「変えるなら、いま」コロナ禍で広がるPTA改革の動き 3つの成功事例
昨年度から新型コロナの影響により、学校行事やPTA行事の見送り・縮小が続き、PTAも「例年通りの活動」をストップすることになりました。「『前年通り』をやめても、意外とだいじょうぶなんだな」と気付く人が増えるなか、これまでの活動ややり方を見直す動きが全国的に広がっています。
今回は比較的短期間で改革を進め、入会や活動の強制をやめ、会員の意思にもとづく運営を実現した事例を、3つご紹介したいと思います。興味がある方はぜひ、参考にしていただければと思います。
- *鈴木弥奈子さんと福嶋尚子さんは2021年4月、藍さんは2020年12月に取材
*事例1/コロナ禍の1年で一気に改革
まずは、神奈川県の市立小学校PTA会長、鈴木弥奈子さんの話から。弥奈子さんは2020年春、3子が通う池子小学校(以下、池小)のPTA会長になったのと同時に、改革に着手しました。前年度から推薦を受けており、周囲もみんな弥奈子さんが会長をやることを知っていたため、役員はなんと全員立候補で出てくれたそう。
弥奈子さんはそれまで毎年何かの委員をやっていましたが、みんなが「できない理由」を言い合う本部役員決めには、以前から違和感を抱いていました。初めて小学校のPTAにかかわったのは10年以上前ですが、それからだんだんと役員決めの雰囲気が悪くなっていることを感じていたといいます。
「普段にこやかで、すごく素敵なお母さんが、やつれた顔で役員選出の会場に現れて『推薦状に私の名前を書いたのは誰なの!?』と言ってきたりする。そういうのを見て、ここまでしんどい思いをしてやらなきゃいけないものなのかな、という気持ちがあって。私も初めて役員選出委員をやったときは『そうしなければいけない』と思って、欠席した方に役を押し付けてしまったことがあるんですが、今では非常に反省しています」
当初、弥奈子さんは組織全体を変えることまでは考えていなかったそうですが、会長の引継ぎを受けた際、その仕事量と内容に衝撃を受け「これは絶対、無理だ」と感じます。「自分はこれをやれないし、次の人に『やってね』と言うこともできない」と思ったのです。役員の仲間たちも、みんなそれぞれ家の事情や仕事があったため、無理はさせられません。「それならもう、変えてしまおう」と決意したのでした。
そこで追い風となったのが、コロナでした。例年行われる学校行事やPTA活動がすべて中止になり、職場でもちょうど、テレワークや休暇取得を勧められ、ある程度時間をつくれる状況ができたのです。「変えるなら、いましかない」と弥奈子さんは腹を括ります。
「PTAを変えるにあたっては、まず憲法や法律、個人情報の取り扱いのことなどを、お勉強しました。そして臨時休校が明けた6月の後半、可能な委員さんたちみんなに体育館に集まってもらって、『PTAは任意なので、こういうふうに変えていきたい』ということを説明して。仕組みのたたき台をつくり、その資料も配布しました」
この頃、本部役員メンバーの間では、さまざまな相談のため「朝も昼も晩もずっとLINEの通知が止まらない」状態だったそう。「疲れちゃったメンバーもいたかもしれない、申し訳ない」と弥奈子さんは振り返ります。
会則を見直す際には、引継ぎ資料にあった他校のPTAの会則を参考にしつつ、ネットでも情報を集め、「いいところを寄せ集めて」新しいものを作成しました。Googleドライブで情報を共有し、最終的な文案は会計さんが取りまとめてくれたということです。
書記さんはこのとき、あっという間にホームページをつくってくれました。ホームページは「情報がそこにとどまり続ける」点で効果的ですし、情報発信もしやすくなりました。作成にあたっては、副会長さんがたくさんアイデアを出してくれたということです。
そして年度末の総会では、入会届の導入や、個人情報の取扱いを含めた会則変更、会の名称変更、P連を抜けること、会費の減額などを決定。2021年度からは無事、新体制でスタートすることになったのでした。
会の新しい名称は「池小キッズサポーター」、略称「池サポ」。地域も親も先生も、池小のキッズ(児童)を応援し助ける団体だということが、ぱっと伝わる名前です。学校の働き方改革も念頭において、先生たちの負担軽減も考えていくということです。
*事例2/新体制移行、活動希望者が2倍に
次に紹介するのは、東京都の区立中学校PTAで会長をしてきた藍さん(仮名)の話です。藍さんは2019年、3子が通う中学のPTAで、先に本部役員になっていた親友から誘われて本部入りすると同時に、会長になりました。前会長は、藍さんに次期会長になってもらおうと考えて、前年度から彼女の親友を本部に誘っていたのだそうです。
藍さんがPTAの本部役員になったのは、末子が幼稚園のとき以来7年ぶりでしたがその間も毎年、小中学校のPTAで委員長をいくつも掛け持ちしていたそう。
子どもたちとかかわるのが大好きで、PTA活動を心底楽しんできた藍さんですが、やはり役員決めには疑問を抱いてきたといいます。転入してきたばかりの人が役を押し付けられたり、役を引き受けたものの出てこない人が非難されたり。「子どものために」と言いながら役を押し付けあう状況に、「何かがおかしい」と感じていたのです。
会長になったとき、藍さんの違和感はいよいよふくらんでいました。きっかけは、ツイッターでPTAの問題点にふれるようになったことです。他の人たちとやりとりをするなかで、これまで抱いてきた違和感が「あれはやっぱり、おかしかったんだ」という確信に変わり、どんどんつながっていったのです。PTAの加入をめぐって裁判が起きたことも知り、そこから「火が付いて、走り出す」ことになったのでした。
他の役員さんたちには「今のPTAのやり方、ヤバいらしいよ」と伝え、理由を丁寧に説明しました。「これを変えたら、みんなイヤな思いをしないよね。外との折衝は私がやるから、ちょっと手伝ってくれない? みんなでラクになろう」と話したところ、みんなも賛成。1人でできることではないので、「役員さんたちみんなに、かかわってもらいながら変えていこう」と藍さんは考えたのです。
このとき藍さんの助けとなったのが、都内で行われた「PTAフォーラム」(朝日新聞と東京新聞の共催イベント、2019年5月)でした。後半のグループセッションでは、PTA改革に取り組む会長や役員さん、PTAを変えられず非会員に転じた人などが入り交じり、濃厚な情報交換をできたといいます。
「ここで得た情報量があまりに多すぎて、最初は何をどこから手を付けたらいいか、全くわからない状態でした。とりあえず見聞きしたことを全部ノートに書きだして、問題点を洗い出し、法的根拠を調べてまとめたり、何をどこに働きかけたらいいか仕分けたりして。その整理が大変で、1か月くらいかかりました」
その後、情報を役員さんたちと共有し、みんなで会則の見直しに着手します。そして翌6月のPTA総会で、入退会届の整備から会則の改正まで済ませ、さらに年度末の総会では、委員会活動をエントリー制(手挙げ方式)に変更。加えて、個人情報の取扱規則も整備したのでした。
2020年度春、藍さんの中学校のPTAは、新しい形で動き始めました。藍さんは「総会以外に『やらなきゃいけないこと』は1つもない」とみんなに説明。やる人がいなければ活動はお休みにすること、「長」も選ばなくてよく、活動報告はLINEで十分だと伝えたところ、活動希望者がなんと前年度の委員の倍以上にも増えたということです。
*事例3/学校とPTAのお金の問題に踏み込んだ
最後に紹介するのは、千葉県の公立中学校のPTAで本部役員(会計・副会長)をしてきた福嶋尚子さんの話です。千葉工業大学で教鞭を執る福嶋さんの専門は「教育行政学」。教育にかかわる法制度を扱う分野です。
福嶋さんは小学校のPTAでも会計をやっていましたが、このとき「やり残したこと」がありました。1つは、PTAから学校にお金を渡すのをやめること。学校とは何度もやりとりしましたが、残念ながら変えられず。唯一、PTA会費「免除」のため、同じ保護者である本部役員に就学援助家庭の情報が渡ってしまう仕組みだけは、なんとか解消できたということです。
2019年度からは、小学校のPTAでの経験を見込まれ、中学のPTAで会計をやることに。当時は入会届もなく、「各クラスから委員を何人出す」という従来型のPTAでしたが、会長をはじめ役員さんたちは「いろいろ情報を仕入れてくるタイプ」の人が多かったため、変わるための下地は既にできていたのでしょう。福嶋さんは「私が入るからには『そのやり方は法に触れますよ』とか、そういうことは言いますよ。入会届はつくらないとダメですよね」などと、役員になったときから言っていたということです。
しかし、最初の年度はちょうど周年行事に当たっていたため、11月までは役員全員、準備にかかりきりでした。福嶋さんも「みんな余裕がないだろうから、今年度は何か変えるのは無理そうだな」と思っていたのですが、会長はタフでした。周年行事が終わった次の集まりで「じゃあ入会届つくらなきゃって言ってたの、やろうか」と言ってくれたそう。
「本当に決断力のある会長です。そこから、すごい勢いで改革が始まりました」
入会届を導入するなら「入りたいと思ってもらえるPTA」にしたい。そんな思いも、役員の間で共有されていました。従来のやり方のまま入退会自由を告知すれば、加入率が大幅に下がる可能性があるからです。そこで組織の見直しやエントリー制の導入も併せて検討しつつ、さらに「特別会計」(イベントの収益を貯めたもの)も額がふくらんでいたため、この処理方法についても話し合ったのでした。
案がまとまったのは、たった1か月後の12月でした。翌1月には、学級代表の人たちが集まる会議で役員案を説明し、同時並行で会員にアンケートを実施。「どう変わってしまうのか」「今のままがいいのでは」といった不安の声もありましたが、根気強く説明を繰り返し、アンケートもさらに2回行ったところ、理解が確実に広まっていきました。
「アンケートを読んで『ああ、こういう考えの人もいるんだね、じゃあこれは、もうちょっと維持する方向でやってみようか』といった感じで、いろんな意見を汲み上げていきました。これは他の役員の人たちが、本当にすごく頑張ってやっていたんですけれど」
4月の定期総会は、コロナで学校が臨時休校になったため急きょ導入したメールシステムと、書面による議決権行使を併用して開催することに。入退会に関することから、組織や規約の変更、会計のことまで、もろもろの案はすべて可決され、2020年度から無事、新しい仕組みでPTAが動き出したのでした。
「この半年間は怒涛のようでした。非会員家庭の子どもの扱いをどうするかは、話題にもなりませんでした。区別しないのは当たり前だよね、という感じ。今後、会費を払う正会員=収入が減ってきたら、PTAで子どもたち全員に配るものの種類を減らすことはあるかもしれないけれど、会員か非会員かで分けるということは、絶対ありえないと思います」
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以上、3つのPTAの改革例について、おおまかな概要のみ紹介させてもらいました。実際のところ、こんなふうに改革が成功するPTAばかりではないのですが、条件がもしそろえば、不可能なことではないのです。
今回紹介したPTAは、なぜ改革がうまく進んだのか? どういったときにPTA改革はうまくいったり、いかなかったりするのか? といったことについては、近日発売の書籍(『さよなら、理不尽PTA!』)で詳しく解説していますので、興味のある方は、そちらもご参照ください。