「たとえ市場は小さくても…」障害者や高齢者が切望する、Wi-Fi不要のスマートリモコンとは?
■Wi-Fi必須の「スマートリモコン」は不便なことも?
インターネットへの常時接続が当たり前となった今、スマートフォンのタッチ操作や音声操作で家電機器を動かせる画期的な装置が次々と生み出されています。
下記の図のように、Wi-Fiの環境さえ整っていれば簡単に使えるため、この手の機器にはめっぽう弱い私でも、ふと気づくと、枕元に置いたスマートスピーカーに向かって、「ヘイ、siri!」などと呼びかけるのが日課になっています。
【一般的なスマートリモコン】
しかし、いわゆる「スマートリモコン」や「スマートスピーカー」と呼ばれるこうした機器を使いたくても、使うことができない人たちが存在することも忘れてはなりません。
たとえば、事故や病気で声を失った人、言語障害がある人、気管切開をしている人などの場合は、スマートスピーカーを使うことができないのです。
また、手指に障害があり、自分で思うようにスマートフォンのタッチ操作ができない障害者や高齢者の方々も同様です(手の不自由な方は、製品に付属のリモコンもうまく使えません)。
■ここ数年で販売終了になった障害者用リモコン
実は、数年前までは、障害者に特化したシンプルなテレビリモコンが商品化されていました。ところが、ここ数年の間にそうした機器は姿を消してしまいました。
ネット接続を前提とした「スマートリモコン」や「スマートスピーカー」が広まったことで需要が落ち込んだため、販売を終了せざるをえなくなり、障害者や高齢者が手軽に使える商品のラインナップがほぼなくなってしまったというのです。
また、病院や施設等では、Wi-Fiの接続を不可としているところが多く、そもそも「スマートリモコン」や「スマートスピーカー」が使えないという現実もあります。
看護師で、自身も重度障害者の息子を介護している菊池佳奈子さんは語ります。
「障害者に特化したテレビリモコンがなくなってしまったらとても困りますね。ともすれば24時間、天井だけを見て過ごさなければならない人たちにとって、テレビは大きな楽しみのひとつです。たとえ障害があっても、自分が好きなときに、自分の意志で、見たいテレビ番組を見ることができる……、それはとても大切なことなんです」
菊池さんの長男・蒼磨さんは中学1年生のとき、交通事故に遭い、頭に重い障害を負いました。10年以上たった現在も寝たきりで、会話をすることはできません。
しかし、最近になって、障害者向けの特殊なスイッチを押して好きなチャンネルを選んで見ることができるようになったと言います。
「私の息子は、自分がスイッチを押したことでテレビの画面が変わることに興味を持ったようで、使う機会が増えました。Wi-Fiがなくてもリモコンが使えるというのは手軽ですし、身体の一部という感じで本当にありがたいのです。近頃はテレビを見て大笑いすることもあるんですよ。現代ではアナログ的な感じかもしれませんが、世の中には息子のように声を出せない人もたくさんいるのだということをぜひ知っていただきたいのです」
<2年前に菊池さん親子を取り上げた記事>
■逆転の発想。Wi-Fi不要のスマートリモコンとは?
実は、ネットを介さないこのようなBluetoothリモコンは、かつて「ラトックシステム(株)」という会社が開発し、販売をおこなっていました。ところが、同社の製品も2020年9月に販売を終了し、すべてネット接続タイプに置き換わってしまいました。
そこで、現状を重く見た「アクセスエール社(株)」が、改めてターゲットを絞ったシステム開発をラトックシステム社に持ちかけたそうです。
アクセスエール社代表の松尾光晴氏は、もともとパナソニック(株)の技術者でした。同社の福祉介護分野の子会社において障害者、高齢者向けのテレビリモコンを開発した経験と実績があります(現在は販売終了しています)。
同氏は2020年に独立しましたが、その後も継続的にユーザーから「同様の機能を持つリモコンを作って欲しい」との要望が多数寄せられていることから、ネットを介さないシンプルなシステムを継続することの必要性を痛感したといいます。
松尾氏は語ります。
「ネットを使わないということは、『技術的には退化ではないのか?』と思う人もおられるかもしれません。しかし、障害者や高齢者にはネットを介さないシンプルな機器が不可欠です。つまり、今回の取り組みはまさに逆転の発想なのです。屋外から宅内のエアコンをつけるといった高度な操作はできなくても、障害者や高齢者にとっては、自分の周囲の家電を安心かつ確実に操作できることの方が大切だ、という考え方です」
たしかに、在宅でスマートリモコンを使用していても、突然の接続トラブルや停電からの復旧、通信環境の低下など、インターネットがつながりにくくなるといったトラブルはどうしても避けることができません。特に身体を思うとおりに動かすことのできない障害者や高齢者の場合は、自身で機器をリセットすることができないため、すぐに復旧することは困難です。
利用者としては、ただ「テレビが見たい」「扇風機やエアコンをつけたい」と思っているだけなのに、ネット環境のトラブルのせいで、電源すらONにできないとなると、どれだけ便利な「スマートリモコン」であっても意味がなく、本末転倒ということになってしまいかねません。
■利用者の声に応え、クラウドファンディングを実施
では、インターネットを使わない「スマートリモコン」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
以下は、アクセスエール社が現在開発に取り組もうとしている、ネット接続不要なスマートリモコンの方式です。
【今回開発を目指しているリモコン】
まず、利用者が操作する「一人ひとりの障害に対応した入力スイッチ」をスマートフォンに接続し、操作したい信号を選択します。そして、スマートフォンから赤外線発信ユニットにBluetoothで直接信号を送り、信号を受け取ったユニットがテレビなどの家電機器に赤外線信号を発信する、という、極めてシンプルな構造です。
操作するアプリは、障害者や高齢者でも扱いやすいものを新たに開発する必要があります。つまり、重度の身体障害者でもナースコールのように、入力スイッチひとつでリモコンの全ての操作を選択して実行できるように、使い勝手を改善する必要があるのです。
しかし、その開発には一般のアプリと同様の費用がかかる反面、ターゲットを絞った特殊な製品であるため、十分な収益は望めません。かといって、ユーザーに高額なスイッチを販売することもできないため、今回、クラウドファンディングで開発資金の一部を募ることになったそうです。
すでに支援者からはネット接続不要のシンプルなリモコン販売を切望するメッセージが届いています。
前出の菊池さんも、看護師として、そして障害者の我が子を介護する母として、今回のクラウドファンディングを応援していると言います。
「起床、顔洗い、検温、おむつ交換……、病院や施設は、常に“時間”で動いており、そこで勤務する看護師は大変忙しいのが現実です。そんな中、患者さんが『テレビを見たい』という思いを伝えても、時間に追われて対応する余裕がないこともありますし、逆に、患者さんが看護師の手を煩わせてはいけないと気を使って言い出せないこともあるかと思います。でも、松尾さんが開発しようとされている『ネット不要のスマートリモコン』が普及すれば、きっと現場は変わっていくはずです。最初のセッティングだけ済ませすれば、障害のある患者さんでも自分でスイッチを押すことができ、Wi-Fiがなくても身体の一部のようにシンプルに操作できるのです。自分でできることが増えれば、きっとその人にとって、生きる自信にもつながると思うのです」(菊池さん)
こうした当事者の声を受け、松尾氏は今回のアプリ開発にかける思いをこう語ります。
「便利なスマートスピーカー等の普及によって、逆に、声が出せない方や手指の動かせない方が使えるリモコンの販売数は落ち込み、3年前、ついに商品は姿を消してしまいました。しかし、ニーズがある以上、SDGsのモットーでもある、誰も取り残されない社会を実現しなければならないと思っています。そのために、当社の持つ障害者向け支援機器に関するノウハウと、ラトックシステム様の開発技術を組み合わせることで、障害者、高齢者の方々の自立支援につながるようなスマートリモコンを提供していくつもりです」
筆者は交通事故の取材を通して、人生の途中で声を失ったり、身体を思うように動かせなくなったりした多くの被害者に出会ってきました。そうした方々にとって、各自の障害に特化した機器の販売中止は死活問題ともいえ、大変深刻な状況を生んでいます。
先進技術が進化する中、こうした人たちを置き去りにしてよいのか。ぜひ、一緒に考えていただければと思います。
同社のクラウドファンディングは、6月末まで支援を募集中とのことです。