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日中関係から中国社会に働きかける:中国を見つめ直す(14)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

先日、日本の大学でアジアにおける共同体の形成について話をする機会があった。共同体と言えば、中国は近年、シルクロード諸国などとの経済協力を強める上で盛んに共同体を口にしている。日中間で言えば、「日中共同××」のような会議がしばしば開催される。しかし、筆者はそのような既存の政府色の強い共同体は意味を成さないと考え、「日中友好」に代表される交流とは違ったロジックを持つ市民交流の共同体の建設が必要だと語った。

そのように語ったのはたんに日中関係を考えただけからではない。市民交流のロジックを持つ交流活動を通じて、中国の民主化、すなわち市民・公民が参加できる社会の実現に働きかけることが可能で、そのことはひいては環境・外交・食品衛生・外国人の人権など多くの面で必須だと思うからである。

言うまでもなく中国は市民社会が発達していない非民主主義国家であり、日本は民主国家である。しかし、日中関係は先述の市民交流のロジックを持つ交流活動などほとんどなく、非民主的であり、日中関係における日本も民主国家ではない。

11年11月、鄭州市の「思想サロン」で日中交流を語る。同組織は弾圧に遭い現存せず
11年11月、鄭州市の「思想サロン」で日中交流を語る。同組織は弾圧に遭い現存せず

環境問題について言えば、中国の大部分のエリアでは、いくらゴミが山積して悪臭を放とうが、住民自らがその対策に取り組むことは稀である。公共場所の衛生は政府が管理しているからである。一方、日本では地元の自治会などが積極的に取り組むし、大きな問題であれば、警察やメディアに働きかけることが難しくない。これが市民社会である。

ところが、日中間の環境問題となると日本は全く市民社会を活用できない。砂漠緑化事業など環境協力事業では日本が多大な資金やボランティアを投じているにもかかわらず、地元政府の言いなりに等しく、そのため地域住民になかなか成果が還元されないし、日本にとっても他人事でない黄砂などの問題の抜本的な解決たりえない。日本の担い手が市民ボランティアであるにせよ、旧来の「日中友好」的なロジックが働くためだ。

環境など種々の問題の解決のため、あるいは中国政府の暴走を食い止める上でも、中国の市民社会の発達は政治体制の如何を問わず必要である。中国の内政問題に日本が深く介入すべきではないと思うが、ただし、日中関係や交流活動に関して内政干渉はない。新しい日中関係を築くことで多少なりとも中国社会に働きかけることはできるはずである。

そのためには(1)市民交流であることを意識し、これまでの大多数の交流活動と違って政府関係者を交流の唯一の窓口とは見なさない(2)中国政府の意向に添わない活動でも、いくらかの中国公民(非漢民族、民主化人士などを含む)が望む活動であれば、積極的に行う(3)日本社会の各場所でひたすら中国政府の意向を尊重して(1)(2)に反対する人物の話を聞かない、などの方針が考えられよう。

このような市民交流のロジックを持つ新しい形の日中交流がすぐに盛んになるとは考えにくい。むしろ上記(1)~(3)を進めることは、交流活動を減らす可能性もあるだろう。しかし、長い目で見た場合、当面の交流活動がいくら激減しようが、新しい交流の形を模索する方を優先すべきだと思うのである。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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