「園児と保護者の方々に申し訳ない」 籠池氏の“懺悔”と反戦の誓い
森友学園の籠池泰典元理事長が講演で深々と頭を下げた。
「子どもさん方に『安倍首相がんばれ』と言わせたことは、非常に反省しております」
「園児の方々、保護者の方々に誠に申し訳ない」
会場にどよめきが走った。
安倍首相批判に続いて飛び出た“懺悔”
この謝罪の言葉は6月22日と23日、四国の高松市と徳島市で相次いで行われた籠池夫妻と筆者の対談イベントの中で飛び出した。
まずはいつものように安倍首相批判を展開する籠池氏。
「安倍さんはたぶらかすのが上手。私が拘置所にいる時、私のことを詐欺師だと言っています。総理が一市井の人間を詐欺師と言うんですよ。子どもの教育上悪いことです。何でもウソを言ったら通ると」
「私の事件はとかげのしっぽ切りです。あれだけ親しく、小学校の副読本のことでも相談していたのに、躊躇することなくバサーッと切られた。私を(拘置所に)300日放り込んだんだから。あれだけ信奉していたのに切ったんです」
「安倍さんは『美しい国、日本』と言いました。でもそれはどの時代のことでしょう?私が目指すのは江戸時代の、貧しいが子どもたちが愛され大切にされた時代です。安倍さんのは戦前の昭和ですから、全然違う」
「国民の多くはたぶらかされている。先に気づいた人は偉い。私はちょっと後だったけど(笑)」
その上で、冒頭の“懺悔”になったのである。
「安保法制のことで子どもさん方に『安倍首相がんばれ』と言わせたことは、私は今は非常に反省しております」
「園児の方々、保護者の方々に誠に申し訳ないと、今も頭を下げる思いでおります」
教育勅語の暗唱も「間違っていた」
森友学園といえば、園児に教育勅語を暗唱させていたこともよく知られている。「軍国教育だ」と批判を浴びた。そのことについても籠池氏は次のように振り返った。
「教育勅語を取り入れたのは、その中の12の徳目が素晴らしいと思ったからです。『夫婦相和シ』とかね。そこは今も変わりません。でも『朕惟フニ(ちんおもうに)』から始まるところは時代錯誤。間違いです。象徴天皇制の下で言うべきではなかった。そのまま教えるつもりは、もうありません」
「教育勅語には『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』というくだりがあります。これが『戦争に協力せよと教えていることになる』と批判されました。でも私は戦争に反対です。この言葉は、大震災のような非常時には自分のことを顧みずに助けに行かないかんと、そういう風に私は子どもたちに教えてきました」
会場を沸かせた“反戦の誓い”
そして籠池氏は、自身の父親の体験を紹介し、反戦の誓いを語ったのである。
「私の父は特攻隊です。15歳で志願して行きました。ボートで突っ込んでいくやつです。広島の呉で訓練している時、あの忌まわしい原爆の日がありました。市民を助けに行くため広島市内に入り、間接被爆しました。その時のことを父からよく聞かされました。戦争はいかんと。だから私は戦争に反対です。戦争はダメ。原爆もダメ。原発もダメです。そういう人間なので、決して子どもたちを戦争に行かせようとは思っていません。『籠池は戦争賛成だ』と言うのは真逆なんです」
これには会場も沸いた。
諄子さんが語る“差別”への後悔
諄子さんも次のように語った。
「300日間の勾留で内省して気づいたことがたくさんあります。自分のものの見方がすべてひっくり返ったのでよかった。もっと自分を磨いて人の痛みのわかる人になりたい」
どういう風に内省したのか。諄子さんは中国や韓国・朝鮮の人々に対するかつての差別的な言動について、大阪での対談イベントで次のように謝罪したことがある。
「周りの人たちに影響されて、よくわかりもしないままにいろんなことを言って、本当に申し訳なかったと思っています。今では恥ずかしいです」
その上で、拘置所にいたほかの女性たちについて次のように述べた。
「同じ様に拘束されていた若い女性が大勢いました。安い賃金で働かされ、看守からひどい扱いを受けている彼女たちの境遇を知ったので、彼女たちのことが今も気に掛かっています。彼女たちのために何かできないかと考えています」
高校3年生が見た籠池氏と麻生大臣の姿
会場には若い人から比較的年齢層の高い人まで多種多様な人々が訪れていた。高松では森友問題に関心があるという地元の高校3年生の男子生徒がイベント後に楽屋を訪れ、籠池氏に色紙を書いてもらった。
「話が聞けて良かったです。すごくよくわかりました」
たまたま同じ時期に麻生財務大臣も高松を訪れていた。彼は麻生氏にも声をかけたが…
「1時間前から学生服で待っていたのに、『麻生さん、こんにちは』と声をかけても『フンッ』て下を向いて笑われました。こんな人が日本のナンバー2なのかって思いました」
それを聞いて籠池氏「いかにも麻生さんにありそうな話やね」
高松で対談した6月22日は、1年で最も日照時間が長い夏至だった。高松がある香川県は讃岐の国だ。そこで一句。
「夏至となる 暑き話の 讃岐道」
さらにもう一句。
「五月晴れ 一点の雲もなきなり 妻の愛」
字余りです。どこまでも夫婦仲むつまじい籠池夫妻であった。
【執筆・相澤冬樹】