【MLBオールスターゲーム】始球式を務めたペイトン・マニングって誰?
MLBオールスターゲームで、アメリカン・リーグの先発投手を務めた大谷翔平よりも、ナショナル・リーグの先発のマックス・シャーザーよりも先にマウンドに上がってボールを投げたのが、始球式を務めたペイトン・マニング。
大谷を目当てで朝からテレビ観戦した日本のファンには、マニングが誰なのか、そしてなぜマニングがオールスターゲームの大舞台で始球式の大役を任命されたのかが分からないファンが多いと思う。
日本での知名度は高くないが、アメリカ人ならば誰もがマニングを知っている。
アメリカで最も人気があるプロスポーツ、NFL(アメリカンフットボールのプロリーグ)で長年に渡って活躍して、NFL史上最多のMVPに5回選ばれたほどの名選手。NFL年間王者のスーパーボウルも2度制している。
今年のオールスターゲームは、MVPに選ばれたブラディミール・ゲレーロJr.を筆頭に、1回表に大谷と「ホームラン・キング」対決をしたフェルナンド・タティースJr.など父親がメジャーリーガーとして活躍した二世選手が目立ったが、マニングも二世選手。
ペイトンの父親、アーチー・マニングはNFLでクオーターバック(QB)として14年間プレーして、オールスターゲームに値するプロボウルにも2度選ばれている。アーチーは1971年のドラフト1巡目全体2位の選手だったが、ペイトンは1998年のドラフト1巡目全体1位指名選手。弟のイーライ・マニングも2004年ドラフト1巡目全体1位指名で、マニング家はアメフトの超エリート一家として知られる。
ペイトンは2011年までインディアナポリス・コルツでプレーした後、12年からはデンバー・ブロンコスに移籍。2015年シーズンにはチームを第50回スーパーボウルに導き、優勝。NFL史上初めて、2つのスーパーボウル優勝チームで先発を務めたQBとなった。そして、スーパーボウルを制覇した直後に、18年間の選手生活を引退。引退時には、NFLの歴代パス記録のほとんどを保持していた。
大谷が「最優秀MLB選手」に選ばれたESPY賞で、「最優秀男性アスリート」に選ばれたトム・ブレイディのライバルとしても知られるペイトン。ペイトンが保持していたNFLの記録のほとんどは未だに現役を続けるブレイディに塗り替えられたが、今でもペイトンは歴代最高のNFL選手の一人としての評価を得ている。
ペイトンはアメフトだけでなく、ゴルフの腕前もプロ級で、昨夏にはタイガー・ウッズと組んで、ブレイディ&フィル・ミケルソン組とのチャイティー・マッチに勝利している。
デンバー・ブロンコスのスーパースターだったペイトンは、オールスターの舞台となったデンバーの英雄なので、今回の始球式に抜擢された。
テネシー大学時代にペイトンとチームメイトだったのが、コロラド・ロッキーズ一筋に17年間プレーして、10年連続を含む、12度も打率3割以上を記録したトッド・ヘルトン。
ヘルトンは高校時代に野球とアメフトの二刀流選手として活躍して、テネシー大学にも二刀流選手として入団。アメフトのポジションはQBだったが、2年後輩のペイトンとの先発QB争いに敗れて、アメフトを諦め、野球に専念することを決断した。
今回の始球式ではロッキーズで永久欠番となっているヘルトンが、大学時代からの盟友であるペイトンをマウンドまでエスコートする粋な演出がなされた。
試合前には大谷とも雑談していたペイトン。大谷にアメフトのボールの投げ方を教えたようで、大谷はペイトンから習った投げ方をすぐに練習していた。
メジャーに移籍してからの大谷は、オフにNBA(バスケットボール)とNHL(アイスホッケー)の試合を観戦に訪れたことはあるが、NFLの試合を観戦に行ったことはまだない。
実は大谷が野球以外で興味を持っているスポーツがアメフトで、2017年には「生まれ変わっても同じスポーツをやりたい」との質問に対して、「せっかく生まれ変わるならアメフトとかやってみたい。 やったことないのでやってみたい 」と返答している。
大谷が「生まれ変わるならやってみたい」と言うアメフトで頂点を極めたデンバーの英雄。それがオールスターゲームで始球式を務めたペイトン・マニングだ。