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元インターハイ優勝者が溺れた 筋肉と脂肪との関係で原因をひも解く

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
筋肉の比重はおよそ1.1で、真水に沈みます。筋肉質の人は沈みやすい(写真:アフロ)

 8月26日に愛知県豊田市・矢作川で遊泳中に溺れて亡くなった20歳大学生が元インターハイ優勝者だったというニュースが飛び込んできました。「水泳選手だったら、よほどの特殊事情があるのか」と思って記事を読んだら、ハンマー投げと円盤投げの選手でした。一見すると溺死にあまり関係なさそうな情報ですが、もしかしたらこれは今回の事故の発生要因のひとつになったかもしれません。

事故の概要

 愛知県警豊田署は27日、豊田市の矢作川で26日に男性が遊泳中に溺れ、心肺停止状態となり、死亡したと明らかにした。同署によると、死亡したのは同市貝津町、大学生中村美史さん(20)。愛知県の中京大によると、中村さんはスポーツ科学部の3年生で、陸上競技部に所属。兵庫県尼崎市立尼崎高の生徒だった2017年には、全国高校総体(インターハイ)の男子のハンマー投げと円盤投げで優勝している。

出典:スポニチアネックス 2020年8月28日 05:30

 矢作川と言えば、全国でも屈指の水難事故多発河川です。「幼い女の子2人の命を奪った水難事故 原因はまさかの現象だった 水難事故調レポート」で解説した水難事故も矢作川で発生しました。

 豊橋河川事務所によれば、矢作川水系ではこの10年で25人が水難事故で亡くなっています。女児2人が亡くなった池島の現場だけでも、2017年に20代男性が死亡、18年は中学生と父親の2人が死亡、19年には女児2人の他、20代男性が死亡しています。その原因は科学的に説明できていて、前述の水難事故調レポートにて解説しています。

ハンマー投げとの接点

 インターハイで優勝した時期から少し年月が経過しているとはいえ、中京大学スポーツ科学部に在籍しているのであれば、恵まれたスポーツ施設で在学中も引き続き体を鍛えていたことでしょう。一言で、無駄な脂肪は蓄えていなかった、つまり体脂肪率は低かったと推察されます。筆者はスポーツ科学の専門ではないので推測になりますが、ハンマー投げ選手の上半身の筋肉の発達は相当なものではないでしょうか。

 同じような話は、茨城県笠間市で発生した中学生の溺死事故でも聞きました。この事故は、8月11日午後に市内の不動谷津池で発生しました。「沈水した」との通報により、救助隊が水底にいる男子生徒を発見し引き上げ、医師によりその場で死亡が確認されました。生徒は運動部に所属していて、「力があり体格がよかったのに、なぜ溺れたのだろう」という話を関係者からお聞きしています。

 特に陸上で行われる競技のアスリートの体脂肪率は一般の人よりも低いことはよく知られています。水難学会の会員(約1,500人)のうち、ほぼ8割を占める全国の消防職員も(日頃から鍛えていれば)体脂肪率が低く、文字通り「金槌」で、水着の状態では背浮きができないという致命的な運命を背負っています。

脂肪と筋肉の比重

 「裸足で海水浴」は時代遅れ?マリンシューズが必需品になった理由に、身体の比重と真水との関係を示しています。簡単におさらいすると、真水の比重は1です。比重が1より低い物質は浮き、比重が1より高い物質は沈みます。

 身体を構成する脂肪の比重はおよそ0.9、一方筋肉はおよそ1.1です。なるほど、筋肉は真水に沈み、脂肪は浮くことがこれでわかります。ちなみに海水の比重はおよそ1.02ですから、筋肉は海水中でも沈むことになります。

 身体の比重(正確には、かさ比重)は吸気状態でおよそ0.98です。ところがこれは平均であって、体脂肪率が低ければ0.98より高くなりますし、体脂肪率が高ければ0.98より低くなります。

 救助隊に所属して、消防の中でも特に身体を酷使している消防職員が、ういてまてを教えるための指導員の養成講習会に参加すると、大変な思いをします。普通であれば水に浮く運動靴を履いて背浮きをすれば、図1(a)に示すように、顔と鼻が水面に出て、浮いて呼吸できるのですが、体脂肪率が低いと(b)のように肺に空気を入れていても、沈みます。背浮きができないのです。これは、水の中で呼吸に失敗する確率が一般の方より高いことを示唆しています。救助隊員は、このように自分の身体の特性を知ることで、水難救助活動時の自己保全動作の参考にしています。

図1 背浮きの様子。(a) 浮く靴を履いていれば呼吸ができる、(b) 背浮きで沈んで呼吸ができない、(c) 浮く靴を履かないと足から沈む、(d) 浮く靴を履かなくても安定した背浮きができる(筆者作成)
図1 背浮きの様子。(a) 浮く靴を履いていれば呼吸ができる、(b) 背浮きで沈んで呼吸ができない、(c) 浮く靴を履かないと足から沈む、(d) 浮く靴を履かなくても安定した背浮きができる(筆者作成)

男女でも異なる

 体脂肪率が高ければいいというものでもありません。バランスが重要です。図1(c)のように、男性の場合は上半身に脂肪がつきやすいせいか、体脂肪率が高いほど足が沈みやすくなります。一方、(d)のように女性の場合は、脚に脂肪がつきやすいせいか、体脂肪率が高いほど足が浮きやすくなります。場合によっては、水に浮く靴を履かなくても安定した背浮きができる人もいるくらいです。

 以上は水難学会で、靴を履かずに背浮き状態になっている人の水中に沈みゆく足の重さを直接測定して定量されています。両足の重さは合わせておおよそ1.5 kgまでの範囲に入ります。例えばはかりが600 gを示すなら、両足分で600 gf以上の浮力をもつ靴を履けば、安定した背浮きができます。

矢作川で何が起こったか

 まず、川と海の違いから説明します。川の危険性は安全に見えることです。人が入ろうとする川はたいてい流れが緩やかです。川幅が広ければ、まるでプールだと勘違いします。一方、海は穏やかでもそこそこの波があり、それなりに注意します。はじめの警戒心としては、海の方が勝ります。映像によれば、矢作川の現場には、流れの激しいところと緩やかなところがあります。流れのあるところは浅いので、体力で危機を乗り切れると思われます。むしろ流れの緩やかなところの危険性が大です。

 プールと勘違いして川に入ると、川底の急激な変化でやられます。深みにはまると、一瞬で沈み、浮き上がってきません。これが河川水難事故の多くの原因です。川岸から歩いていくとしばらく膝下くらいの水深が続きます。ところがある点から急に深くなるのが穏やかな川の特徴です。増水のたびに川底のあちこちが掘られ、突如深くなるのです。これを洗堀といいます。矢作川は山から流れ落ちる急流です。現場周辺にも岩場があり、これが洗堀の原因となり、岩場のすぐ下流は急激に深くなっていると容易に推測できます。

 ここから、一般論です。今回の事故ではご本人の身体データを調査しているわけではないので、直接結びつけられません。

 たいていの川の事故は、安全に見えて入ったら、急な深みで沈水するというのが出発点になります。沈水しても、「放課後の水難事故 子供たちの命を守るために必要な教育は?」で解説したように、浮上できれば助かります。ところが、体脂肪率が低かったらどうでしょうか。この方法でも浮上することが難しいのは、図1(b)からもわかるかと思います。比重でいったらちょっとした違いですが、比重で1を超える、つまり息を吸っていても浮けないということは、致命的な結果につながります。

まとめ

 スポーツや救助訓練で身体を鍛えて、体脂肪率を落とせば、要因としては溺れやすくなります。水の世界は体力勝負ではありません。浮力勝負です。体脂肪率の低い方は特にお気を付けください。

 今回お亡くなりになられた若い方の無念を察し、ご冥福をお祈りします。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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