日本人留学生黒崎愛海さん行方不明事件の公判、フランスでの報道は?
女性に対する差別的な殺人だったのか?
2016年にフランスのブザンソン市で起きた日本人留学生黒崎愛海さん(当時21歳)が行方不明になった事件で、殺人罪に問われている元恋人、チリ人のニコラス・セペダ被告に対する公判が昨日29日の朝に同市の重罪裁判所で、11日間の予定で始まった。同被告は、有罪が確定されれば終身刑になる可能性がある。
この裁判には2つの特徴がある。
一つは、この事件は、通常の殺人事件とは違い、フェミサイド 、つまり「女性が女性であるがゆえに殺された事件」、「女性に対する差別的な殺人事件」として、フランスのメディア上で捉えられていることだ。
第二にフランス語から日本語、スペイン語の2カ国語に訳される裁判であることだ。セペダ被告の弁護人の一人、ジャックリーヌ・ラフォン弁護士は、取り調べの間に、セペダ被告が適切な通訳(注:チリ系スペイン語とは若干異なる欧州のスペイン語通訳であったことを指している)を介して十分に自分の主張をすることができなかったとして、「不利な立場にある」としている。同弁護士は、これまでにいくつもの「政治とカネ事件」でサルコジ元大統領をはじめとした大物を弁護した経歴の辣腕弁護士であることを付け加えておきたい。
ではこのセペダ被告の人物像はどのように報道されているか?
チリの裕福な家庭の息子、「賢く、社交的、しかし所有欲が強い」と、彼をよく知る人々は警察の調べに答えている。「日本に滞在中、愛海さんと私は19ヶ月16日間にわたって恋人でした」とチリ警察に語った彼だが、黒崎さんと別れた後に行動障害を起こして病院に入院しており、彼女は同被告にとって非常に大きな存在であったようだ。
警察は二人の間で交わされた980あまりのメッセージを分析したが、その中で、被告が黒崎さんに復讐の意をだんだんと強くしていくのがわかるとしている。また、2016年9月7日に、ビデオの中で「彼女はこうした行為に対して償わなければならない、責任を果たさなければならない」と言っていたことが調査でわかっている。
ブザンソン近辺の地方新聞L'Est RépublicainのTwitter
公判初日。被告に重く、非常に重くのしかかっている嫌疑
公判の初日、3月29日、被告は「非常に丁寧な態度、清潔感のある服装で落ち着いて裁判長の質問に答えた」と、どのメディアでも強調されている同被告は、『私は愛海さんを殺していないことを宣言します。彼女が亡くなってからのこの5年間は悪夢のような毎日を送っています』と無罪を主張した。しかし、「この礼儀正しく、きっちりとネクタイをしめた被告人の上に、嫌疑は重く、非常に重くのしかかっている」とル ・モンド紙は報道している。
まず、朝10時に始まった公判で、「被告は2016年11月30日からフランスのディジョン市にチリから空路で到着、その後、レンタカーを借り、黒崎さんが留学していたブザンソン市に到着。12月4日の夜、黒崎さんとオルナン市のレストランで食事、そして被告は、最後に黒崎さんと会った人物となった」と裁判長は事件の時系列を要約。
また、警察が、黒崎さんが暮らしていた学生寮に暮らす学生たちに聴取したところ、約20人が12月4日の真夜中、「恐ろしく苦しげな女性の叫び声」、「ホラー映画のような声」「何かが壁にぶつかる大きな音」を聞いたと証言した。これに対して、取り調べを受けた被告は、「その晩(黒崎さんと)情熱的なセックスをし、彼女が大きな声をあげたからだ」と答えていたことが発表された。
また、裁判長は、黒崎さんの渡仏当時から事件当時まで黒崎さんの恋人だったアルチュール・デル・ピッコロ氏の存在について言及した。同氏と黒崎さんの関係が被告の「激怒」を引き起こしたのではと推定されているからだ。同氏は「セペダ氏は狂人のようだった」と証言している。
箱が気に入ったから買ったマッチ?
裁判長は、被告が5リットルの引火燃料、マッチ、洗剤を購入したこと、12月1日には、学生寮近くの森の中に2時間42分も居たことを指摘した。これに対して、被告は、「ガソリンは車のため、マッチは箱が気に入ったから、洗剤はレンタカーの座席が汚れたから」と答えた。
裁判長は「黒崎さんの銀行口座には二回の不審な動きがある。セペダ氏が滞在したリヨンへの特急チケットの購入、フランスでI Pアドレスを隠すことができるVPNの購入だ」と言い、黒崎さんが行方不明になった後、彼女のFacebookにマドリッドやチリから不審なアクセスがあったこと、また、被告が日本人友人に数行の文章を日本語に訳してくれと頼んだやりとりが消されていることを挙げた。
また、黒崎さんが行方不明になった後、心配して何度も連絡した恋人のピッコロ氏に、「うるさいわね」、「他の出会いがあったから、もう連絡しないで」という返事が届き、友人たちにも「ビザ更新のためにリヨンの領事館に行った」などという連絡が来るように(ブザンソン滞在ならばストラスブール領事館に行くのが普通)。東京の家族にも、怪しげな日本語で「すごく忙しい」と言ったメッセージが届いている。
また、裁判長に2016年の来仏の理由に関する質問をされた被告は、「私は、将来の進路についてはっきりさせるために来仏しました。学業を続けるか、仕事を始めるか。欧州に従兄弟もいるし、愛海さんもフランスにいたし」と述べるが、裁判長は、留学のための準備を被告がしていなかったことを指摘した。
偶然、再会した彼女は泣いて喜んでくれた
被告は、黒崎さんの大学寮に行ったことについては、「大学寮の駐車場が無料だったので、車の中で眠るために行きました」と答えた。そして、「当時は彼女がブザンソンのどこで暮らしているかを知らなかったが、12月4日にたまたま学生寮の前で偶然に再会し、彼女は泣いて喜んでくれた」と調べに対して述べている。その後、二人は夕食をともにし、一緒に学生寮に帰宅するが、その後、黒崎さんは行方不明になっている。
黒崎さん家族の弁護士は、「彼女が行方不明になったと知った時、あなたは彼女と連絡を取ろうとしましたか?友人やご家族に連絡するとか、メールを送るとか?」と質問。被告は、数回の的はずれな答えをした後に、弁護士に「あなたは私の質問に答えていない」と言われ、ようやく「いいえ」と答えた。
被告は、12月6日の早朝、旅行者などが行く場所ではない森の中の小さな道を通って、レンタカーを返却しに行く。車はひどく汚れており、運転手席側は泥で覆われており、タイヤが一つ壊れていたという。1週間で走行距離は776km。7日、被告はジュネーブからバルセロナへ行き、従兄弟宅に数日滞在。12日にチリへ戻る際に、従兄弟に自分が来たことは口外しないように頼んでいる。また、この従兄弟は今回の裁判で証言することを拒否している。
また、この初日、被告は私訴原告の立場で参加した黒崎さんの母親と妹の方に目を向けることがなかったと報道されている。
公判2日目、教授へのメッセージの中に文法上の間違いか?
30日、公判2日目の午前中は、黒崎さんが在学していた大学のフランス語の教授が貴重な証言をした。
教授は行方不明になった黒崎さんからメッセージを受け取るが、その中にあったフランス語の文法上の間違いから「黒崎さんが書いたメッセージではなかったと思う」と断言した。つまり、日本人学生がする類の間違いではなかったということだ。また、「日本人学生に控えめな人が多いが、黒崎さんは活発で人生を精一杯楽しんでいるタイプの学生だった」と証言した。
司法警察の調査員ダヴィッド・ボルヌ氏は「黒崎さんが亡くなっていることは確か」と言い、自殺や蒸発はあり得ないとした。また、12月1日と2日の夜に黒崎さんの部屋の下にいる不審な人物が監視カメラに写っていたことを、今回初めて発表した。