相手ボールに30年以上前から4-4-2で対峙した欧州と「そこ」にいることの意義さえ語られなかった日本
サッカーで主役と言えば誰を指すだろうか。選手か監督か。たまたサポーターか。両GKが美技を連発すれば、その存在感はいやが上にも高まる。主審もVAR時代を迎えた現在では主役に見える時がある。しかしフアン・マヌエル・リージョはインタビューした際に、上記には存在しない要素を口にした。
ボール。ゲームの中心にいるのはボールで、サッカーはそのボールに対して反応するゲームだ、と。サッカーにはマイボールと相手ボールの2つの局面しかない。マイボールになっても相手ボールになっても一喜一憂せず、ボールと共鳴し続けることが大切だ、と。
守りながら攻める。攻めながら守る。リージョは同時にそうした言い回しもした。両局面において境界を作るなという意味だが、サッカーらしさに富む表現だと感心させられた。
野球にその感覚はない。バスケットボールやハンドボールは好守両局面が連続する球技だが、ボールを手でボールを扱うスポーツなので、ミスは起きにくい。好守が入れ替わる頻度はサッカーより低い。
ボールを失ってもサッカーは奪い返す機会がある。落胆する必要が低いスポーツなのだ。選手のボール操作術は年々向上。右肩上がりが続く。限界は見えていない。その一方でプレッシングも年々強烈になる。プレッシングが選手の技量アップを後押しする構図になっている。プレッシングがキツくなるほど選手の技量は上がる。プレッシングをベースとする攻撃的サッカーが、競技性の向上に果たす役割は大きいのだ。
アリゴ・サッキが唱えたプレッシングがイタリアで広まり始めた1990年代初頭、選手はプレッシングを浴びると簡単にボールを失った。密集を掻い潜るボール操作術を持ち得ていなかった。プレッシングはサッカーを壊すもの。進歩を妨げるものと悪役扱いされたほどだが、ほどなくするとそうした声は聞かれなくなった。その頃、日本と欧州を頻繁に往復して筆者は、現地を訪れるたびに選手の技量アップを実感したものである。
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