するに防ぎようがないのです。設置にお金がかかるばかりでなく、定期的に巡回し、柵が壊れていないか、すきまができていないか確認し、問題があったら、お金をかけて補修をしなければなりません。そもそも、完璧に侵入できないようにするのであれば、ため池に蓋をするしかないのです。
なぜそこまでしなければならないかというと、江戸時代以前から存在していたとは言え、管理者責任があるからです。
逆転の発想
宮城県内で始まった取り組みが、「要するに命が守られればよい」という考え方です。図2をご覧ください。樹脂ネットが斜面に這わせてあります。目の大きさは10 cmで、簡単につかむことができますし、足を掛けることができます。斜面に沿って2 mくらいの深さまで這わせてあります。ネットの陸側の端はアンカーで固定されています。そして水中でもおもりをつけて固定されています。そうそうびくともしません。
ネット本体の材料は時間経過に強く、屋外使用でも十分な耐用年数があります。図2の設置場所はまさに今年の5月に水難事故が発生した栗原市の現場です。事故が発生してからすぐに設置されました。設置から2か月ほどたったので、点検のために立ち入り撮影されたのが図2です。このネットで陸に戻れることは、すでに公開実証実験で確認されています。
このようなネットは現在、宮城県内のいくつかのため池に設置されていて、耐久性などの試験を行っています。万が一落水してもこのネットを使って自力で陸に戻れば事故としてカウントされないので、人が本当に生還したかという実証はできません。でも、このネットが設置されたため池で2度と死亡事故が発生しなければ、それでよいのです。
まとめ
野菜や稲を育て、人の命を育む農業用ため池。釣りのために無断で立ち入ったとは言え、やはり大切な命です。ここにきて柵の設置の限界は見えています。そういった中で、落ちても命を守ることのできる取り組みについてご紹介しました。
もちろん、バス釣りは認められた水辺で行いましょう。万が一の時には多くの人に迷惑をかけることになります。
今回ご紹介したネットは、釣り人の命を守るばかりでなく、管理作業中や農作業中の人の命を守るものでもあります。全国に広がることを期待します。