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シリアのアル=カーイダと目されるシャーム解放機構のジャウラーニー指導者が自らの素性を初めて語る

青山弘之東京外国語大学 教授
Eldorar、2020年5月31日

住民との懇談、武装集団代表との会談

反体制系サイトのEldorarは5月31日、シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構のアブー・ムハンマド・ジャウラーニー指導者がイドリブ県ザーウィヤ山地方のジューズィフ村で住民や名士と懇談したと伝え、その写真を掲載した。

Eldorar、2020年6月1日
Eldorar、2020年6月1日

ザーウィヤ山地方は、今年2月から3月にかけてイドリブ県南部やアレッポ県北部で失地回復を果たした政府支配地域と、シャーム解放機構とトルコの庇護を受ける国民解放戦線(国民軍)が主導する「決戦」作戦司令室支配地が接する最前線。

そのため、懇談が実際にジューズィフ村で行われたのかは定かでなく、懇談の日時も不明。

Eldorarによると、ジャウラーニー指導者はまた、シャーム解放機構の代表とともに、ザーウィヤ山地方で活動を続けるシャームの鷹大隊やシャーム自由人イスラーム運動(いずれも国民解放戦線所属組織)の代表者との会合に出席し、ハマー県ガーブ平原やザーウィヤ山で想定される大規模戦闘への対応について検討した。

Eldorar、2020年6月1日
Eldorar、2020年6月1日

ジャウラーニー指導者が素性を語る

住民との懇談で、ジャウラーニー指導者は「アサド体制は、戦闘なくしては1インチたりとも撤退はしないだろう」と述べたうえで、近くシリア軍との大規模な戦闘が再発するとの見方を示した。その一方で、住民からの質問に答えるかたちで、自身の素性について初めて語った。

Eldorarが6月1日に伝えたところによると、「我々が知らないジャウラーニーという人物は誰なのですか? 彼が誰なのか皆が訊ねている」という住民からの問いかけに対して、ジャウラーニー指導者は次のように答えたという。

1980年あるいは1981年生まれで、占領下ゴラン高原のフィーク町出身のアフマド・フサイン・シャルアだ。

ジャウラーニー指導者はまたこう続けた。

ダマスカス大学理学部で、1年次と2年次を学んだ後、2003年に米国がイラクに侵攻し、戦争が勃発したのを受けて、数千の若者たちと同じく、米国に対する「ジハード」に参加するためにイラクに行くことを選択した。

しかし、イラクで逮捕され、2011年3月11日まで投獄された。

釈放後にシリアに移動した。

彼の経歴をめぐっては、シリア国内の刑務所で収監されていた、あるいはイラクからシリア政府に身柄が引き渡されたといった情報が流れていたが、発言はこれらを否定したかたちとなった。

また、4人の妻がいるとの噂についても「妻は1人しかいない」と否定した。子供の有無は明らかにしなかった。

著名な父

シャームの民のヌスラ戦線がアル=カーイダへの忠誠を否定し(ただしアル=カーイダの許可のもとに否定!)、シャーム・ファトフ戦線に改称した2016年7月に公の場に姿を現して以来、初めて素性を明らかにしたジャウラーニー指導者は、自身の父についてもこう語った。

私の家族は首都ダマスカスに避難し、そこで暮らすことを余儀なくされた。父は政府の高官を務め、内閣でも勤務した。石油関係の著書を出している。

父はシリアとエジプトが分離した時、政治難民としてイランに逃れ、そこにとどまった。その後、サウジアラビアに移り、幾度かの旅行や転居を経て、アフマド・フサイン・シャルアが生まれた。彼には3人の息子と2人の娘がいる。

Eldorarによると、ジャウラーニー指導者の父の著書4冊のうち3冊は、『アラブの祖国における石油と包括的成長』、『サウジアラビアの経済開発と成長の未来』、『基本設備建設段階のサウジ経済』で、サウジアラビア滞在中の1983~1984年に出版された。

また、4冊目は『OPEC、1960~1985年:大変動と続く挑戦』で、1987年にダマスカスで公刊された。

なお、サウジアラビアのマジュマア大学の図書館のサイトによると、『アラブの祖国における石油と包括的成長』の著者はフサイン・アリー・シャルア。

Jesrpress、2020年6月1日
Jesrpress、2020年6月1日

Eldorarによると、フサイン・アリー・シャルアは石油省で勤務した後、首相府の顧問を務め、クナイトラ県議会の議員にも選出された人物だという。

また、ハーフィズ・アサド前政権、バッシャール・アサド政権に対して批判的な立場をとり、経済学者のアーリフ・ダリーラ氏が主催した「火曜経済フォーラム」、2000年に起きた政治改革運動「ダマスカスの春」を主導したビジネスマンで元人民議会議員のリヤード・サイフ氏が立ち上げた「国民対話会議」にも参加した。

さらに、2011年3月にアラブの春がシリアに波及すると、「シリア革命」を支持したが、武装闘争には反対していたという。

(「シリア・アラブの春顛末記:最新シリア情勢」をもとに作成)

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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