『美女と野獣』のオソロシイ姿の野獣。冷静に考えると、あの野獣は草食動物だから、ベルは安心を!
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。
マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。
さて、今回の研究レポートは……。
映画やバレエや舞台で繰り返し演じられてきた『美女と野獣』。
元になる物語を書いたのはフランスのヴィルヌーブで、それをボーモン夫人という童話作家が短くまとめたところ大ヒットし、広く知られるようになったという。
それは1756年で、フランス革命の30年ほど前だ。
主人公は、裕福な家庭で、美しく心優しく育ったベル。
不運が重なって一家は全財産を失うが、彼女は不満の一つも口にせず、たくさんの本を読み、植物を愛でながら、穏やかに暮らしていた。
ある日、旅先で疲れ果てた父親が、無人の城に迷い込んでしまう。
父親の旅の土産に、姉たちは宝石や香水をねだったが、末娘のベルが望んだのは、一輪のバラだった。
城の庭に美しいバラの茂みを見つけた父親は、ベルのために一輪を折る。
すると、それまで姿を見せなかった城主が現れて「おまえは盗人だ。自分の命か、娘を一人差し出せ」と迫る。
その城主こそ、大きな醜い野獣であった。
1ヵ月の猶予をもらった父親は、娘たちに別れを告げるため、自宅に戻った。
もちろん自分の命を差し出すつもりだったが、事情を聞いたベルは言う。
「わたしを連れずにお父様をその宮殿に行かせるつもりはありません。わたしを止めることはできないでしょう」(ボーモン夫人・作 村松潔・訳/新潮文庫)
こうして美しいベルは城へ行き、野獣とともに暮らし始めるのだった……。
◆「野獣」は草食動物だ!
ベルがいっしょに暮らすことになった野獣は、もちろん魔法使いによって、王子が異形の姿にされたものである。
どんな姿にされてしまったのだろうか?
前掲書には、野獣を見た父親が「あまりにも恐ろしかったので気が遠くなりかけたほどでした」とあるが、あまり具体的な描写はしていない。
だが、本のカバーや挿絵を見ると、ライオンのような顔に、2本の角が生えている。
他の本や映画などでも、もっぱら角の生えた姿で描かれているようだ。
ライオンのような顔に角が生えていたら、それは怖いだろう。
ベルが「食べられてしまうのでは……」と恐れたとしても、無理はない。
しかし、ここで冷静に、自然界の「角のある動物」を思い出してみよう。
ウシ、ヤギ、ヒツジ、シカ、カモシカ、トナカイ、キリン……。
これらはすべて、ウシ目(鯨偶蹄目)の動物だ。
もちろん草食動物。
ライオンやトラ、クマなど人を食べるような凶暴な動物は、角を持っていない。
ウシやヤギは、捕食される弱い立場にあるからこそ、身を守るための角を持っている、ともいえるのだ。
つまり、角がある野獣は、少なくとも人を食べない。
ベルは心配しなくても大丈夫だ。
ただし、野獣を襲うもっとコワい大野獣(角ナシ)が近くにいるかもしれないが……。
◆野獣のままでもよかったのに!
聡明なベルは、初めて野獣といっしょに食事をしたときから、野獣の優しさに気づく。
前掲書によれば、部屋に戻ると「あんなにやさしい心の持ち主なのに、あんなに醜いなんて、本当に残念だわ!」と独りごとを言っている。
そして、野獣が親切で、話しやすく、賢いことを見抜き、2人の仲は近づいていく。
では、野獣がウシのような、おとなしい草食動物だった場合、2人はどんな暮らしを送ることになるのだろうか?
筆者は、いろいろと心配である。
たとえば、草は栄養価が低いので、時間をかけてたくさん食べなければならず、このため草食動物は睡眠時間が短い。
ウシは3時間、キリンは2時間くらい。
優しい野獣はベルに生活サイクルを合わせようとするだろうが、なかなかツライかもしれない。
また、ウシは、一度食べた草を口に戻して噛み直す「反芻」を行うから、いつもモグモグ口を動かすし、胃では可燃性のメタンを作り出す。
日常の活動が、人間とは大きく違うのだ。
野獣も、野獣になってしまった以上、人間とはかけ離れた生態もあったに違いない。
なのに、ベルは気持ちを開き、心惹かれていった。
本当に深い愛を育んだのだろう。
物語の最後、魔法の解けた野獣は王子に戻るけれど、そのままでもよかったのではないかなあ……と、筆者は思う。