都市の中の「限界集落」 再生目指し芝居小屋を復活へ
明治時代には花街として栄華を極めた岡山県岡山市中区の西中島町。しかし現在は、戦後の経済復興の中で賑わいが途絶え、人口流出に伴う過疎化と住民の高齢化が続いている。50世帯が暮らし、平均年齢は70歳。小中高生はいない。そんな都市の中の「限界集落」と呼ばれる西中島町を、文化とアートの力で盛り上げようという取り組みを取材した。
NPO法人アートファームの代表理事、大森誠一さん。今回のプロジェクトの企画者だ。
堀潤
「路面電車の駅があまりないですよね」
大森さん「ないです、昔はすぐそこにあったんですよ。でもそこももうなくなっちゃって」
堀
「何で無くなっちゃったんですか?」
大森さん
「やっぱり人がどんどん少なくなるので」
堀
「目の前にお好み焼き屋さん見えてますが…」
大森さん
「あれはもうやってないです。看板が残ってるだけ」
堀
「他に商売を営んでる場所は?」
大森さん
「商売してるのは一箇所しかないです。昔はいっぱいあったと思いますね。食べ物屋さんや、酒場もあったでしょうし」
堀
「遊郭があったのはこの通り?」
大森さん
「そうです。いっぱいありましたけどね」
1877(昭和10)年、この地に木下サーカスの起源となる芝居小屋「旭座」が開設された。西中島出身の映画スター尾上松之助(1875〜1926) による無声映画が上映されるなど、文化的にも恵まれてきた地域だ。いま、西中島町で再び、表現で溢れる場所にしようと様々な取り組みが始まったところだ。
西中島町町内会長・石野義和さん。大森さんと一緒に西中島町をもう一度盛り上げたいと、地域住民としてプロジェクトに参画している。
石野さん「尾上松之助の無声映画をここで何回も上映したんです、裕福な時代に。夏休みに大きなキレを張って、16ミリで画を写してやりよったんです。あの映画、去年もここでやったんですけど、懐かしいな思った」
大森さんたちは、地区内で教会などとして使われていた建物を借り「地域再生の交流・発信拠点」となる「旭坐」を開設することにした。
大森さん「この壁とか取っちゃうんですけどね。もうちょっと広くなります。ちょっと上がったこっちが舞台になるかなって。高すぎず低すぎずの高さなので、ちょうどいい」
大森さん率いるアートファームは2010年、西中島河川敷で野外音楽劇を開いたのを起点に、地域と連携したアートイベントを開催。
「旭坐」の事業コンセプトは不易と先駆。伝統に培われた日本文化の普遍性と伝統に貫かれた革新の精神性の両立を目指している。
堀
「ここが完成すれば何ができるんですか?」
大森さん
「音楽、演劇、舞踊、ダンスとか、色々計画してます」
堀
「一番楽しみなのは何ですか?」
大森さん
「やはりここに集ってもらって交流が始まるということでしょうかね。客席も40〜50席くらいしか多分作れないかなと思うので、小劇場だと思うんですけど。でも小さい劇場が大きな未来を育んでいくみたいな、そな感じですかね」
今、大森さんたちはクラウドファンディングでの資金調達に挑戦している。
堀
「戦後経済発展を目指してきたけど、今色んな行き詰まりを見せている。地域みたいなものもバラバラになっていった。それが山間地域だけじゃなくてこんな都市部でもある。どう考えてもおかしい。アートがこの時代にどう機能するのかということも問われると思います。その点も含めて、ぜひメッセージをください」
大森さん「ここは今、個人の方が土地と建物を持ってらっしゃるんですけども、ゆくゆくは、地域にとっての場にしていきたいなと。地域が共有できるような場所にしていくといいなという風に思っています。その中で人が来ていただいたり、そこでいろんな交流が始まったりっていうのは、文化とかアートの力によって機能していくかなと思ってるんです。そんなに華々しい未来ではなくてもいいけど、温かみがある。人の声が届きやすかったり、いたわり合いがあったり。そういう場所にしていくといいなと思っています」
石野さん「できたら次の世代の方に入っていただいて、活性化していただくのがいいんじゃないかな。私ができんから夢なんですわ。声を出さんと何もならないわけですから」
取材・撮影
8bitNews ジャーナリスト堀潤