文在寅大統領は「太陽」から「北風」に転じた金泳三元大統領の二の舞になる
北朝鮮の2度目の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射で韓国の文在寅大統領の対北政策は融和から一転、強硬に方向転換したようだ。
米韓合同による地対地ミサイルの発射演習を行い、威嚇する一方で配備周辺環境への影響を評価するまではペンディングにしていた米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の発射台4基の韓国への追加配備を決定した。
また、国防部に対して米韓ミサイル指針で定められている射程800キロの弾道ミサイルに搭載できる弾頭重量を現行の500キログラムから1トンに増やす方向での指針改定も命じた。現行の弾頭では飛行場の滑走路を破損するぐらいだが、倍の1トンならば地下10メートルにある北朝鮮の戦争指揮所やバンカーの破壊も可能だ。
さらに、北朝鮮に骨身に染みるよう韓国独自の制裁にも乗り出しており、同時に外交部に対しては国連安保理の制裁を早急に採択するよう指示を出している。
文大統領は北朝鮮が7月4日に初のICBMを発射した際、「核とミサイル開発に執着する北の政権の無謀さが改めて明らかになった」と非難したもののそれでも2日後の7月6日、訪問先のベルリンでは北朝鮮に対話を呼びかけ、融和の手を差し伸べていた。
具体的には朝鮮戦争の休戦協定が締結されてから64年となる今月27日をもって軍事境界線(MDL)での敵対行為を中断するため南北軍事会談を開くこと、もう一つは、朝鮮戦争で離別した離散家族の再会を実現させるための赤十字会談を開くことも提案した。
(参考資料:文在寅政権の対北提案ーー日米は「不快」中国・EUは「歓迎」)
「条件が整い、朝鮮半島の緊張と対立の局面を転換する契機になるのであれば、いつ、どこででも金正恩委員長と会う用意がある」と発言し、首脳会談にも意欲を見せた。来年2月に江原道の平昌で開催される冬季五輪での南北統一チームによる合同入場行進というサプライズ構想までぶち上げていた。
文大統領は「我々は北の崩壊を望んでおらず、どのような形態の吸収統一も、人為的な統一も推進しない」と宣言した上で「統一は双方が共存共栄し、民族共同体を回復する過程で、平和が定着すればいつか南北間の合意により自然となされる」との認識を示し、北朝鮮に韓国との対話に応じるよう決断を促した。
しかし、北朝鮮が決断したのは、韓国との対話再開の道ではなく、ミサイル発射の継続であった。一度ならず、二度ともとなれば、文大統領としてはもはやこれまでで「制裁と圧力」という強硬策にシフトせざるを得ないだろう。
(参考資料:北朝鮮の韓国提案黙殺はICBMか、SLBM発射のため!)
振り返ると、かつて政治の師として仰いでいた民主化の闘士として知られる第14代大統領の金泳三氏も「民族のほかに同盟に勝るものはない」と公言し、政権発足当初は北朝鮮にラブコールを送り続けてきたことで知られる。しかし、大統領就任翌月の3月に北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)から脱退し、核開発に本格的に着手する一方、5月には初の弾道ミサイル「ノドン」を能登半島に向け発射し、金泳三政権を失望、落胆させた。
それでも、金泳三大統領はクリントン政権が北朝鮮への武力行使を示唆した時には「戦争は絶対にダメだ」と猛反発し、米国に歩調を合わせることはなかった。
当時、金泳三大統領は最悪の事態を回避するため北朝鮮に核放棄を呼びかけ、そのための南北対話を再三求めたが、完全に無視されため最後は「北朝鮮は壊れたヘリコプターのようなものだ。(北風を吹かせば、堕ちるという意味)」とブチ切れ、強硬策に転じてしまった。晩年「あの時、クリントン政権の対北攻撃を止めなければ良かった」と公言するぐらい対北強硬論者に変身してしまった。
誰が大統領になっても、革新系の大統領であっても、核とミサイルの問題では韓国は北朝鮮の相手にはなれない。核とミサイルの問題は米朝間の問題であるからだ。現に、北朝鮮は「親北」と称された金大中大統領が大統領に就任した年の1998年に「人工衛星」と称して長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射し、また文大統領が大統領秘書室長として仕えた盧武鉉政権の時にNPT(核拡散防止条約)から脱退し、核保有を宣言し、初の核実験を行っている。
文大統領も対北問題では「太陽政策」から「北風政策」にシフトした金泳三大統領の道を歩まざるを得ないだろう。現に大統領選挙期間中に「大統領に当選したら北朝鮮と米国のどちらへ先に外遊するか」と聞かれた際に「ためらいなく言う。私はまず北朝鮮に行きたい」と断言したが、現実には平壌ではなく、ワシントンを真っ先に訪れたことがそのことを証明している。
北朝鮮が核とミサイルを放棄しない限り、南北の対話・平和統一に向けて韓国が主導的役割を担うとの文大統領の「ベルリン構想」は絵に描いた餅のままで終わるだろう。