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「面倒くさい代理人」はJリーグの移籍と契約をどう変えてきたか?

大島和人スポーツライター
田邊伸明氏:筆者撮影

2019年のJ1を制したのは横浜F・マリノスだ。このクラブの筆頭株主は日産自動車だが、シティ・フットボール・ジャパン株式会社も資本参加し、そのノウハウを提供している。J1王者は監督、選手の選定などでグローバル化の利を得ていた。Jリーグは望む望まざるにかかわらず、ヨーロッパを中心とする「世界」に引っ張られ、渦に巻き込まれる。

ジェブエンターテインメントの代表を務める田邊伸明氏は代理人として主張をクラブにぶつけ、ときに煙たがられながらこの国のクラブ経営に影響を与えてきた。選手の利益を実現するため行動だとしても、それが結果的に日本サッカーの針を進めた。

若手の海外移籍を「流出」と悲しむ人もいるだろう。サッカーが国内で完結していれば代表強化はもっと楽だったし、我々は久保建英や大迫勇也のプレーをJリーグで楽しめていた。しかしグローバル化が抗えない力を持つ以上、選手やクラブは変化を前向きに受け止めて、その利を最大化するしかない。

今回は田邊氏に日本サッカーの契約文化が変容した経緯と、なお残る課題について語ってもらった。<以下敬称略>

終身雇用文化と国際化

54歳のやり手代理人はこう述べる。

「プロフェッショナルになっていく一つの基準は、やはりグローバル化だと思うんです。歴史的には選手からグローバル化していきます」

ブンデスリーガ入りした奥寺康彦、セリエAに移籍した三浦知良といった名を挙げるまでもないが、国際化の先陣はやはり選手だ。Jリーグは1993年に発足したが、クラブは今も企業スポーツのカルチャーを引きずっている。

ヨーロッパのサッカー界は1995年のボスマン判決を受け、移籍が自由化された。一方でJリーグは2009年まで年齢に応じた「移籍係数」を設定し、契約が切れた選手にも移籍金(違約金)が発生するローカルルールを用いていた。

田邊は説明する。

「(Jクラブは)終身雇用の発想がものすごく強かった。当時の移籍金規定もまさにそれです。クラブが必要だと思ったら、選手はいつまで経っても縛られる。彼らが不必要だと思ったら辞めさせられる。単純に言うと、そういうルールだったわけですよね。1年契約でもクラブが来年もやってと言ったら、お金を払わないと他のチームには行けなかった」

彼が代理人として関わり、一つの問題提起となった事例が中田浩二のオリンピック・マルセイユ移籍だ。鹿島アントラーズとの移籍金交渉が決着せず、契約が切れた中田はフリーの状態で2005年にフランスのビッグクラブへ移籍することになる。当然ながらヨーロッパのクラブは日本のローカルルールに縛られない。しかしこの動きは当時、サポーターも含めて大きな反発を受けた。

クラブが移籍金を取るためには、中長期の契約を保証する必要がある。ただし契約期間を伸ばせばそれはクラブの支出は固定化し、選手が期待通りにプレーしなければ損失になる。移籍が自由な以上、Jクラブはそのようなシビアな見極めを求められる。

サイドレターとインセンティブ

移籍に限らず、プロスポーツは契約が決定的に重要だ。Jリーグは日本サッカー協会選手契約書(いわゆる統一契約書)というフォーマットを用いている。しかしそれは不十分で、付帯したサイドレターを加えてクラブと選手が契約を行っている。

田邊は「(統一契約書は)複数年の契約に書き方がちょっと向いていない」と明かす。例えば単年契約ならば、同額を月割にする設定で問題はない。しかし新人ならば1年目が460万円、2年目が670万円と金額は変動させたほうがむしろ自然だ。

彼は振り返る。

「サイドレターを作って、色々と細かく定義したのはたぶん弊社が最初です。分かりやすいのだと、違約金を決めるなんていうのも最初にやったと思う」

プロスポーツの契約は基本給と別にインセンティブがある。出場給、勝利給などを例に挙げれば分かりやすいだろう。このような仕組みを日本サッカーへ浸透させたのも、田邊の仕事だ。

「だんだん『FWだから得点給が欲しい』『ゴールキーパーも無失点給が欲しい』という人が出てくる。優勝したら、代表に選ばれたら…とクラブが個別にインセンティブを付けるようになってきた時代がありました。2000年代の前半です。(統一契約書)だけではもう収まらなくなってきて、付帯する事項を取り決めるようになった。今はみんなやっていますけれども、それこそ最初に弊社がやっていた」

「面倒くさい」と思われてきた自負

田邊はそのような契約の仕組みを、ヨーロッパのビッグクラブから学んだ。クライアントである稲本潤一(現SC相模原)が2001年にガンバ大阪からアーセナルに移籍したことで、彼は本場の契約を知った。

「アーセナルは勝利給の分配を、出た分数に関係なくベンチに入っている18人で分けていました」

出場給は一般的に「出場が45分以上ならいくら」「1分以上45分未満ならいくら」と設定される。しかしサブのゴールキーパーは交代がほぼないため不利な扱いを受ける。

「サブキーパーを同じ扱いをするのも、最初に弊社が提案しました。当時は『なに面倒くさいことを……』とすごく言われたんです。でもそれを言い続けて当たり前になったことがたくさんある。そういう意味で選手たちに貢献してきた自負はあります。一方で『面倒くさいなこいつ』と思われてきた自負もあります」

「理解があったのは鹿島」

プロスポーツはエンターテイメントビジネスだ。製造業ならばきっちりと予算を立て、収入と支出をコントロールしないと回らない。しかし製造業の発想で、プロサッカークラブを運営すればどうしても非効率だ。初期のJクラブは今以上に製造業出身の経営者が多く、予算通りを是とするカルチャーが根付いていた。それまで馴染みがなかった代理人という職業に対する忌避感情もあっただろう。

田邊は言う。

「(柔軟な契約に)理解のある人とない人がいました。例えば一つのクラブでも親会社から来た社長は理解がなくても、強化部長はものすごく理解があったり……。全般的に理解があったのはやっぱり鹿島ですね。鈴木満さんは理解がありました」

求められる「親会社ルール」からの脱却

Jクラブは今も親会社に引っ張られる部分が強い。プロサッカー選手は個人事業主で、クラブに消費税を請求する権利がある。田邊は先日、SNS上で一部クラブの「勝利給への消費税転嫁拒否」に関する問題提起を行っていた。「親会社の経理に聞いた」という根拠で、増税分の支払いを拒否したクラブがあったという。

意思決定、税務処理で「親会社ルール」を押し付けるーー。令和の今になっても、そういう経営は残っている。しかし俺様ルールを押し通すクラブは得てして強化、集客で結果を出せない。

もちろんヨーロッパの成功事例をそのまま、丸ごと持ってくるだけで成功するという安易な話はない。とはいえ先進的な事例から学ぶオープンな姿勢がなければ進歩は期待できない。

IT企業が新しい手法を持ち込んで、クラブ経営を改善させる例もあるだろう。ただお堅い企業のクラブ保有自体に、ネガティブな側面はない。業種の違いを認識した上で、能力を持つ経営者を登用すればいい。いずれにせよ大切なのは経営だ。クラブは事業環境や時代の変化に合わせて最適化し、「面倒くささ」から逃げずに経営するしかない。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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